第13話 合流
「……!」
誰かに呼ばれている気がした。
聞き覚えのある人の声。真は記憶を探るが、感じる心地良さがそれを邪魔した。
「……ん!ねぇ……め……して‼」
体が揺らされる感覚がする。そのせいで、意識がゆっくりと水面に浮かんできた。
ゆっくりと目を開ける。赤い背景の中、微かに人影があるのが感じられた。
「ん……?」
小さく声を漏らす。
途端、人影がグッと距離を詰めてきた。
「真くん!」
黒い髪に青い瞳が見える。この瞳に真は心当たりがあった。
「……レイ?」
名前を呟く。
すると、突然上半身が持ち上がる感覚がした。
「うわぁぁぁぁん!やっと目を覚ましたぁぁぁ!」
泣き叫ぶレイの声。それと共に真は彼女に抱きしめられた。
「……ちょっ!待って……!」
強烈な圧迫感が彼を襲う。声にならない悲鳴をあげたが、力が緩む気配は無かった。
「レイ、ほどほどにしてやれ。怪我人だぞ」
ため息と一緒に男性の声が聞こえた。
それを聞いて、思い出したかのようにレイは手を緩めた。
「ご、ごめん!」
腕が離れた瞬間、真は前のめりに体を折った。
「ごほっ……げほっ……!」
「だ、大丈夫!?」
「……た、多分……」
掠れた声でそう返すと、再度咳が込み上げる。その息苦しさが、生きているということの実感を証明していた。
しばらくして、真はようやく咳を収めた。
浅く乱れていた呼吸を、ゆっくりと整えていく。胸の奥に残っていた苦しさが、少しずつ引いていった。
顔を上げ、辺りを見渡す。
そこは先ほどまでの病室とは違い、赤い月に照らされた、見覚えのある空間だった。
自分が戻ってきたのと、真は遅れて理解した。
すぐ近くには、肩を落とし、申し訳なさそうに視線を伏せているレイの姿が見える。さっきまでの勢いはどこへやら、まるで叱られた子どものようだ。
そして、その後ろ。
彼女以外にも、数人の人影があることに気づいた。
男女合わせておよそ三人。起き上がった真に視線を向けていた。
「起こし方が激しすぎるんだよ、レイ」
携帯デバイスを片手に、瓦礫に腰掛けていた男性がレイに話しかけた。
「だって心配だったんですもん!」
「そうかもだけどよ」
呆れて男性はため息を漏らす。
糸目にメガネ、センター分けの少し長めの髪。その声に真は心当たりがあった。
「もう、ハルトさんは細かいんですから」
レイは唇を尖らせ、むっとしたように返す。
「細かいんじゃなくて、常識」
ハルトと呼ばれた男性は、肩をすくめた。
「レイ自身もそうだけど、彼は一応怪我人なんだぞ。負担かけて悪化しちゃったらどうするんよ」
「それはそうですけど……」
何か言いたげにレイは語尾を濁す。だが、言葉は見つからず、彼女はしょんぼりと縮こまった。
「うちのレイが申し訳ないっす」
二人の様子を見ていたバンダナを額に巻いた青年が真に声をかけた。
オレンジのメッシュが入った短髪。背格好や声から、自分とそう変わらない世代の子だと真は推測した。
「まぁまぁ、ハルトくん」
今度は柔らかな声が、二人の間に割って入った。
「レイちゃんも悪気があったわけじゃなさそうだし、あんまり責めないであげて?」
声の主は、ハルトの後ろから現れた。
パーマのかかった金髪に、どこか眠たげな垂れ目。全体的にふわりとした雰囲気を纏った女性だった。
「……分かってますよ」
ハルトは肩をすくめる。
「ただ、加減ってもんが……」
「うぁぁん、グレイスさ~ん!」
次の瞬間、レイが勢いよくその女性に飛びついた。
話を遮られたハルトは少し拗ねた表情を見せた。
「はいはい、よしよし」
グレイスと呼ばれた女性は慣れた様子でレイの頭を撫でる。
「大丈夫だよ〜。心配になる気持ちも分かるしね」
その様子を見て、バンダナの青年が小さく笑う。
「グレイスさんって、ほんといつもレイに甘いっすよね」
「だって、レイちゃんは私のかわいい妹みたいなものだし?」
グレイスはくすっと笑って、今度は彼に視線を向けた。
「イオリくんもどう? ヨシヨシしてあげよっか?」
「い、いや……!」
イオリと呼ばれた青年は慌てて手を振った。
「もうそんな年じゃないんで、遠慮しておくっす……」
「えー、残念」
一連のやり取りを眺めていたハルトが、深く息を吐く。
「……はぁ。わいわいするのはいいけどな」
赤い月と瓦礫に囲まれた周囲を一瞥して、続けた。
「ここが戦場だってこと、忘れるんじゃねぇぞ〜」
「「「はーい」」」
