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アナザーウェルト  作者: 赤井直仁
幻想夢想 終わりと始まり
12/14

第12話 三日目の目覚め

 目を開けると、そこには知らない天井があった。

 白く、どこか無機質なその天井が、妙に現実的で、それがまず真を戸惑わせた。

 暖かな日光が、カーテンの隙間から顔を照らす。眩しさに耐えきれず、反射的に目を閉じる。

(……ん?)

 胸の奥に、かすかな違和感が走った。

 考えるよりも先に、真は勢いよく上体を起こす。

「痛ッ……!」

 瞬間、腹部に鋭い痛みが走り、思わず声が漏れた。

 遅れて、身体がまだ思うように動かないことに気づく。視線を落とすと、薄手の病衣に身を包まれている自分がいた。

 その下、腹の辺りには、きつく巻かれた包帯。

(……あ)

 心当たりが、はっきりとあった。

 通り魔の男に刺された、あの時の、あの場所だ。

 ゆっくりと息を吸い、周囲を見渡す。

 白とベージュを基調にした、落ち着いた色合いの部屋。

 点滴台、カーテン、壁際の棚。

 どう見ても、どこかの病院の一室だった。

 赤い月に照らされた殺伐とした世界でもない。

 花と緑に包まれた、あの不思議な庭園でもない。

 ここは、現実だ。

「……生きてる」

 確かめるように、真は小さく呟く。

 その言葉が、喉を震わせて外に出たことに、少しだけ安心した。

 廊下の向こうから、足音が聞こえた。規則正しく、こちらへ近づいてくる音。

(……誰だ?)

 反射的に、真は音のする方へ顔を向ける。だが、その瞬間、足音はぴたりと止んだ。

 代わりに、ドアのすりガラスに、人影が映る。

 心臓が、どくりと跳ねた。

 身体の奥で、まだ抜けきっていない緊張が、ざわりと動く。

 真は無意識に、拳を握っていた。

 上体を少し起こし、逃げ場を探すように視線を巡らせる。

(……落ち着け、俺)

 そんな思考を遮るように、ドアが静かに開いた。

「真さ〜ん、おはようございま〜……」

 明るい声と共に現れたのは、白衣姿の女性看護師だった。

 だが、彼女は真と目が合った瞬間、言葉の途中で固まる。

「……す」

 残りの一文字を小さく漏らす。

「……おはよう、ございます」

 真は一瞬迷ってから、ぎこちなく笑ってそう返した。

 数秒の沈黙。

 次の瞬間、看護師ははっと我に返ったように目を見開いた。

「え、あっ……! め、目、覚めてますよね⁉」

「え、はい!」

 テンパる彼女に釣られて真も元気よく返事する。

「す、すぐ先生呼んできますね!」

 一方的にそう言い残し、彼女は慌ただしく部屋を飛び出していった。

 部屋に残される真。しばらくそのドアを見つめたまま、力を抜いた。


 しばらくして、白衣を着た医師が病室に入ってきた。

 落ち着いた足取りと、穏やかな表情。年齢は五十代半ばくらいだろうか。

「目が覚めたと聞いてね。体調はどうかな?」

「……正直、まだよく分からないです」

 正直な感想だった。

 痛みはある。けれど、それ以上に、頭が現実に追いついていない。

 医師は小さく頷き、首に掛かっていた聴診器で真の診察し始めた。

「君は三日ほど、昏睡状態だったんだよね」

「……三日」

「搬送された時は心肺停止の状態でね。もう手遅れかと思っていたよ」

 淡々と告げられる言葉に、真は息を呑んだ。

「とはいえ、色々と処置が間に合ったおかげか、今こうして話せているからよかったよ」

「……色々とありがとうございます」

「いやいや、私は当たり前のことをしたまでさ」

 医師はそう言って、真をまっすぐ見た。

「傷の状態や心拍は安定してきているけど、まだ無理はできない。経過観察のためにしばらく入院しようか」

「……はい」

 返事はできたが、胸の奥がざわつく。

 死んだはずだったという感覚が、言葉として現実に突きつけられた気がした。

 思い出そうとすると、胸の奥がわずかに冷えた。

「いや、本当にね」

 医師はふっと息を吐き、苦笑混じりに続ける。

「君は、ほんと、()()()()()だよ」

 その言葉に、真は思わず視線を逸らした。

「……そんな、大げさな」

 口元だけで、苦笑いを作る。

 何かを察してくれたのか、医師はそれ以上深く追及しなかった。

「今日は無理せず、しっかり休みなさい」

 そう言って、彼は席を立ち上がった。


 医師が病室を出ていくと、室内は急に静かになった。

 聞こえるのは、点滴が落ちる微かな音と、遠くのナースステーションの気配だけ。

 真は天井を見上げたまま、ゆっくりと息を吐く。

 生きている。それは分かった。

 けれど、実感が追いつかない。

 身体はここにあるのに、意識のどこかが、まだ置いてきぼりにされているような感覚だった。

 疲労感と倦怠感が体にのしかかる。休んでいるはずなのに、身体は消耗していく一方だった。

 腹部に鈍い痛みが残っている。

 点滴の針が刺さった腕が、じんわりと重い。

 それら一つ一つが、現実を静かに主張していた。

 どれくらい、そうしていただろうか。

 カーテンの向こうの光が、いつの間にか橙色に変わっている。

 看護師が来て、簡単な検査を受け、消化に良い食事が運ばれた。

 味は分かった。けれど、じっくり味わう気分は起きなかった。まるで作業のように繰り返しスプーンを口に運んでいた。

 気づけば、窓の外は暗くなっていた。

 病室の照明が落とされ、間接灯だけが残る。

 ぼんやりと天井を見つめながら、真はふと思った。

 女性に連れ去られ、大鎌を持った少女と出会い、赤子の化け物と戦ったあの出来事。

 赤い月、崩れた街、あり得ない力。

(……あれ、全部夢だったのか?)

 心肺停止して、三日も昏睡していたのなら、あんな夢を見ても不思議じゃない。

 そう考えれば、辻褄は合う。

 ……合う、はずだ。

 けれど、あの感触。

 腕に残る、何かを握っていたような違和感。

 妙に鮮明な記憶だけが、どうにも引っかかる。

「……まあ、いいか」

 小さく呟く。

 答えが出ないことを考え続けるほど、今の真には余力がなかった。

 考えるのをやめて、真は深く息を吐いた。

 今は生きている。それだけで十分だ。

 夢か現実かなんて、正直どうでもいい。

 考えるほど、頭が重くなる。

 面倒くさくなって、思考を放り投げるように、真は深く息を吐いた。

 まぶたが、重い。

 抗おうとしたが、意識が自然と沈んでいく。次第に身体に重りがつけられたかのように重くなった。

(……今日は、なんか疲れたな)

 思考を床へ無造作に放棄する。襲い掛かる不可抗力に従って真はゆっくりと目を閉じた。

 その先のことは、もう考えなかった。


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