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アナザーウェルト  作者: 赤井直仁
幻想夢想 終わりと始まり
10/13

第10話 覚悟の咆哮

「ナンダソレハ……!」

 低く歪んだ声で真は我に返る。顔を上げると、自分を睨みつける赤子の化け物の姿が目に入った。

 怒りと警戒が入り混じったような表情に、彼は困惑する。同時に、宿ったこの力をどう使うのか分からず、彼は呆然と立ち尽くしていた。

 そんな中、最初に動いたのは手下の化け物の方だった。

 奇怪な叫び声を上げながら、四つん這いで地面を蹴る。獣じみた速度で距離を詰めてきた。

 一瞬の出来事だった。

(まずい……!)

 泳いでいた意識が瞬時に戻る。恐怖で反射的に真は拳を突き上げた。

 腕に伝わる軽い衝撃。

 しかし、その手応えは拍子抜けするほど軽かった。

「……え?」

 目の前で化け物が舞う。まるで投げられた人形のように、奴は数メートル先へ吹き飛び、地面に叩きつけられた。

「な、何だよこれ……」

 真は自分の拳に目を落とす。ガントレットは何事もなかったように、ただ青黒く輝いた。

 理解できる前に、次がやってきた。

 反射的に真は踏み込む。

「……ハァッ‼」

 拳を握りしめる。ただそれだけだった。

 腰の入れ方も、狙いも、何一つ分からない。

 ただ、当たってくれれば良い。そんな必死な一撃だった。

 そして、それは当たった。

 腕に伝わる、骨が砕ける衝撃。上半身がひしゃげながら化け物が吹き飛んだ。

「当てれば、良いんだ」

 息は荒げ、足も震えている。

 それでも、さっきよりは少し冷静でいられた。

 数を重ねていくほど、真は少しずつ理解できるようになってきた。

 飛びかかるだけの化け物の単純な攻撃。

 そんな奴らを簡単に相手できるこの拳。

 気づけば、周囲に立っている化け物は目でも数えられるほどに少なくなっていた。

(……いける‼)

 消えかけていた希望が、再度熱を帯びる。拳を強く握り直し、真は自分を奮い立たせた。


「……っ!」

 死界からの衝撃。

 反応できる間も無く、真は吹き飛ばされた。

「オギャァァ‼」

 赤子の叫び声が最後に聞こえる。成す術無く、真は少し離れたマンションに身体を打ちつけた。

 瓦礫が崩れる音だけが、しばらく耳に残る。粉塵がゆっくりと舞い落ち、崩れた室内に薄く霧のように広がった。

 真は荒い呼吸を整えながら、胸に手を当てた。

(……生きてる)

 最初に浮かんだのは、その事実だった。

 肺が痛む。脇腹に鈍い違和感もある。

 だが、致命的な痛みは、どこにもない。

「……え?」

 恐る恐る、体を動かす。腕も、脚も、きちんと自分の意思に従った。

 あれだけの勢いで吹き飛ばされ、壁ごと叩き抜かれたはずだ。

 普通なら、立ち上がれるわけがない。

 真は、自分の右腕を見る。青黒いガントレットは、相変わらず静かに光を湛えていた。

(……これの、おかげ?)

 答え合わせをする暇もなく、外から怒号が響いた。

「オギャァァァァァ‼」

 瓦礫を揺らすほどの耳障りな咆哮に、真は顔をしかめる。

 崩れた壁、正確には、赤子の化け物に開けられた風穴へと歩み寄った。

 外を覗いた瞬間、状況を理解する。

 先ほどいた場所は、建物を数軒挟んだ奥。どうやら自分は、一撃でここまで吹き飛ばされたらしい。

 その下で、怒りに身を震わせる赤子の化け物が見えた。

 今まで通りの巨大な図体。唯一違ったのは、腹を裂けて飛び出した一本の巨大な触手があったことだった。

 そこから少し離れた所にレイの姿が見えた。武器を握り締め、こちらに顔を向けていたのがわかった。

「真くん‼」

 レイがこちらに気づき、叫ぶ。

「大丈夫⁈」

 一瞬、返事に迷った。

 だが、真ははっきりと頷き、精一杯腕を振り上げた。

「だ、大丈夫です‼」

 自分の声が、思ったよりもしっかり響いたことに驚く。レイの表情が、わずかに安堵へと変わったのが分かった。

(……すごいな)

 改めて、真は思う。

 このガントレット、火力だけじゃない。あの一撃を受けて、こうして立っていられる。

 この防御力が、常識を逸脱していた。

 感心し、少し化け物から目を離した時だった。

「……え?」

 視界の端で、何かが蠢いた。

 赤子の化け物の腹から、ぬるりと伸びる影。肉色の触手が、こちらへ向かって一直線に伸びてきていた。

「……ッ⁉」

 反射的に身を引く。

 次の瞬間、触手はマンションの壁を抉り、コンクリートを紙のように突き抜いてきた。

(防御があるからって……こんなん当たっていいわけねぇだろ‼)

 背筋に冷たいものが走る。真は歯を食いしばり、拳を握り締めた。

 幸いな事に、突っ込まれた触手は瓦礫に挟まって動けなくなっている。同時に、荒れ果てているこの場所から真が安全に脱出できる道は見る限り無かった。

 唯一、目の前の風穴が外へと通じている。しかし、その先に足場はない。

 足が、竦む。

 眼下に広がるのは、夜の街と、あの赤子の化け物。高所から飛び降りるなど、今までの人生で一度も経験したことがなかった。

(……怖い)

