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まんだら

作者: キリュン

 祖母が健康に気を使いだしてからおそらく二週間程が経過した辺りで、明らかに野菜中心に変容した食卓の料理ときっかり17時に夕食を食べるという半ば強迫的な日々のサイクルにもようやく慣れ、母が没して二か月が過ぎ去り数日は水分も喉を通らなかった私もまた生きてゆかねばならず、言い換えれば意思に反する食の欲求に抗うことができずに今では「お前はいつも食べすぎる」と祖母に一喝される始末で、母が生きていたらこのような食事にありつくことはできなかっただろうと大皿に据え置かれた野菜サラダと幾つかの果物のカットが築く造形物をぼんやりと眺めながら目前の焼き魚に箸をつけるに「野菜が減ってない」とどこからか小皿を取り出し手前の作品を臆面もなく粗雑に切り崩す祖母の手つきその所作、そういうところに愛という実体の掴めない二文字を見出しもするのだが、そのように不意に訪れる心情の発露など所詮は一過性のもので、あまり余計なことを考えずに祖母の発する波長に自ずから流されているのが一番よいという風体でただ「ありがとう」とだけ声をあげると、祖母は私の言葉などはなから聞く耳を持っていなかった様子で「お父さんも食べて」と向かいに座って背を丸めながら食べているのか眠っているのか判然としない祖父に向かって大きな声で話しかけるのだった。

 父が帰宅するのはいつも23時を回った辺りで、生真面目な父は帰宅して早々に翌朝の支度を始め(確実に電車の座席に座るために父は始発に合わせて家を出ていた)、風呂に入り、居間に腰を下ろす段になってようやく座卓の上に丁寧にラップされて置かれた夕飯に手を付けると、料理を温めることなど頭の片隅にもよぎらぬ様子で無表情のままにそれを胃に収め、一息の間もなく立ち上がるとそのまま寝室にこもるのが常なのだったが、以前そんな父に「おばあちゃんは元気か」とふいに問われたことがあり、祖母は亡き母の母であったから義母のことを「おばあちゃん」と呼ぶのは当然私の立場に合わせた言葉遣いなのだが、そういう時に感じる妙な居心地の悪さと亡き母の存在はどうやら私の中では地続きなものらしく「元気だよ」の言葉がどれだけ自然に発せられたか私にもよくわからない。生活リズムの大きく異なる二人が時間という有限化された世界の中で否応にもすれ違ってしまうのは仕方がないとしても、それでも私に「最近おばあちゃんは健康に凝っていて」という二の矢を継がせない何かが二人の間には障壁のように存在していて、それは言ってしまえば毎朝座るためだけに始発前に合わせて家を出る父と健康に悪いからと呪文のように唱えながら8時には無理やり寝室の襖を閉ざす祖母の最近の行動がどうやら無関係でなく、このあるのかないのか判然としない見せかけの障壁を前にして私はただただ無力で、そんな私のまごつきとは裏腹に祖父の身体は日ごとに衰え、祖母の献身と薬なしには容易に動くこともできず、祖母は毎日大きな声で祖父の身辺を世話し、それに相乗するように健康第一、健康第一! といよいよ勇ましく張り切る祖母の姿に、それは祖母なりのある種の自己防衛なのだと気づいたときにはもう私はこの家にいるのが怖くて怖くて、今にも出ていきたいという逼迫した思いに駆られるのである。


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