第9話 テルミィ
最初から、ユリアンが襲って来た時点から、もっと警戒しておけば良かったのかもしれない。
ずっと、嘘を言っているな、とかこの言葉は本心じゃないな、とか、ユリアンの態度に違和感を感じてはいたけれど。
なぜあんな酷いことをされても、彼を信用してしまったのか…。
言い訳すると、ユリアンはずっと、私を見るたびに悲しそうな目をしていたから。
彼の話を聞いてみたくなったのだ。
私を憎んでいるような態度をしながらも、彼はずっと、悲しんでいた。
『聞いてあげなさい』
頭の中で、ばあちゃんの声が響くんだもの
『その、悲しみの物語を』
私はその日2度目の失神から覚醒した。
目をこすりながら起き上がると、自分の体にはベルトも手錠もなく、拘束が解かれていることに気付いた。
日が暮れているようで、あたりは暗い。
けれど、狼は夜目が利くらしく、私の目には、周りの様子がぼんやりと見えていた。
私が居るのは、四角い小さな部屋だ。三方の壁はコンクリート打ちっぱなしって感じでのっぺりとしていて窓もなく、一方の壁は透明なガラスのようなものでできている。隅の方に鍵のついたドアがあり、それもガラスで出来ていた。
…檻?
そこは、小さい頃に動物園で見たような、動物を観察できる型の…檻に似ていた。
私は青ざめて立ち上がった。
「目が覚めた?」
ガラスの向こうに、ユリアンが座っていた。
オールバックにしていた茶色い髪をおろしていて、そうするとずっと幼く見えた。
私が寝ている間中そこにいたのだろうか。…私が目を覚ますまで?
「アマミヤ…どっか、痛くない?」
ユリアンは、どこからか小さな半球のガラスを取り出して、床に置いた。すると、オレンジ色の明かりがついて、辺りを照らし出した。
ユリアンは沈んだ表情で私を見ていた。
「みんなちょっと荒っぽくて…ごめん」
「…狼って、そういう種族なんだね」
私は呟くように言った。
檻に入れられて、売られてしまう。
そんな扱いが当たり前の生き物。
危険な猛獣としての扱い。
人権はないのだろうか。
見かけは、ユリアンとそう違わないのに。
「私は、いつ売りに出されちゃうんだっけ?」
「…明日の夜だ」
「…ユリアン、最初から私をだましてたのね?」
私はさっき聞きそびれたことを、もう一度聞いてみた。
「…そうだ。君を捕まえるために、僕達はあの荒野に来たんだ。生きたままの狼は…すごい高値で、売れるから」
ユリアンは淡々と質問に答えた。
「そう…」
ユリアンの話を聞いてあげなきゃ。
私はユリアンの沈んだ表情を見て、突然思い出した。
荒野で、狼に友達を殺されたと、ユリアンは泣いていたじゃないか。
狼である私に、恨みつらみを話せば、ちょっとでも気が軽くなるんじゃないだろうか。
…けど、自分を騙した人間の気を軽くしてやる義理がどこにあるだろう?
いや、ユリアンは私を心配して、ずっと檻の外から、いつ目を覚ますか分からない私の様子を見ていたらしい。
だから本当は、優しい人なんだろう。
けれど、自分が売っぱらわれる大ピンチの時に、その自分を売っぱらおうとしている相手の為に何かしてやる、意味は何?
今考えるべきなのは、すべきなのは、そんなことじゃないだろうに。
このままここにいたら、皮を剥がれてしまうかもしれないのに?
最悪、死んでしまうかもしれないのに?
…でも、それでも私は聞きたい。
ただ純粋に、ユリアンの話が聞きたいと思った。
白い男の子が言っていた事を思い出す。
『君は、君であることを誓いなさい』
私が私であるということ。
それは、私が私らしくいること。
私らしいこと。
いつだって誰かに話を、聞かせてほしい。
それが私。
売り飛ばされるがどうした。
ユリアンの話を聞けるのは多分今しかない。
檻のそばにはユリアンだけしかいないようだし、今ならきっと、頑固に口を開かなかったユリアンも話をしてくれるだろう。
私に真実を明かすことになった今なら。
私はただ、話が聞きたい。私の為に。私は人の話を、気かずにはいられないのだから。
「…ユリアン・フローゲ」
ピクリとうさぎの耳で反応して、ユリアンは顔をあげた。
私はガラス越しに、ユリアンの目から視線を反らさないようにしながら言った。
「話を聞かせてって、言ったよね?」
「話してよ」
「私に、狼に、聞かせたいんでしょう?」
「あなたの、悲しみの物語を」