旅の準備
知識と術を得れば、後は呪師に対する策を練らねばならない。忍びを追った佐一を呼び戻せば再び社殿の中で説明が始まった。
呪師は形代と呼ばれる紙や木札を使い、人や動物などの擬態を作り出す事が出来る。その擬態は呪師の目や手足となり相手を監視するだけでなく攻撃さえも可能だと言う。
しかも形代自体に呪いが付与されている為、触れれば何かしらの呪いに掛かる事となるようだ。
また、厄介な事に人や動物に擬態した形代には気配と言うものが一切ない為、気配を頼りに戦う事は無謀となる。
「しかし我らにはおすずの目が有る」
「儂らの護符も役に立とう」
形代には当然精霊が居ない。ならば、すずが見れば一目で見分けがつく。また、鏡の術では護符を使う事で、真実を見分ける事が可能となるようだ。
「で、その形代とやら、どうすれば仕留められよう」
「飛礫や飛び道具で身動きを封じてくれれば我々が解呪致します」
「正体不明なる忍びはどうする?」
「こちらの正体も伏せ、しばらくは放置しておこう、何れ正体も解る」
「承知」
呪師の術を知れば、今日いっぱいを準備に当て明日の朝には京へ向けて出立する事と決まった。守り人達は湯屋へと戻り早速、長旅への準備に取り掛かった。
「明日一番で岡本様に報告に上がりたい、藤十郎殿、手配を頼む」
「承知した、この足で屋敷に行って来よう」
「いつも済まぬな」
「任せておけ」
大禅が言うに京へ滞在している期間は寝食の心配はいらないと言う。鬼退治に力を貸す者を全面的に支援する事が決まっている様だ。故に用意しなければならない物は往復の食料に寝床の蓆、それに武器に薬類となる。
「皆、今回は吹き矢を多用するかもしれん、毒矢を十分に用意してくれ」
「承知」
皆は乾燥させておいた古竹を細く割って整形し先端を鋭利にすれば、矢尻に細く裂いた布を五枚差し込み外れないように糊で固定した。
この細布が筒の内部で抵抗となり、吹く事で勢い良く竹矢が射出するのだ。後は矢先に毒を染みこませて完成である。
間もなくして矢の方も数が揃えば、三助と東吉は台所へと行き、忙しそうに食料をまとめているすずと孫兵衛を手伝う事となった。
「これ全部、荷車に積めば良いのかい?」
「んだ。助かるだで」
すると、東吉は周囲を気にしつつ三助へと近づいた。
「なぁ三助よ、最近俺と雪が所帯を持つって噂を聞くんだが、あれは一体なんだ? 恐ろし過ぎて本人に聞く訳にもいかねえから教えて欲しいんだ」
「はぁ? ……なんで本人が知らねえんだよ……」
三助の反応に東吉は困惑するばかりである。
「え? 何で知らねえって言われてもな……知らねえんだよ……」
「お前たち恋仲じゃねえの?」
「いや……全く……ってか、何故そうなる」
「え? ……でもお前、この前の宴で雪に抱きついていたじゃねえか……流石に恋仲でも無ければ雪にあれは出来ねえだろうが」
大厄災が無事に治まり宴を催した際、酒が入り陽気となった東吉は悦びを共感しようと雪へと抱き着いたのだが、見ていた者は皆肝を冷やしたのであった。雪に対し迂闊にもそのような事をすれば間違いなく只では済まないからだ。
「あ……あの時な……俺も酔いが醒めた後に震えたよ」
通常であれば鳩尾に強烈な肘が入り、動きを封じられれば後はもう悲惨としか言いようもない、誰かが止めに入る頃には、既に半殺しの状態となろう。東吉は過去に何人もそうなった者達を見てきただけに、己のしでかした事に震えあがったようだ。
しかし、その時の雪は違ったようだ。
皆の予想を裏切り、少し驚いた表情を見せたまま頬を染めたのである。故に周囲は二人が恋仲であったと勝手に理解したのであった。
「……しかし、あの時の雪は完全に乙女になってたしな……なんかあったんじゃあねえのか?」
「なんかって……大厄災で雪の窮地を救ったくらいしか身に覚えがねえぞ……」
絶体絶命の窮地を救われた事で東吉を見る目が大きく変わったのかも知れない。しかも雪の中で恋心が芽生えて間もない頃合いで抱擁されたのだ。恋心など知る由も無かっただけに、雪の中では何かが一気に弾け飛んだのだろう。
「なるほどな……お前自身が雪を乙女に変えたって事だな」
「はぁ? でもだからって所帯を持つとか飛躍し過ぎだろう、誰がどう考えても普通じゃねえぞ……大体何処からそんな噂が出たってんだよ」
「え? ……雪本人だが……?」
「えぇ……?」
東吉は目にみえて固まり放心していた。
「……おい東吉、大丈夫か……しっかりしろ」
雪は美しいし魅力もある。しかし、何を考えているのか解らないばかりか、底知れない恐ろしさと強さを秘めているのだ。
「ちょ、ちょっと話してくるよ……ほ、放置しておいて良い話ではないからな」
「それもそうだが…もう遅いと思うぞ……雪は決めたんだろうからよ」
「だ、大丈夫だ……いくら雪でも鬼ではない……ははは、鬼退治を前に……まさか鬼とはなるまいよ……丁寧に話せば判ってくれる……に……違いない……」
「東吉さん……膝が震えてるだで、大丈夫だか?」
「ふっふふ……おすずちゃん……これは武者震いってやつだよ……ほら……何でもない……ふふふ……、……ふふ……」
「完全に魂が抜けちまってるだで……」
言葉少なめに間もなく大広間へと向かったのだが、その足取りは重かった、それ程に雪に対し恐怖を抱いているのである。
「血を見なきゃ良いがな」
「……雪さんそんなにおっかねえだか? どう見ても優しいお姉さんだでな」
「表面上はそう見えるけどね、力技で来るぞ」
間もなく大広間から東吉の悲鳴と謝罪の言葉が響けば、少し静まり返った後に大歓声と共に祝福の声が波のように届いた。
「ほらね」
「ほんとに力技で来ただか……大丈夫だでか、先が心配だで」
「案外お似合いだと思うよ」
二人は最後の荷物を積むと、大騒ぎとなっている大広間へと向かった。