8 種と異界
「ふっ……てるてる坊主みたいで可愛らしいではないか」
夕刻前、ゼフィルが巨大温室に戻ると、外でドライアドが仁王立ちしていた。豪雨の中、傘もささずに。
ゼフィルは雨合羽を羽織っていたが、この言われようである。
「この雨の中、傘も持たずに突っ立ってる変態に言われたくはないな」
「よく見ろ。この若い肌は雨すら弾くのだ」
「……」
確かに、彼女の体は濡れていなかった。まるで見えない膜が覆っているように、雨粒は触れた端から弾かれて消えていく。精霊の力なのだろう。
相手をするのも面倒になり、ゼフィルは無言で温室に入り、合羽を脱ぐ。ドライアドは後をついてきて、途中で見かけた花や虫のことを延々話していたが、ゼフィルは全部聞き流した。
◇◇◇
カイの研究室の扉を開けると、珍しく鍵は掛かっていなかった。
「ゼフィル、君にはノックという習慣がないのか?」
「眠れたか?」
「……お陰様で」
眉を歪めつつ、カイは奥の応接間を指差す。
ソファとテーブルだけが置かれた質素な部屋。防音が効いているらしい。
「なんでお前の家じゃダメなんだ?」
「昨日は仕方なく入れただけだ。あそこは僕のプライベート空間だよ。君たちのような粗野な人たちを入れる気はない。分かるかい?」
口調は穏やかだが、怒っているのは明らかだった。
二人は促されるまま席に座る。
コトリとテーブルに置かれたのは、例の種だった。
「……これを殺せって、どういうこと?」
カイが問いかける。
「私は世界樹の監視をしていると言ったな」
ドライアドは腕を組み、背もたれに体を預ける。
「世界樹は昔、一度ほとんど枯れた。私は、それが二度と蘇らぬよう監視しているのだ」
ゼフィルとカイは互いに顔を見合わせる。
「すまないが、俺たちは世界樹の知識をほとんど持っていないようだ。
まず、本当に存在するのか。姿は?
ドライアドは宿木が枯れたら死ぬのではないのか?
そして、なぜ監視する必要がある?」
「面倒な奴だな」
ドライアドは露骨に嫌そうな顔をしつつ、答える。
「世界樹はある。巨木だ。世界の根元にあり、世界のすべてを覆っている……完全な姿は私も見たことがないがな。
それから“ドライアドは宿木が枯れたら死ぬ”というのは初耳だ。誰がそんな嘘を広めた?」
ゼフィルが小さく咳払いをする。
「……続けろ」
「世界樹は境界を歪ませる。曖昧にし、異界からの侵入者を招く。
かつて我々は、その侵入者と戦い続けてきた。だが、世界樹が枯れたことで、この世界は平穏を得た。
だから我々は監視を続けてきたのだ。新芽が出るたび叩き潰し、燃やし……。だが世界樹はしぶとい。ついに花を咲かせ、種を実らせてしまった」
ドライアドは種を指先で軽く叩いた。
「だから、再びこの世界を脅かさないためにも、殺すしかない。だが種は強靭で、我らの斧では砕けなかった。そうこうしている間に飛んでいってしまった……。見つけたのが、これだ」
彼女が掌に載せると、風もないのに羽がふわりと揺れた。
「……異界」
ゼフィルが呟く。
窓に叩きつける雨音が、重苦しく部屋に響き渡った。