第一章 影の獣
ジャンル
現代日本 × 異界ファンタジー × 冒険 × 成長
舞台
2020年代の日本(主に東京・長野の山間部・異界)
主人公
雨宮 澪 19歳
大学一年生。歴史学科。
幼い頃から「見えてはいけないもの」が見える。
世界観
現代日本には、人間の世界と重なるように
「境界」
と呼ばれる異界の裂け目が存在する。
そこから現れる存在
妖
神の欠片
異界の獣
それを密かに管理する組織がある。
境界管理局
しかし近年、境界が急速に不安定化している。
原因は不明。
夜の駅というのは、どうしてあんなにも現実から少しだけ浮いているように感じるのだろう。
午後九時過ぎ。
中央線のホームには、帰宅を急ぐ会社員と、スマートフォンを見つめる学生がまばらに立っている。
春とはいえ、夜風はまだ冷たい。
雨宮澪はマフラーに顔を半分埋めながら、電光掲示板を見上げていた。
「……また遅延か」
表示には
中央線 5分遅れ
と出ている。
大学のレポート提出で図書館に残っていたせいで、すでに帰りは遅い。長野の実家を出て東京で一人暮らしを始めてまだ一ヶ月、夜の電車にはまだ慣れていなかった。
澪はため息をつく。
その時だった。
ふと、視界の端に黒いものが映った。
ホームの柱の影。
そこに、何かがいる。
澪は目を細めた。
(……まただ)
黒い影は、ただの影ではない。
動いている。
床に落ちた影が、ゆっくりと膨らみ、形を変えている。
人の形ではない。
獣のような輪郭。
長い腕。
歪んだ背中。
澪は視線を逸らした。
見ないようにする。
昔からそうしてきた。
小さい頃から、澪には見えるものがあった。
誰もいないはずの場所に立つ人影。
壁の中を歩く黒い塊。
夜道の向こうでこちらを見ている“何か”。
最初は怖くて泣いた。
母に話しても信じてもらえなかった。
だから中学に入る頃には理解していた。
見ないふりをすればいい。
それだけだ。
澪はスマートフォンを取り出し、画面に目を落とす。
SNSのタイムラインが流れていく。
その時。
背後で、ずるりと音がした。
湿ったものが床を擦るような音。
澪の背筋が凍る。
(……気のせい)
そう思おうとした瞬間。
ホームに立つサラリーマンが、ふいに体を震わせた。
「……え?」
男の足元の影が、突然膨らんだ。
そして――
影から腕が伸びた。
真っ黒な腕。
細長く、骨ばっている。
それが男の足首を掴む。
「うわっ!」
男はバランスを崩し、ホームに倒れた。
周囲の人間は気づいていない。
影はさらに膨らみ、獣の頭のような形を作った。
裂けた口。
鋭い牙。
澪の喉がひゅっと鳴る。
(……だめ)
これは今まで見てきたものとは違う。
明確な悪意。
影の獣は、ゆっくりと男に覆いかぶさる。
飲み込もうとしている。
澪の足が動いた。
「離れて!」
叫んでいた。
男の腕を引っ張る。
「え、ちょ、何――」
次の瞬間。
影が跳ねた。
澪の方へ。
空気が冷える。
影の口が大きく開いた。
(噛まれる)
そう思った瞬間。
――銀色の光が走った。
キンッ
硬い音。
影の獣が弾き飛ばされる。
澪は呆然と顔を上げた。
そこに立っていたのは、一人の男だった。
長い黒コート。
無造作に結んだ黒髪。
そして手には――
細身の剣。
男は淡々と影を見下ろす。
「……またか」
低い声。
影の獣は唸り声を上げる。
男は澪をちらりと見た。
「下がれ」
「え?」
「それ、一般人が触るものじゃない」
次の瞬間。
影が跳躍した。
男は動かなかった。
ただ剣を一閃する。
シュッ
空気が裂ける音。
影は真っ二つになった。
黒い霧のように崩れ、床に溶けて消える。
静寂。
澪は立ち尽くしていた。
男が剣を振る。
刃についた黒い靄が消えた。
それから澪を見る。
「……見えてたな」
「え」
「普通の人間は、あれが見えない」
澪の心臓が跳ねた。
男は少しだけ目を細める。
「珍しい」
そして、静かに言った。
「君、名前は?」
「……雨宮、澪です」
「そうか」
男は短く頷いた。
「俺は神崎」
少しだけ間を置く。
「境界管理局だ」
澪は聞き返した。
「……きょうかい?」
神崎はホームの床を見た。
先ほど影が現れた場所。
そこにはまだ、黒いひびのようなものが残っている。
「世界の裏側を管理してる組織だ」
そして澪を見た。
真剣な目で。
「君、ちょっと来てもらう」
「え」
「安心しろ」
神崎は言う。
「逮捕じゃない」
少しだけ口元を緩めた。
「スカウトだ。」
その時、電車がホームに滑り込んできた。
強い風が吹く。
澪はまだ理解できていなかった。
自分の人生が、今この瞬間――
大きく変わったことを。