三人の返事は揃っていて、どこか気の抜けたものだった。
その様子は、死と隣り合わせの場所にいることを、ほんの一瞬だけ忘れさせるほどだった。
ほのぼのな雰囲気の余韻の中、真は一人蚊帳の外だった。
それを察したのか、レイが話しかけてくれた。
「さっきはごめんね。体調とか体の調子はどう?」
「少し痛みますが、今はなんとか大丈夫です」
答えながら、真はレイの足に視線を移す。
「足、大丈夫ですか?」
「え、あー」
思い出したかのように、レイは続けた。
「一応、さっき綺麗に手当てし直してもらったよ」
そう言って彼女は手当てされた足を見せる。不器用でぎこちない応急処置から、いつのまにか綺麗な包帯とギプスに変わっていた。
「さすがに激しい運動はできないけど、立ったり歩いたりは全然出来るようになったよ」
「よかった、です」
真は安堵のため息を溢した。
「ねぇ、真くん」
レイは真っ直ぐ真を見つめる。
綺麗な瞳と、可愛らしい顔を前に、思わず真は少し頬を赤らめた。
「改めて言うけど、色々助けてくれて、ありがとね」
純粋な感謝の言葉に、真は一瞬だけ言葉を失った。
「……いえ」
視線を逸らしながら、小さく答える。
「俺は、ただ……普通のことをしたまでですよ」
「またまた〜」
軽い声が割り込んだ。
「未知の化け物から逃げず、堂々と立ち向かうのが普通なわけがないっすよ」
真へ目線を向けて、イオリが言った。
「確かにそうね」
グレイスもくすくすと笑う。
「君って、見た目より根性あるよね〜」
話題が自分に向いたことで、真は戸惑いながらも、少しだけ居心地の悪さが薄れるのを感じた。
「……歩けそうか?」
不意に、ハルトがこちらを見る。
「ここからは少し移動することになるんだけど」
「はい。たぶん、大丈夫です」
少し迷ってから、真はそう答えた。
「了、解」
ハルトはそれだけ言うと、視線を真から外した。
「もう少ししたら出発しようかと思う」
隊員に向かって今度は声を張り上げる。
「俺は帰還ルートの最終確認をする。レイは彼のサポートに」
「はい!」
「一応レイも負傷者ではあるから、グレイスはレイの様子を見つつ補助してほしい」
「任せて」
「最後にイオリ。部隊後方で周囲の警戒をお願いしたい」
「了解っす」
ハルトの指示に順々と返事を返す三人。
少し前までほのぼのとしていた空気が、一気に引き締まった。
彼らは武器を持った一部隊であるということを、真は静かに再認識した。
「あとは隊長のあいつなんだけど……」
そう呟いて、ハルトは誰もいないところに視線を送る。それに合わせて、真は辺りを見渡した。
立ち並ぶ鉄骨の柱に、平らに広がるコンクリートの床と天井。そこに停まってある数台の車から、ここが立体駐車場と推測できた。
その奥。
鉄骨柱の向こうから、規則正しい足音が鳴り始めた。
「やっと戻ってきたか」
「噂をすれば、っすね」
ハルトとイオリの短いやり取り。
同時に、真の中の緊張が糸を張る。少しだけ鼓動が速くなるのを感じた。
まもなく、その場にいた全員の視界に、人影が映り込んだ。
男性。
ひと目で分かる、戦う人間の容姿だった。
鍛え上げられた体躯。背中には身長ほど大きさの剣を背負っている。
短く整えられたパーマのかかった髪に、顎には無精ひげ。
そして、右頬に走る、はっきりと残る火傷の痕。
正直に言えば、かなりいかついと感じた。
初対面で話しかけるには、少し勇気が要る見た目だった。
が。
「よっ、お待たせ」
そう言って、男は気さくに笑った。
拍子抜けするほど柔らかな笑みだった。
「遅いぞ、クロノ。どんだけ待たせているか、わかってんのか?」
「すまんすまん。ちと、不浄者に出くわしちゃってよ」
呆れるハルトに、クロノと呼ばれた彼はへらへらとした笑みを返す。
「え、大丈夫だったんっすか、隊長」
「そりゃ、余裕よ。ぱぱっとやっちまったわ、ガハハ」
心配そうに尋ねるイオリだったが、それを彼は笑ってはねのけた。
(……この人が、隊長)
帰ってきた隊長を出迎えているその様子を、真は静かに眺めていた。
隊長というからには、規律正しく、厳格な人物だと思い込んでいたが、実際は真反対であった事実に真は拍子抜けした。
威圧感でなく、安心感。
部隊が和やかだったのは、彼のおかげなのだろうと、真は思った。
「うちの隊長はああいう感じの人だから」
そんな真の様子を察したのか、レイが囁いた。
「君だけじゃないからね。彼との初対面の時に私も驚いたから」