 率直な感情だった。

 だが、それ以上に覚悟が強かった。

(……ここで、立ち止まったら)

 真は歯を食いしばり、右腕に意識を集中する。青黒いガントレットが、応えるように微かに脈動した。

「……頼むぜ‼」

 自分自身に言い聞かせるように呟き、真は一歩、踏み出した。

 次の瞬間、身体が宙へ投げ出される。恐怖で喉が張り付く。だが、想像していたような落下感はなかった。

「……⁉」

 空気を蹴った。

 そう錯覚するほどの跳躍。

 真の身体は、弾丸のように空を切り裂き、赤子の化け物へと一直線に向かっていく。

「オギャァァァ‼」

 気づいた化け物が腕を振り上げる。

 咄嗟に、真は拳を突き出した。

「うおおおっ‼」

 狙いも、型もない。

 ただ、あいつをぶん殴る。それだけを考えた。

 だが、鈍い衝撃と共に拳は、化け物の太い腕に弾かれた。

「うわっ!」

 勢いを殺せず、真の身体はそのまま上空へと打ち上げられた。

 回転する視界。夜空と街並みが、ぐちゃりと混ざった。

(やば……)

 だが、その一撃は無駄ではなかった。

 化け物は大きく体勢を崩し、呻き声を上げる。腹から伸びた触手が、マンションの瓦礫に絡まったまま引き剥がせない。

 巨体は不格好に傾き、無防備な姿を晒していた。

 空中で、真は必死に身体を捻る。

 一面に広がる街並み。崩れた建物、散乱する瓦礫。それを包み込む赤い空に、巨大な満月。

(……落ちる)

 浮遊する真の身体を重力が掴む。

 それと同時に、真は何かを思いついた。

(この高さ……使える)

 瞬時に、覚悟が決まる。真は身体を反転させ、両足を引き、拳を構えた。

 照準は、ただ一つ。真下にいる、赤子の化け物の顔。

「……っ!」

 落下。

 さっきまでの浮遊感は消えた。

 風が唸り、身体がブレ始める。だが、真の視線と拳はしっかりと化け物に標準を合わせ続けた。

 それを察したのか、化け物が両腕を交差させ、防御の姿勢を取る。


 その瞬間だった。

「はああっ‼」

 鋭い声。そして、目の前を銀光が走る。

 伸びきっていた腹の触手が、根元から断ち切られた。

 レイの斬撃だった。

 一段と大きな悲鳴と共に、化け物はバランスを失う。そのまま仰向けに地面へ倒れ込んだ。

 視線と顔はなんとか真の方に向いている。しかし、身体を守ろうとしていた腕は、情けなく地面に転がっていた。

(今だ‼)

 真は、落下の勢いを殺さず、全身の力を拳に込める。

「うおおおおおっ‼」

 雄叫びに呼応して、ガントレットが青く輝いた。

 次の瞬間。

 彗星のような光の線を引いた渾身の一撃が、赤子の化け物の顔面へと叩き込まれた。


 轟音。

 空気が爆ぜたような感覚だった。

 衝撃波に、レイは反射的に地面へ身を伏せた。砕けたアスファルトの破片が雨のように降り注ぎ、視界を砂煙が覆い尽くす。

 両腕で頭を庇いながら、必死にその場にしがみつく。

 骨に響く衝撃と、殴るように吹く爆風。

 もし少しでも近ければ、無事ではいられなかっただろうと、彼女は推測する。

 やがて、爆音が遠のき、耳鳴りだけが残る。砂煙が、ゆっくりと落ち着いていった。

 恐る恐る、レイは顔を上げた。

 視界の先。

 そこには、瓦礫の山があった。

 道路も建物も区別がつかないほど、無惨に押し潰されたその中心に、赤子型の不浄者が、横たわっていた。

 あれほど暴れ回っていた巨体は、ぴくりとも動かない。

「……倒した?」

 喉から、無意識に言葉が零れる。

 だが、次の瞬間、別の不安が胸を締めつけた。

「……真くんは?」

 視線を走らせた。

 瓦礫の影、崩れた壁、粉塵の奥。

 必死に探してはみるものの、姿は見当たらない。

「真くん……?」

 声が、わずかに震える。

 その時だった。

 瓦礫の山、その頂点から何かが、ゆっくりと起き上がった。

「……ッ!」

 一瞬、身構える。

 だが、次の瞬間、その輪郭を見て、レイは息を呑んだ。

 人影だった。

 細身の背中、見慣れたシルエット。

「……真、くん……?」

 砂煙が引いていく。

 完全に姿を現したのは、間違いなく真だった。

 背中越しに見える彼の右腕には、いつのまにかあの不思議なガントレットは無くなっていた。

 レイの胸に、強烈な安堵が込み上げる。

「真くん! 大丈夫⁉」

 声を張り上げて叫ぶ。

 だが、返事はない。

「……?」

 嫌な沈黙。

 再び、胸騒ぎが広がった。

「真くん……?」

 一歩、踏み出そうとした、その瞬間。

 影が、ぐらりと揺れた。

「……え?」

 真の身体が、前のめりに傾く。抵抗するような動きは見られなかった。

「……真くん‼」

 必死な叫びは、間に合わなかった。

 力を失った人形のように音もなく、彼はそのまま、瓦礫の上に崩れ落ちた。

 心臓が、強く脈打つ。

 レイは歯を食いしばり、痛む足を叱咤して倒れた真の元へ走り出した。


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