表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/14

第二章 境界管理局

雨宮澪は、自分がなぜここにいるのか、まだ半分も理解できていなかった。


 夜の駅で黒い獣のような影を見たこと。

 それを剣で斬った男がいたこと。

 そして、その男――神崎玲司に「来てもらう」と言われたこと。


 気づけば澪は、黒い車の後部座席に座っていた。


 車は都心の道路を滑るように走っている。


 窓の外では、ネオンの光が流れていた。


 助手席には神崎が座っている。

 運転しているのはスーツ姿の女性だった。短く切った髪に、鋭い目をしている。


「……あの」


 澪はようやく口を開いた。


「さっきの……あれは、何だったんですか」


 神崎は窓の外を見たまま答えた。


「影喰い」


「……え?」


「俺たちはそう呼んでる」


 神崎は淡々と続ける。


「人の影に潜って、生命力を食う化け物だ」


 澪の喉が乾く。


「そんなの……本当にいるんですか」


 神崎はちらりと振り向いた。


「見ただろ」


「……」


 反論できない。


 確かに見た。


 影から腕が伸びた瞬間を。


 神崎は腕を組む。


「普通の人間には見えない」


「……」


「でも、君には見えてた」


 澪は膝の上で手を握りしめた。


 その時、運転していた女性が言った。


「珍しいの?」


 神崎は短く答える。


「かなり」


 女性はバックミラー越しに澪を見た。


「へえ」


 興味深そうな視線だった。


「名前は?」


「……雨宮澪です」


「私は九条千景」


 軽く笑う。


「よろしく、新人候補」


「新人……?」


 車は高架道路を降り、地下へと入っていった。


 コンクリートの壁が続くトンネル。


 やがて大きなシャッターの前で止まる。


 九条が窓を開けると、警備員が近づいてきた。


「認証」


 九条がカードをかざす。


 ピッという音。


 巨大なシャッターがゆっくり開いた。


 澪は思わず息を呑む。


 中に広がっていたのは――


 巨大な地下施設だった。


 明るい白い照明。


 何十人もの人が行き交っている。


 モニターの並んだ管制室のような場所。

 白衣の研究者。

 武装した人間。


 まるで映画の秘密基地みたいだった。


「……ここ」


 澪は呟く。


「何なんですか」


 神崎が答える。


「境界管理局」


 車は地下駐車場に停まり、三人は降りた。


 エレベーターへ向かう。


 扉が閉まり、上昇を始めた。


 澪は勇気を出して聞いた。


「……境界って、何ですか」


 神崎は少し考えた。


「簡単に言うと」


 指を一本立てる。


「この世界と、別の世界の境目だ」


「別の……世界?」


 九条が補足する。


「異界とか、幽界とか、呼び方はいろいろあるけどね」


「……」


「昔話の妖怪とか神様とか」


 九条は肩をすくめた。


「だいたい、そっちの住人」


 澪は呆然とした。


「そんなの……」


「信じられない?」


 九条が笑う。


「普通はね」


 エレベーターが止まった。


 扉が開く。


 そこは会議室のような場所だった。


 長いテーブル。


 壁には巨大なモニター。


 神崎は椅子を引いた。


「座って」


 澪は恐る恐る腰掛ける。


 九条がタブレットを操作した。


 モニターに映像が映る。


 日本地図だった。


 その上に、赤い点がいくつも表示されている。


「これが境界反応」


 九条が説明する。


「異界と繋がる裂け目」


 赤い点の一つが拡大された。


 山の中。


「ここ三ヶ月で急増してる」


 神崎が言う。


「今夜の駅も、その一つ」


 澪は地図を見つめた。


「じゃあ……」


「俺たちの仕事は」


 神崎が言った。


「そこから出てくる連中を処理すること」


 短く言う。


「人間社会に影響が出る前に」


 沈黙。


 澪はゆっくり聞いた。


「……どうして私をここに?」


 九条が微笑む。


「いい質問」


 彼女はリモコンを押した。


 モニターの映像が切り替わる。


 駅の監視カメラ映像だった。


 澪の心臓が止まりそうになる。


 影の獣。


 倒れたサラリーマン。


 そして――


 澪が振り向く瞬間。


 九条が一時停止した。


「普通の人間には」


 指で画面を指す。


「ここ、何も見えない」


 再生する。


 映像では、澪が何もない空間に向かって叫んでいるようにしか見えない。


「でも君は」


 九条が言う。


「正確に位置を見てる」


 神崎が腕を組む。


「つまり」


「君は境界視だ」


 澪は聞き返した。


「……境界視?」


「境界の存在を視認できる人間」


 九条は真面目な顔になる。


「全人口の……」


 少し考える。


「たぶん百万分の一くらい」


 澪は呆然とした。


「そんな……」


「しかも」


 九条は続けた。


「ただ見えるだけじゃない」


 彼女は神崎を見る。


「玲司」


「……ああ」


 神崎はテーブルの下から何かを取り出した。


 黒い石。


 拳ほどの大きさ。


「これ触って」


「え?」


「いいから」


 澪は恐る恐る手を伸ばした。


 石に触れた瞬間。


 頭の中に――


 声が響いた。


 ――帰れ。


 ――ここは人の場所ではない。


 澪は息を呑む。


「……!」


 手を離す。


「聞こえた?」


 九条が聞く。


 澪は震えながら答えた。


「……声が」


 神崎と九条が同時に目を見開いた。


 九条が小さく呟く。


「まさか……」


「どうしたんですか」


 九条は澪をじっと見た。


 そして言った。


「それ」


 ゆっくりと。


「異界語よ」


 澪の背筋に寒気が走る。


 九条は静かに続けた。


「境界視だけじゃない」


 神崎が低く言う。


「……理解者か」


 九条は頷いた。


「その可能性が高い」


 澪は混乱していた。


「理解者って……?」


 九条は少しだけ笑った。


 そして言う。


「異界の言葉を理解できる人間」


 静かな声。


「百年に一人いるかどうか」


 部屋が静まり返る。


 神崎は澪を見つめた。


 そして言った。


「決まりだな」


 澪は固まる。


「何が……」


 神崎は言う。


「雨宮澪」


 はっきりと。


「君を境界管理局の協力者として正式にスカウトする」


 澪の世界は、さらに大きく動き始めていた。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