第3話 ロビー
目を覚ますと、真はソファに腰掛けていた。
場所は見知らぬ廊下の真ん中。幾何学模様の絨毯の上に、西洋風のランタン型照明と高級そうな花瓶が延々と左右対称に並んでいる。それは、合わせ鏡のようにどこまで行っても同じ景色が続いていた。
そして目の前には重厚なレリーフが彫り込まれた大きな扉が一つ。
「あれ……?」
真は胸の辺りに微かな違和感を覚え、自分の体に触れてみる。手は物を掴め、足は透けていない。制服もそのまま。そして、刺されたはずの腹部には、傷どころか血の跡すらなかった。
「俺、さっき刺されたよな……」
無傷の自分と、この現実味のない空間。状況は霧の中で、答えはひとつも見えてこない。募る疑問と苛立ちのまま、真は、ソファに向かって身を投げるように倒れ込んだ。
ガチャッ。
目の前の扉が開く。
中から、三十代くらいのおちゃらけた雰囲気の男性が現れた。紺と白のスーツに縁なしメガネ。いかにもホスト然とした格好で、にこやかな笑みを浮かべていた。
「大変お待たせいたしました。神谷真くん、で間違いないですか?」
「……はい」
「ありがとうございます。ではこちらへどうぞ」
促されるまま、真は部屋へ足を踏み入れる。二人用の応接テーブルを囲む椅子が二脚。壁には絵画が一枚。必要最低限だけが整えられた簡素な部屋だった。
「さあ、この席に座ってください」
男性の向かいに腰を下ろすと、男性は名刺を差し出した。
「では、まず初めに、今日から君の担当をすることになった、アルベルト・カナタと言います。よろしくね」
オストリッヒ省ジャーハン区死後生活サポート課、アルベルト・カナタ。
見慣れない肩書きの中で、真の視線を釘付けにする一語があった
死後
胸の奥がぎゅっと苦しくなる。
「やっぱり……俺、死んだんですか?」
「うん、死んだよ」
あっさりと告げながら、アルベルトは数枚の書類を広げる。
「殺人犯に腹部を刺され、出血多量で死亡……。かなり辛い最期だったね」
十八時十六分、死亡。
書類には淡々と事実だけが記されていた。
「まぁ……そうですよね」
真正面から突きつけられる事実に、真は反論する気力も残っていなかった。
「そんなに落ち込まないで。死んだからといって、君の全てが終わったわけじゃないさ」
慰めの言葉の意味が理解できず、真は戸惑う。
「……どういうことですか?」
「その質問を待っていたよ」
嬉しそうにアルベルトはまたパンフレットのようなものを取り出した。
表紙には、「死後のすすめ」と堂々と書かれていた。
アルベルトはそのパンフレットを広げながら、説明を始めた。
この世界では、生き物の魂は死後に生まれ変わる仕組みになっている。
しかし、死んですぐに転生すると、魂に大きな負担がかかり、最悪の場合、魂が消滅する可能性がある。そのため、転生までの「クールタイム」を過ごす休息地が必要だった。
そうして設けられたのは、この「クエスウェルト」。魂が安らぎ、次の人生へと向かう準備をする場所だという。
「……という訳で、その生活のサポートをするのが、我々死後生活サポート課なのです」
アルベルトは明るく締めくくったが、真の理解は追いついていなかった。
「えっと、もう少し簡単に、お願いします……」
「ハハハ。要するに、君には転生するまでここで暮らしてもらうってだけさ」
「ここって、このホテルみたいな変な空間で?」
「いやいや、ここは受付ロビー。本当の居住区域はもっとちゃんとしているよ」
そう言って見せられた写真には、緑に囲まれた穏やかな街並みや滝、古城などの景色が並び、真は思わず感嘆の声を漏らした。
「ありがとうございます。なんか少し興味が湧きました」
「良かった!」
嬉しそうに笑うアルベルトに、真の口元も自然とゆるむ。
(拓人と寧々も一緒だったらな…….)
ふとよぎった思いが胸を締め付ける。真は込み上げた涙を慌てて拭った。
「真くん、大丈夫かい?」
「……大丈夫です」
「ならいいのだけど。何かあったら気軽に相談してな。死後生活サポート課は生活面だけでなく、メンタルケアもサポートの一環になってるからさ」
「はい、ありがとうございます」
「じゃあ、まずはこれらの書類に記入してもらおうかな」
数枚の書類に目を通し、真は名前を署名する。
「これでいいですか?」
「うん、これで大丈夫。一旦手続きは完了だね」
アルベルトは書類を揃え、トントンと軽く整えた。
「それじゃあ、居住区域を……」
その瞬間だった。
真の左手側。絵画が掛かっていた壁が、轟音とともに弾け飛んだ。爆風と瓦礫に叩きつけられ、アルベルトは反対側へと吹き飛ばされる
真も風圧で転がったが、辛うじて大きな怪我はなかった。代わりに、立ちこめる砂埃で視線が白く染まる。
「あらら、ちょっと派手にやりすぎちゃったかな?」
砂煙の向こうから女性の声が聞こえた。
恐る恐る目を開けると、破壊された壁の向こうに一人の女性が立っていた。
紫がかった柔らかな髪。青と黒のタイトなドレスに羽織りを纏い、上品でありながら、どこか妖しい雰囲気の女性だった。
「久しぶりにこの力を使うと、ほんと力加減が難しいわね」
女性は愚痴をこぼしながら、スカートについたホコリを払った。
真は言葉も出ず、その場で固まってしまう。それを感じたのか、女性は顔を上げ、真と目が合った。
その瞬間、表情がぱっと明るくなった。
「お、やっと見つけたよ」
少女のように嬉しそうな笑みを浮かべ、女性はそう言った。




