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第三章 裂け目の山

境界管理局に連れて来られてから、三日が過ぎていた。


雨宮澪は未だに、この状況が現実なのか夢なのか判断できずにいた。


地下施設の一角にある小さな会議室。

澪は椅子に座り、目の前のホワイトボードをぼんやり見ている。


そこには太いマーカーでこう書かれていた。


境界管理局 新人協力者オリエンテーション


九条千景がボードの前に立っている。


「はい、ここテストに出るわよ」


「テストあるんですか……」


「冗談」


 九条は軽く笑った。


 澪は小さくため息をつく。


 この三日間で聞いた話は、どれも現実離れしていた。


 この世界には「境界」と呼ばれる裂け目があり、そこから異界の存在が現れる。

 境界管理局はそれを監視し、封じ、時には排除する組織。


 そして自分には、その境界を見たり、異界の言葉を理解する能力があるらしい。


 正直、まだ半分も信じられていない。


 その時、会議室のドアが開いた。


 神崎玲司だった。


「千景」


「ん?」


「出動だ」


 九条の表情がすっと変わる。


「場所は?」


「長野」


 澪が顔を上げた。


「長野……?」


 神崎はタブレットを机に置いた。


 画面には山の航空写真が映っている。


「境界反応が急激に拡大してる」


 九条が眉をひそめる。


「崩壊レベル?」


「その可能性が高い」


 澪は恐る恐る聞いた。


「……崩壊って?」


 九条は振り向いた。


「境界が完全に開くこと」


 さらっと言う。


「つまり異界と直結する」


 澪の喉が鳴った。


「それって……」


「最悪、町一つ消える」


 九条は真顔だった。


 沈黙が落ちる。


 神崎は澪を見る。


「来るか?」


「え」


「実地研修だ」


 澪は思わず立ち上がった。


「ま、待ってください!」


 九条が笑う。


「大丈夫よ。戦わせたりしない」


 神崎も頷いた。


「君の役目は観察」


 それから少しだけ真面目な声になる。


「それに」


「……?」


「君がいた方が、異界側の状況が分かる」


 澪は迷った。


 怖い。


 でも――


 あの影の獣を思い出す。


 もし、あれが町に溢れたら。


 ゆっくり息を吸う。


「……行きます」


 九条が満足そうに頷いた。


「よし、決まり」


 


 二時間後。


 管理局のヘリコプターは、夜の山の上を飛んでいた。


 長野県北部。

 人の少ない山岳地帯。


 窓の外には暗い森が広がっている。


 澪はヘッドセットを押さえながら下を見た。


「……きれい」


 山の奥に、小さな湖が見える。


 その上空に――


 何かが歪んでいた。


 空気が揺れている。


 まるで透明な膜が裂けているような。


 神崎が言う。


「あれが境界」


 澪は息を呑んだ。


「……大きい」


 九条がモニターを見ながら言う。


「半径三十メートル」


「かなり開いてるな」


 ヘリが着陸する。


 ローターの風が森を揺らした。


 三人は地面に降り立つ。


 夜の山は驚くほど静かだった。


 虫の声もない。


 風もない。


 ただ、空気だけが重い。


 澪は湖の方を見た。


 境界の裂け目が、淡く光っている。


 近づくにつれ、胸がざわついた。


 耳の奥で、ざわざわと声がする。


「……聞こえる」


 澪が呟く。


 九条が振り向いた。


「何が?」


「声……みたいな」


 神崎は剣の柄に手を置いた。


「もう近いな」


 三人は森を抜け、湖の岸に出た。


 そこで澪は足を止めた。


 湖の中央。


 空間が裂けている。


 まるでガラスが割れたように、黒い亀裂が広がっている。


 その向こうには――


 別の風景。


 赤い空。


 黒い大地。


 歪んだ木。


 九条が低く言う。


「……異界」


 その時。


 裂け目が大きく震えた。


 バキッ


 空気が割れる音。


 次の瞬間。


 何かが飛び出した。


 黒い影。


 四足の獣。


 影喰いより大きい。


 神崎が一歩前に出る。


「下がってろ」


 剣が抜かれる。


 獣が唸る。


 目が赤く光る。


 そして――突進。


 神崎は一瞬で距離を詰めた。


 閃光。


 剣が振り抜かれる。


 獣の体が裂け、黒い霧になって散る。


 澪は息を呑む。


(速い……)


 その時だった。


 澪の頭に声が響いた。


 ――人。


 澪ははっと顔を上げる。


 裂け目の向こう。


 赤い空の下。


 誰かが立っている。


 少年だった。


 十歳くらい。


 白い髪。


 澪をまっすぐ見ている。


 そして言った。


 ――お前。


 ――聞こえるのか。


 澪の心臓が跳ねた。


 声は口ではなく、直接頭に響いている。


 澪は思わず呟く。


「……聞こえる」


 神崎が振り向く。


「何?」


 しかし澪の視線は裂け目の向こうに釘付けだった。


 少年が目を細める。


 驚いたように。


 そして小さく笑った。


 ――面白いな。


 ――人間。


 澪の背筋に寒気が走る。


 少年は静かに言った。


 ――でも。


 赤い空の下で、彼の髪が風に揺れる。


 ――遅い。


 澪の胸がざわつく。


「……何が?」


 少年は裂け目の奥で空を見上げた。


 そして呟いた。


 ――もうすぐ。


 ――境界が壊れる。


 次の瞬間。


 裂け目が大きく揺れた。


 地面が震える。


 九条が叫ぶ。


「まずい!」


 神崎が剣を構える。


「来るぞ!」


 裂け目の奥から――


 巨大な影が動いた。


 澪の喉が凍りつく。


 それは今まで見たどんな影よりも大きかった。


 そして澪の頭の中に、少年の声がもう一度響く。


 ――逃げろ。


 ――人間。


 裂け目が、さらに大きく開いた。

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