第7話 青い瞳の少女
突然の部外者の登場に、真は困惑して固まった
「大丈夫?怪我はない?」
気を遣うように、女の子が顔だけこちらに向けて声をかける。
青色の瞳が見えた。とても綺麗で力強い瞳だった。
「え……あ、うん。だ、大丈夫」
「ならよかった。ちょっと待ってて」
無事を確認すると女の子はすぐに、視線を目の前の化け物たちへ戻した。
荒い鼻息と唸り声を響かせながら、化け物たちが睨みつけてくる。それに対し、怯える様子も見せず、女の子は手に持った大きな鎌を構えた。
『煙技・霧雨ノ刃』
詠唱と同時に大鎌の刃が一瞬で煙に溶ける。女の子は構わず地面を蹴った。
急速に双方の距離が縮まる。咄嗟に化け物たちが攻撃を繰り出すがかすりもしない。
次の瞬間、女の子は鎌の柄を勢いよく振り抜いた。
湾曲した刃の形をした煙が、音もなく彼らを撫でるように通り過ぎた。
「ふぅ、こんなもんかな」
満足げに呟くと、煙はいつのまにか刃へと戻っていた。
無傷な自分たちの身体に、化け物たちは違和感を覚える。だが、それよりも目の前の女の子を襲う欲求の方が勝っていた。
無防備な背中に奴らは手を伸ばす。
しかし、それが彼女に届くことはなかった。
鈍い音が床に響いた。
伸ばしていたはずの化け物たちの手が、無造作に転がっているのが見えた。
次の瞬間、視界に切れ込みが走る。ずれ始める景色の中で、彼らはようやく自分が斬られたことに気がついた。
崩壊したジェンガのように次々と倒れ伏す。
気味の悪かった奴らは、ただの肉片となってその場に転がっていた。
「ねぇ君!大丈夫?」
呆然と立ち尽くす真のもとへ、女の子が駆け寄ってくる。
「え、あ!はい」
「よかった。立てそう?」
手を差し出された手を取って、真は立ち上がった。
背中が大きく頼りがいのある女の子。しかし実際は自分より小柄だったことに真は少し驚いた。
「無事で安心したよ。まさかと思って来てみてよかった」
安堵したように彼女は息を吐く。
しかし、遠くから再び唸り声が響いた。
「ここにいたら危ないし、一旦離れるよ。走れそう?」
頷くのを確認すると、女の子は彼の手を引いて、は走り出した。
教室棟から管理棟、そして昇降口へ。幸い化け物に遭遇することもなく、二人は校舎から抜け出た。
グラウンドには、数体の化け物の姿が見える。奴らはこちらに気づかず、立っていたり目的もなく闊歩していたりしていた。
異様に大きな頭、突き出た腹、異常に高い身長、四足歩行の犬型。一括りにしても、その姿は実に様々だった。
それらを横目に校門を抜け、二人は近くの平屋へ駆け込んだ。
見慣れた看板と文字列。しばらく凝視して、真はそこが通い慣れたコンビニだと気づいた。
店内は荒れ果てていたが、不思議なほど静かだった。
壊れた蛍光灯が赤い月光を反射し、微かに軋む。倒れた商品棚と散乱する商品をどかし、二人は腰を下ろした。
棚にもたれかかりながら、切らした息を整える真に、女の子が何かを差し出した。
「よかったら飲む?」
差し出された容器の中から、微かに水音が聞こえる。礼を述べて受け取ると、真は一気に喉を潤した。ようやく思考が追いつく。
真は周囲を見渡す。
見覚えのあるレジ、床の模様。間違いなく、ここはあの時最後に立ち寄ったコンビニだ。
だが、ガラス越しの街並みはまるで違っていた。
人も車もいない、赤い月光に照らされた静寂だけの世界。
「ほんと、なんだよここ……」
「模倣された世界、とでもいうのかな」
謎めいた言葉に真は女の子へ視線を向けた。
「何か知っているんですか?」
「まぁね、私も長いし。本来君のような魂は関わることがないはずの世界なんだけど、見ちゃったらなぁ」
「何か知ってるのなら、教えてください。ここはなんなんですか」
真の目は真っ直ぐで真剣だった。
その視線に押されたのか、女の子は少し考えるように視線を泳がせる。
「一言で言うってなると難しいんだよね〜」
「難しい?」
「一応ここは君の知っている世界と完全に別って訳じゃないのさ」
真は眉をひそめた。
「模倣された世界、って言ってましたけどそれと関係があるんですか?」
「そう。ここは君の生前の世界を模倣して作られた偽物の世界だからね」
女の子は淡々と答える。
「今さらになるかもしれないけどさ。君、自分が死んでいるって自覚ある?」
こくりと真は頷いた。それを見て女の子は安心した。
「たまにね、死を自認していない魂と出会うこともあるから。こうして保護はできるけど彼らの介抱が得意じゃないからさ」
「保護、ですか。さっきの化け物からですよね」
「そ、あいつらは『不浄者』と言って、ここの世界の住人なの。君もわかっているだろうけど、奴らはものすごく危険だから」
「住人って……、あんな奴らがわんさかいるってことですよね」
「そうね。放っておくと色々とよくないし、君みたいな迷い込んだ人が食われるしさ」
「……食われる?」
言葉の重さに、真の声が掠れる。
「君みたいなのが」
