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アナザーウェルト  作者: 赤井直仁
幻想夢想 終わりと始まり
8/13

第8話 命の順番

 強烈な悪寒が、真の背筋をなぞった。

 理屈ではない。

 これはやばい。そう彼の直感が告げている。

「マダ……生キテル」

 無邪気とも取れる調子で、化け物が呟く。

 ぎこちない発音ではあったが、確かにそれは()()だった。

 目的が自分であることは、前例から疑いようがない。だが、校舎内で遭遇した不浄者とは、明らかに違うことが分かった。

 すぐに襲いかかってこない。ただ、静かにこちらを見ている。 

 まるで、どう弄び、どう壊すかを考えているかのようだった。

 真は視線を逸らさないまま、そっとレイの身体を引き寄せた。刺激を与えないよう、呼吸の音すら意識して、背負い直す。

(……行ける!)

 そう思った瞬間だった。

「何処ニイクノ……!」

 声が荒れ、巨大な腕が天井の穴から店内へ突き出された。瓦礫を砕き、無造作に空間を掻き回す。

 だが、腕を突っ込んだことで、化け物は中を見る術を失った。

 奇声を上げながら巨大な手は、苛立つようにただ闇の中を掴み続けている。 

 運がいいことに、その範囲に真はいなかった。近くにあった裏口から、真はレイを背負って飛び出す。

 逃げる場所は検討していない。ただ、少しでも化け物から遠くへ。

 その一心で真は走り出した。

 振り返り、化け物の様子を確認する。そこで初めて真は、それが赤ん坊の姿をしていることに気づいた。

 素っ裸の身体。

 へその奥から、しわくちゃの管が垂れ下がっている。化け物は、無我夢中で片手を平屋に突っ込み、泣き暴れていた。

 気色の悪い叫び声も、次第に赤ん坊の泣き声のように聞こえてくる。

 離れていく真の存在を、遅れて化け物は認知した。

 一度泣き止んだかと思うと、これまでにないほどの大声で叫び始めた。

 化け物が平屋から勢いよく腕を引き抜くと、その反動で屋根が綺麗に剥がれ、吹き飛んだ。

 あまりの怪力に、真は強い危機感を覚える。振り返るのをやめ、背後の泣き声を振り切るようにさらに足を速めた。

 化け物は、真を追おうと姿勢を変える。

 だが次の瞬間、その身体が思うように動かないことを悟った。赤ん坊の四肢は、逃げる獲物を追うにはあまりにも不自由だった。

 赤い月光の中で、真の背中は次第に小さくなり、溶けていく。

 それを追えない化け物は、その場に取り残されたまま、ただ声を上げる。虚しく響く泣き声だけが、崩れた建物の中に長く残り続けた。


 どれくらい逃げただろうか。

 あれだけ不気味だった赤ん坊の泣き声も、いつの間にか聞こえなくなっていた。

 気づけば真は、いくつもの住宅に囲まれた場所に立っていた。 

 その中で、すぐ近くにあった一軒に真は駆け込んだ。

 広く整えられたリビング。

 その中央に置かれたソファの上に、背負っていたレイを静かに下ろす。

 レイはまだ呼吸をしている。それを確認した瞬間、張り詰めていたものが切れ、一気に疲労感が真を襲った。

「疲れた……」

 吐息混じりの声が零れる。それでも。自分の仕事は終わっていない。そう言い聞かせるように、体に鞭を打ち、真は立ち上がった。

 少しの罪悪感を抱きつつ、家の中を探索する。そこで使えそうな数本の棒と裂けても問題なさそうな布切れを見つけた。

 以前どこかで見た、骨折の簡易的な手当の方法を思い出す。上手くできるかは分からない。それでも、試してみる価値はあると感じた。

 レイを刺激しないよう注意しながら、真は作業を始める。邪魔になっていたローブを脱がせ、当て木にした棒を布切れで包み込む。不器用ながらも、なんとか処置は形になった。


 しばらくして、レイが目を覚ました。

 化け物に襲われる直前の記憶が、フラッシュバックする。反射的にレイは飛び起きた。

「レイさん、安静にして!」

 真の言葉が届く間もなく、レイの体に激痛が走る。息が詰まるような苦痛に、レイはその場に固まってしまった。

 真は咄嗟にレイの肩を支える。

「大丈夫、大丈夫……動かないで」

 言い聞かせるように、何度も同じ言葉を繰り返す。どう声をかけるのが正しいのか分からない。それでも、このまま放っておくわけにはいかなかった。

 レイは歯を食いしばり、声を押し殺している。額には冷や汗が滲み、肩が小刻みに震えていた。

 真はそっと彼女をソファに横たえ、膝の下に丸めた布を差し込む。

「今は……じっとして。呼吸はゆっくりでいいですから」

 数を数えるように、真は自分の呼吸をわざと大きくした。

 それにつられるように、レイの荒れていた呼吸も、少しずつ落ち着いていった。

 しばらくして、レイはゆっくり目を開ける。

「……ごめん、取り乱しちゃって」

「いいえ。無理もないですよ」

 真は首を振る。

 レイは何度か深呼吸をしたあと、視線を天井に向けたまま呟いた。

