第1話 屋上
南館、屋上。
いつもは施錠されているはずの場所で、僕は目を覚ました。
視線に飛び込んできたのは、深く吸い込まれそうな青い空と、まばらに漂うイワシ雲。夏が過ぎ、入道雲の姿が消えた秋空は、どこか物寂しさを感じた。
数分前に聞いた枕草子の一文を最後に記憶が途絶えている。いつ、どうしてここにいるのかも分からない。ぼんやりと霧がかかったような頭を無理やり働かせ、重たい体を起こした。
見慣れた景色が広がる。
いつも教室から眺めるグラウンド。隣の大きなため池。錆びつき、ボロボロになったトタン屋根の駐輪場。背後へ視線を向けると、秋風にはためく旗のついた鉄柱と、学校には似つかわしくない小さな天体望遠鏡の入ったドームが目に入る。
そしてその下、貯水タンクとの境に、黒い違和感があった。そこに僕の意識が集まった。
優しく揺れる長い黒髪とマント。透き通るような白い肌。貯水タンクと比べると、少し小柄だ。視力の悪い僕の目にも、それが少女だということははっきりと分かった。
彼女は校舎のへりに腰を掛けたまま、まるで銅像のように動かない。じっと、グラウンドの方を見つめていた。マントを羽織った彼女はまるで死神のような風貌。
なのに、なぜか怖くはなかった。むしろ、この秋の空と同じような、物寂しい雰囲気を纏っていた。
そんな彼女が気になって僕は声をかけようとした。
しかし、声がうまく出ない。喉の奥で何かがつかえ、か細いうめき声にしかならない。手も振ろうにも力が抜け、思うように動かない。
一生懸命に動かそうとするが、出来たのは情けないゾンビの真似事だけだった。
視線をもどすと、少女が立ち上がっていた。何かを確かめるように、足元へ視線を落としている。
(何をしているんだ……?)
疑問が浮かび、その答えはすぐに示された。
少女は屋上から身を投げた。
何のためらいもなく、そして驚くほど静かに。
髪とマントがふわりと広がる。その姿はまるで、空中に咲いた一輪の黒いユリのようだった。その花が校舎の陰に消えていく間、僕は息をするのを忘れてしまっていた。
見えなくなった瞬間、体に力が戻った。反射的に体が動き出し、我に返る。彼女が落ちていった方向へ走ろうとするが、寝起きの身体は意識についてこない。もどかしい体を叱咤し、足が少し慣れたところで、焦りに任せて走り出した。
それがよくなかった。
どこからともなく現れた段差に足をとられる。転倒を回避しようと体は反射的に動くが、足は生まれたての小鹿みたいに頼りなかった。
気がつくと、コンクリートの壁が目前まで迫っていた。
思考を挟む余裕など一切ない。鈍い衝撃とともに、僕の意識は闇に飲み込まれた。