その一言で、鼓動が一気に強まったのを感じた。
「ちょっと待ってください。迷い込んだ、って……」
「そのままの意味だよ」
女の子は真を見つめ、少しだけ声を落とす。
「ここに来ないはずの存在が、たまに来る」
「それが……僕?」
「ま、そういうこと」
しばらく、沈黙が続いた。
知らなかったとはいえ、ロビーで出会ったあの女性に言われるがまま、自ら飛び込んだとは、口が裂けても言えなかった。
後悔という二文字が真の中で静かに揺れ始める。
「……あなたは、誰なんですか」
そう尋ねると、女の子は一瞬だけ目を丸くした。
「あ、そういえば名乗ってなかったね」
姿勢を整え、改めて向き直る。
「私はレイ。この辺りを担当してる、調査隊....みたいなもの。気軽にレイって呼んでくれて構わないよ」
「調査隊……ですか」
「まぁ正式名称は別にあるけど、別にいいや」
そう言って、レイと名乗った女の子は真を見据えた。
「君は?」
「僕は神谷真です」
「真、ね」
小さく頷く。
「じゃあ真くん。今から言うこと、ちゃんと聞いて」
「……はい」
真剣な眼差しに真の背筋が自然と伸びる。
「今から……」
その言葉を、大きな呼び出し音が遮った。
慌ててレイはポケットからデバイスを取り出す。ボタンを押すと、軽快な電子音と共に男性の声が響いた。
「おぉ、レイ!そっちは大丈夫か?連絡がなくて心配したぞ」
「あ、連絡が出来てなくてすみません、ハルトさん。色々とバタバタしちゃって」
「お、なんかあったの?」
「こっちでのパトロール中に、迷い込んだ魂者を一人保護しました」
「まじか!レイの言う通り本当にいたんだな。すげぇや」
スピーカー越しの男性、ハルトは興奮して声を張り上げる。
「それで、こっちに戻ってこれそうか?」
「そうしたんですが、この辺りの汚染度が高く、思いの外に不浄者の数が多くて、今は身を隠してるところです。ハルトさん、どこかで落ち合えたりしませんか?」
「マジか、了解!隊長と他の隊員に声かけて一旦合流しよ。場所はとりあえず近いとこにするわ。すぐに場所を決めて座標送るな」
「助かります」
「オッケー。無理しない範囲でよろしく頼むぞ」
ぷつりと通信が切れた。
数秒後、ピピッという電子音と共にデバイス上にホログラムが映し出された。
「ん〜、ここから北東に二百メートルくらいか」
縦横に引かれた線の中で点滅する赤い丸を見つめ、レイは呟いた。どうやらマップだと真は理解した。
「すげぇ〜」
ホログラムを見つめる真の目は輝いていた。まるで新しいおもちゃを見つけた子供のような彼の姿に、レイは優しい笑みをこぼした。
ガタン……
突然、どこかで物音がした。
耳を澄ませなければ、気のせいだと済ませてしまうほどの小さな音。
「……?」
真が顔をあげるよりも早く、レイが反応した。手にしたデバイスの電源を強制的に切る。
「レイさん……?」
問いかけても返事はない。
レイは視線を動かさないまま、姿勢を僅かに低くする。彼女は何かに気づいている様子だった。
しかし、真はまだ状況を理解できていない。何が起きているのか。なぜ空気が張り詰めたのか。
ただ、彼女を見守ることしかできなかった。
辺りは、異様なまでに静まり返っていた。
先ほどまで微かに聞こえていた唸り声も、崩れた建物の軋みもない。
あるのは……。
「……!」
ほんの一瞬。
空気を切り裂くような、微かな風音。
「伏せ……!」
レイの叫び声は最後まで続かなかった。
咄嗟に彼女は真を力任せに突き飛ばす。
真の視界が反転した。
次の瞬間。
爆音と共に、真がいた場所へ天井が押しつぶされるようにして降ってきた。
粉塵と破片が舞い、視界を遮る。
突き飛ばされたおかげで、真に怪我はなかった。
気づけば、天井が低くなっていた。
砂埃の中、真は目の前に倒れる人影を確認する。
「……レイ、さん?……レイさん!」
呼びかけると、わずかに彼女の指が反応した。
胸の奥に溜まっていた息を、ようやく吐き出す。
「よかった……」
顔は青白いが、呼吸はある。
意識を失っているのか、瞼は閉じられたままだった。
真は彼女の身体に視線を落とす。
脚。
瓦礫の下敷きになった脚は、明らかに折れていると分かる。
触れようとして、真の手が止まる。どうすればいいのか、何一つ分からない。
その時だった。
「死ンジャッタ……ノカナァ」
低く、粘つくような声が、瓦礫の向こうから響いた。
真は、恐る恐る顔を上げる。
崩れた天井の瓦礫の山の上。
そこには、巨大な手があった。
人のものとは思えないほど歪み、黒く濁った指が、無造作に瓦礫を掴みしめている。
その現実離れしたその大きさに真は言葉を失った。
がらり、と瓦礫が音を立てて崩れた。
丸く開いた天井の向こう。
赤い月光に照らされ、巨大な顔が、こちらを覗き込んでいた。
値踏みするような視線。
そして、何かを理解したかのように、口元がぎこちなく歪む。
それは、笑顔の形を思い出そうとして失敗した歪さをしていた。