「ポケット……右の方。鎮痛剤が入ってるはず」

「え、あ……わかりました」

 言われた通り、真はローブのポケットを探り、小さなケースを取り出した。

 中には錠剤が数錠入っていた。

「これを……一錠ちょうだい」

 差し出された薬をレイはそのまま飲み込んだ。

 数分後、レイの表情から、痛みの色がわずかに引いていく。

「……だいぶ楽になった」 

 そう言って、レイは真の方に顔を向けた。

「ありがとう。応急処置、ちゃんとしてくれてた」

「いえ……見よう見まねです」

「それでも十分だよ。普通なら、怖くて何もできなくなるものだから」

 その言葉に、真は視線を落とした。

「……僕には見捨てるって選択肢は、なかっただけです」

 少し間を置いて、レイは小さく笑う。

「変わった人だね、真くんって」

「そうですかね。僕にとっては普通のことですよ」

「普通……ね」

 静かにレイはその言葉を噛み締めた。

「……そういえば、化け物は?どうなったの?」

 思い出したかのように、レイは真に尋ねる。

「なんとかさっきの場所から逃げてきました。一応辺りにはその不浄者?はいないと思います」

「そう、それならよかった。ありがとう」

 レイはそう言って、安堵のため息を漏らした。

「今私達がいる場所はどこかわかる?おおよそでもいいから教えてくれると助かるよ」

「住宅街の中です。一生懸命走ったので方角とかは分からないですけど」

 その言葉にレイは少し考え込む。

「住宅街ね……」

「え、どうかしたんですか?」

 真が問いかける。

「いやまぁ、集合場所と逆方向に行っちゃったなって」

「え、わかるんですか?」

「こうみえて、暗記と地図の読解は得意分野なもので」

 横たわったまま、レイはドヤ顔をキメた。

「それはそうと、これからどうしようか決めないとね」

 腕を使い、背後の壁にもたれかかるようにレイは体を起こす。

「携帯デバイスは……多分さっきのところで落としちゃったかな」

 レイは軽くなったポケットに手を当てる。

「あとは、あたしの武器だけど……」

 地面に視線を落とすと、カーペットの上に一本の長い棒が転がっていた。

 綺麗に磨かれただけの、なんの変哲もない木製の棒。レイの意図を察し、真はそれを渡す。

「無事でよかった」

 棒を隅々と眺めながらレイが言った。

「それってさっき使ってた大鎌ですよね?」

「ん?そうだよ」

「けどただの木の棒に見えるんですが」

「これは正確に言うと大鎌の芯になるものだね。ちょっと説明が難しいんだけど、この棒が私の能力で武器になるって思ってくれればいいよ」

「なるほど……」

 現実味のない事象をなんとか納得して真は相槌を打った。

「まさかその武器で戦うわけじゃないですよね」

 不安な予感が真に走る。

「えぇ、そのつもりだよ」

「その足で何ができるんですか!レイさんは怪我人なんですよ!」

「これしきの怪我だって、あなたを一人安全に逃すことくらいできる」

「僕だけ逃すって……」

「そう、私を囮にあなたを逃すの」

 その発言に真は言葉を失った。

「……だからさ」

 レイは視線を逸らしたまま、淡々と続ける。

「私が囮になる。その隙に、真くんは逃げて。足はこの通りだけど、時間を稼ぐくらいならできる。だから……」

 言葉は落ち着いている。けれど、棒を握る指先だけが、わずかに強張っていた。

「嫌です」

 即答だった。

 話していたレイを遮るように、真は口を開く。

 レイは一瞬、言葉を失い、真を見る。

「おかしいですよ」

 真は、はっきりと言った。

「生きてるレイさんが、死んでる僕のために犠牲になるなんてダメです。そんなの、順番が逆です」

 レイの両肩を掴む。その指には僅かに力がこもっていた。

「あなたは今、ここにいる命を大事にしてください。僕のために、命を捨てないでください」

「それは……」

 レイは言いかけて、言葉を切る。

 反論なら、いくらでもあった。

 今まで何度も同じ選択をしてきた。

 これが正しい。これしかない。

 そう思っていたはずだった。

(命を大切にしてほしい)

 今さっき出会ったばかりの青年の言葉が胸に引っかかって離れない。その声は、これまで密かに押し殺し、否定してきた感情を、静かに呼び起こした。

「……」

 棒を握る手に力が入る。自分でも驚くほど、その手が震えているのがわかった。 

「……わかった」

 しばらくの沈黙のあと、レイは小さく息を吐いた。

「一つ、条件がある」

 視線を真に戻す。そこには、何かを決意したような強い意志が宿っていた。

「私の指示には従って。絶対ね」

 真は迷わず頷く。

「はい。わかってますよ」

「一人で逃げるんじゃない。絶対に、二人で。生きてここを出よう」

 その言葉に、真は初めて笑った。


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