9 失踪の影
「試しに斧で割ってみようか」
ドライアドが不意に立ち上がり、どこから取り出したのか斧を構えた。
カイはギョッと目を剥く。
「わーっ!! 待てバカ!! 種は割れなくてもテーブルは割れるだろう! 科研費で買ったんだぞ!?」
「そうか?」
ドライアドはあっさり斧を下ろし、残念そうに鼻を鳴らした。
ゼフィルはくつくつ笑い、肩を揺らす。
「急に生々しい話になったな」
◇◇◇
それから数日、あらゆる方法で種を壊そうとしたが、成果はなかった。
「圧もダメ。熱もダメ。直火もダメ。真空もダメ。酸もアルカリもその他薬剤もダメ……。もう打つ手がない」
高温多湿に保った装置の中で、薬剤漬けの種は相変わらず沈黙している。
作業台に突っ伏したカイは、深く項垂れていた。
その背後から、ゼフィルがカイの獣耳を撫でながら現れる。
「うわっ! 鳥肌が立つ!」
「今日もダメか」
背の高い彼はカイの予備の白衣を羽織っていたが、小さすぎて前を留められない。隣に腰を下ろし、装置の中を覗き込む。
「硬度も変化なし」
カイは耳を押さえつつ記録帳を開き、指で数字をなぞる。ゼフィルも視線を落としたが、初日と同じ数値だった。
「俺の幻聴も、今日も元気に囁いている。勘でしかないが、異界とやらが関わっているのではないか?」
「そうかもね。ドライアドの話を全面的に信じる気はないけど、否定できる証拠もない。可能性は残しておくべきだ」
「あぁ」
とはいえ、異界についての情報はドライアドの口からしか得られていない。対策のしようもなかった。
ウィーン……と小さなモーター音が響く。その単調な音が妙に耳につく。
コンコン、と扉を叩く音。
「室長」
振り返ると、研究員が一人立っていた。
「やぁ、どうしたの?」
カイが応じると、研究員は青ざめた顔を上げた。
「アゼルが今日も出勤していません。連絡も取れず……。室長はご存じありませんか?」
「……アゼルが? 僕のところにも何もない。手の空いている人を二、三人連れて、彼の家を確認してきて。何かわかったらすぐ知らせて」
「承知しました」
研究員を見送った後、カイの表情は硬い。
「どうした?」
「……実は、アゼルは一昨日から連絡が取れていないんだ」
「俺も連絡なしで数日遺跡に籠ることはある」
「……そういえば君、このところずっとここにいるけど、自分の研究所に連絡してる?」
「していないが?」
カイは大きなため息をつく。
「君みたいな人もいるけど、アゼルは真面目な研究員だ。……だから、嫌な予感がして。もしかしたら……」
「何だ?」
カイはそれ以上は口を閉ざし、他の研究員に呼ばれてそちらへ行ってしまった。
残されたゼフィルは、装置の前で目を細める。
「失踪……。声……。酩酊感……。……なるほど」
小さく呟き、単調な機械音に耳を澄ませた。