グレイスは真にやさしい笑みを向ける。
見た目とは裏腹なその人柄に、真は静かに息を吐いた。
この人が隊長なら、この部隊が崩れない理由も、少しだけ分かる気がした。
「……それはそうと」
思い出したかのように、クロノは真のほうへ視線を向けた。
不意に視線が重なる。真の心臓が、強く一拍跳ねた。
「君が噂の魂者の少年か」
魂者。
真のような魂を指す言葉らしい。
「え、あ、はい!」
「へぇ~」
ゆっくりとクロノは真に歩み寄る。
近づいてくる巨体。その圧に、思わず真は固唾を飲み込んだ。
「君が……ね」
何かを含ませたようにクロノは呟き、真を見つめる。
それは単なる観察ではなかった。
目の前の存在が危険か否かを分析し、値踏みするような視線だった。
「隊長、顔怖いっすよ」
イオリの一言で、クロノは我に返った。
「すまんすまん。悪かったな、少年」
そう言って、咄嗟にさっきの明るい表情へ戻す。
「俺はクロノ。この部隊の隊長を務めている」
軽い自己紹介とともに、クロノは手を差し出した。
それに応じるように、真も手を伸ばし、握り返す。
「僕は、真って言います」
「真だな。短い間にはなると思うが、よろしくな!」
そう言うなり、クロノは掴んだ真の手をぐいと引き上げた。
「わっ!」
情けない悲鳴が漏れる。
座っていたはずの体が、一瞬で引き起こされた。
そのあまりの力強さに、真は内心で驚きを覚えた。
「ちょっとクロノさん、一応彼は負傷者なんですから、あんま乱暴にしないであげて」
「え、あ、すまん」
レイの咎めるような声に、クロノはばつが悪そうに頭をかいた。
豪快な態度とは裏腹に、叱られると素直に引き下がるあたりが、この部隊の隊長らしさなのだろう。
引き上げられた反動で、真は思わずよろめいた。
すぐに足に力を入れ直し、どうにか体勢を保つ。
思った以上に体は動いたが、ずっと座っていたせいか、体が凝り固まっているような気がした。
「大丈夫か?」
今度はクロノが、少し声の調子を落として尋ねてくる。
「だ、大丈夫です」
反射的にそう答えながら、真は自分でも驚くほど、落ち着いた声が出ていることに気づいた。
さっきまで感じていた威圧感は、もうほとんどなかった。
そのやり取りを見て、レイが小さく安堵の息を吐いた。
「ほんと、色々雑なんだから」
レイの呆れたような言葉に、場の空気が少し緩む。
「って言いながら、さっき加減なく抱きついてたのは誰っすかね〜」
背後から飛んできたイオリの軽口に、レイの眉がぴくりと動いた。
「……イオリ。今、なんか言った?」
にこりともせず、鋭い視線だけが彼に向けられる。
イオリはそれ以上何も言わず、さっと顔を背けて知らんぷりを決め込んだ。
露骨な態度に、ハルトは深くため息を吐く。
「お前らな……」
一方で、グレイスはその様子を眺めながら、どこか楽しそうに微笑んでいた。
まるでじゃれ合う兄妹を見守るような、穏やかな表情だった。
「……そろそろ行くぞ」
空気を切り替えるように、ハルトが一歩前に出た。
軽口の飛び交っていた場が、自然と静まる。
それぞれが無言のまま、自分の装備や立ち位置を確認し始めた。
「役割はさっき言ったとおりな」
ハルトは短く言い切る。
対して隊員たちは元気よく返事を返した。
が。
ひとりだけ、真は首をかしげた。
「あの……」
おずおずと声を上げる。
「行くって……どこに、ですか?」
一瞬、場が静まった。
次いで、ハルトがゆっくりとレイに視線を向ける。
「……レイ」
「は、はい?」
「まだ説明してなかったのか?」
レイは一拍置いて、はっとしたように目を見開いた。
「あ……!ご、ごめん!」
「ったく……」
ハルトは呆れたように息を吐く。
「今から行く目的地はな」
そう前置きしてから、クロノが真のほうを見て笑った。
「君が本来行くはずだった場所。安息の世界、クエスウェルトだ」
「……クエスウェルト」
真は、その名を小さく反芻した。
ロビーで聞いた、あの世界。
死後の魂が辿り着くという、安息の地。
話として聞いていた場所が、今や目的地として目の前に置かれている。
胸の奥で、わずかに高鳴るものを感じた。
(……いよいよ、行くんだ)
不安がないわけではない。
けれどそれ以上に、知らない世界へ踏み出すことへの期待が、確かにあった。
「じゃ、行こっか」
レイが、いつもの調子で声をかける。
赤い月の下。
真はその一歩を、部隊と並んで踏み出した。




