常世を走る
一方で常世へと閉じ込められてしまった小平太は、その場で注意深く周囲を観察した。そこは何やら見慣れない建造物があるのだが、現世で言うところの京には間違いはない。
すずを連れ込んだ蔓の本体に止めを刺せば、植物は甲高い悲鳴と共に枯れて行った。
(木々でさえ怪しいとはな……)
小平太は気配を薄くすると、迷うことなく崖見へと向けて走った。無論、六郎が行っていた常世での注意事項は全て頭の中にある。
(三日以内……行けるか、しかし妖が問題だな)
妖の気配は酷く濃い。ただし、すべての妖が小平太を狙い来るのかと思えば、どうもそうでは無い様だ。常世において異物となる生き人を狙い来るのは、禍々しい表情をした妖に限るようだ。
間もなく鬼と見間違うほどに巨大な一つ目入道が、小平太の存在に気付いたようで、凄まじい勢いで近づいて来た。
(おいおい、巨体の割に素早いな……)
両の掌に叩き潰そうと構える入道に対し、刀を抜きつつ加速し滑り込んで脚の間を抜ければ、大入道の大きな膝から下が落ち、その場に身を崩した。
それ以上時間を費やすのは理想的では無かったのだが、仲間を呼ばれれば厄介となる。一跳び戻れば首を斬り落としその場を去った。
(さて、最短を行くか)
当然ながら常世においては、道らしい道はない。妖共が作った獣道、いや妖道が存在するだけである。
しかし地形は現世と変わりはない。小平太は脳裏に崖見までの地図を広げれば、木々の間を疾風の如く走り抜けていった。
しかし近淡海が近づくと妖の気配が更に濃くなり始めた。水辺には妖も寄り易いのだろうか、小平太は一層気配を薄くすると、音も無く走ったのである。するとやがて目を疑うような妖を見つけたのであった。
(こいつはまた、でかいな……)
それは、見上げる程に巨大化したガマ蛙の妖なのだが、その見た目からでは襲い来る妖なのか否か見極めは難しい。ならば、避けて通った方が身の為である。
ガマの視界に入らないよう、進路を変え動向を確かめようと視線を送れば、そこに居た筈のガマの姿は既になかった。危険を察し真上を見れば、ガマは小平太の頭上を軽々と跳び越え、少し先に着地したのである。
(やる気か……)
その視線はどこを見ているのか計り知れない、しかし小平太を狙っている事は明らかであった。
故にガマを前に足を止めた小平太は、向こうの出方を見極めようとしていた。が、次の瞬間ガマの長い舌が襲い掛かったのである。
(っく!)
想像しない程に恐ろしく伸びた舌は、小平太の身体に巻き付くとそのまま大きく開いた口へと戻る所である。一瞬にして肩の関節を外し隙間を作れば、刀を抜き舌を斬り落とした。
地に転がり、吐き気を覚える程に生臭く、粘り気のある舌を外せば、助走して大きく跳びガマの額へと刀を突き刺し絶命させたのである。
(常世とは中々だな……一瞬でも気を弛めたらお終いか……)
それより小平太は襲い来る妖達を斬り捨てつつ、兎に角走った。やがて近淡海の北岸まで来れば腹を満たす丸薬を含みつつ、更に北東を行き山岳地帯を走ったのである。
しかし此処まで来たところで、小平太は身体の異変に気付き始めていたのであった。それは単なる疲労などではない、明らかに身体に変化が起き始めていたのである。
当初は常世に居る事で身体が蝕まれ始めたのかとも考えたのだが、異変はそれだけでは無い。百に近い妖を斬って来た腰の刀さえ普通ではなくなっているのである。
ならば、これらの異変は妖を斬った事による反応なのかもしれない。
(くそ……このままでは、身体が動かなくなるかもしれぬぞ……、……)
やがて懐より取り出したるは、大厄災の時に徳蔵が作ってくれた特別とも言える丸薬である。
こげ茶色のそれを含み入れれば、両の頬を叩き気合を入れたのだが、間もなくして腰の刀が細かく、しかも激しく震え始めたのである。
それは、小平太の身体同様に現れた異変である。妖が近くに居るとそれに反応するように小刻みに振動を始めるのであった。
(っく……今度は何だ……今までより振動がでかい……この期に及びこれは……)
忍びであるが故に死は常に覚悟していたし、恐れはなかった。しかし今回だけは死ぬ訳にはいかない。その思いがかえって小平太を動揺させた。
此処で自分が死ねば、すずが責任を感じてしまうに違いがない。ならば何があっても、この窮地を乗り越えなければならないのだ。
間もなくして現れたのは肉付きが良すぎる怪鳥であった。急降下に合わせ小平太は跳び回転して避ければ、抜刀し逆手に握り直し目を閉じた。
もはや妖刀と言える刀は激しく振動している。
キュオォォォ!
目に頼っては後れを取ると感じたのは霊力の影響もある、小平太は片膝を付き構えれば、旋回し戻って来た怪鳥の気配を強く感じた。勝負は一瞬で決まる。
シュビッ……ズバッ……
流石に首を落す事は叶わない、ならば巨大な翼に重大な欠損を与えれば飛ぶことは叶わなくなる。
小平太の身体を狙った鋭利な脚が落ちたかと思えば、怪鳥の翼は根元付近で大きく裂傷し、少し先に墜落したのである。
(止めは刺さぬ、大人しくしておれ)
キェェェ……
小平太にはもう止めを刺す力さえ無かった。しかも思考能力も失いつつあった、兎に角崖見へと辿り着き、あの洞窟を行かねばならないのである。
(此処で死ぬ訳にはいかぬ……なんとしてでも……)
大沢の術は仙吉をはじめ、仁平と山人が継承してくれよう、しかしすずの心労を考えれば決して死んではならないのだ。
その思いだけで、やがて崖見まで辿り着けば、その場で二十体の妖と交戦し、崖を登った。もはや体力も精神力も限界を超えたのだが、無意識のまま脚だけが進んだ。
間もなくして洞窟への入り口となる大池を目の前にすれば、刀を杖に大きく息を吐いたのである。
無論、小船など有る訳もない。
背後より迫った三頭の河童を斬り捨てれば、二町ほど先に見える洞窟を見据えつつ意識が遠のいていった。もはや、あの洞窟は小平太には遠すぎたのである。
(っく……もう一歩も動けぬ……もはやこれまでか……、……おすずよ……っく……生きろっ……これはおすずの所為では……な……、……い……)
流石の小平太も命の限界を迎えてしまったようだ。刀を杖に静かに両膝を着けばその場に気を失ってしまったのである。




