常世へ
六郎が言うに、大岩戸の向こうはこちらの鏡向こうだと言うが、無論意味など解らない。
「此処へ辿り着くまでの順路を思い出すが良い」
「だ?」
「鏡向こう……そういう事か!」
小平太達が気付いた事で六郎は笑顔を見せた。現世の鏡向こうが常世となる様だ、つまり岩戸を開けた向こうはこちら側と同じ光景となっているのだ。
「そっか、なら右、右、真っすぐで、左、途中で右だな」
「正解だ、何が起きようが決っして忘れるでないぞ、一度でも間違えば迷宮だ。生身の人間が常世に居られるのは長くても三日と言われておる、万が一にも迷宮に入れば、三日以内に脱出せねばならんが、それは無理だ」
「何が起きようがと申したが、他にも何かあるのか? すべて教えておいた方が良いぞ」
六郎が頷くのをすずは疑い深い視線で見ていた。
「な……なんかあるだか……?」
「何せ常世だからな。では注意点を言っておく」
「先ずは決っして声を出さない事。何があっても此処へ帰って来るまで一言も発してはならん」
「発すれば?」
「その瞬間に数多くの手が伸び、何処ぞへ連れ去られる」
「だっ!」
注意点は他にもあった。常世に有る物に手を触れれば周囲に居る妖が気付くようだ。故に鬼切を手にしたら一目散に走らねばならないという。
「追いつかれたらどうすんだ?」
「帰れぬ事となる」
「……、……足さ速いだか?」
「普通に走れば問題ないと聞いておる。風の術で余裕だ。そしてもう一点、鬼切を手にしたら最後、絶対に振り向いてはならぬ」
「……、……振り向いたらどうなんだ……?」
六郎は親指を首に当て横一文字に引いて見せた。
鬼切は月から零れ落ちる光りに包まれているらしい。それを手にするに何も難しい事は無く、手に取れば落さぬようにしっかりと掴み走り戻れば成功となる。
緊張している小さな背中を、小平太と山人それに三助が掌で叩けば、気合が入った様だ。少し前では考えられなかったのだが、すずには覚悟と言う強い心が備わったのである。
「したら、開けるだか」
「うむ」
すずは緊張した面持ちで大岩戸を見つめ動かない。
「で……どうやんだ……?」
当然ながら大岩戸の開け方を知らなかったのである。六郎の言う通り、両方の掌を大岩戸へとあてがうと、間もなく大岩戸は動き始めたのであった。
「おぉぉ! 開くぞ……凄いなおすずちゃん……」
ガン! ガン、ガッ! ゴガン! ゴガン! ゴゴゴゴ……ゴッガガゴゴゴゴ……
一瞬こちら側の空気が常世へと流れ、すずは一歩身体を持って行かれていた。
「だぁぁぁ……ったった……」
松明をかざし見れば六郎が言う通り、こちら側と同じ光景となっている、振り返り確かめれば岩肌も同様であった。ただしこちら側以上に只ならぬ気配が漂っている。
膝は少し震えていたのだが、己の頬を叩けば元気に振り返った。
「おら行ってくるだ!」
「しっかりな」
しかし、流石に少し無理もある。すずは恐怖に吞み込まれてしまわぬ様に必死のようだ。もう一度常世へと向き直れば、大きく深呼吸をしていた。
「必ず戻って来いよ」
しっかりと頷けば、間もなくして無言のまま、松明を手に一歩を踏み出したのである。
「驚く程に成長したな、少し前では考えられないぞ」
山人の関心に小平太と三助も頷いた。
「経験して来た事すべてが、無駄ではなかったという事だ。我々と同じだ」
「おすずちゃん、修行すれば相当な忍びになれそうだが……まぁ、似合わないか……それにおすずちゃんには命を殺めて欲しくはないし」
「そうだな」
(先ずは右だで)
順路を間違える事の無い様に慎重に進めば、最後の分かれ道を左へと進んだ、間もなく外の明かりが零れ落ちる様を目にしたのである。
(ほんとだ、洞窟の入り口と一緒だで……あ! あった。これだで……な……?)
すずは岩の上に置かれている鬼切を前に、腕を組んで考えていた。鬼を切るのだから刀だと考えていたのだが、それはどの角度から見ても刀ではないのだ。
(これで間違いねえだよな……他に見当たらねえし……だどもなんだでこれ……なんか気持ち悪いだで……)
しかもそれは、何かの骨を削り作ったに違いない。持ち手があり一応は刀のような形をしているが刃などついている訳も無く、逆に飾り彫がしてあるのだ。それにしても気持ちの良い代物ではない。
全体に黒味掛かった乳白色なのだが、場所によってはまだら模様となっており、いかに言葉を駆使しようと美しいとは言い難い。しかも最近妙に当たる予感が、それは危険な代物だと訴えているのである。
(触って大丈夫だでか……まさか大丈夫だよな……)
更に疑わしく眺め見れば、禍々しい靄さえ見える気さえした。が、いつまでもこんな場所には居たくない、ならば決心するしかあるまい。
呼吸を整えればそれを手に掴み両手に抱えれば一目散に走った。重要な事は手にした瞬間走る事、絶対に振り向かない事、言葉を発しない事である。それを意識した上で順路を間違えないように集中したのである。
(此処は右!)
そして、二カ所目を右にと考えた瞬間であった。
「おすずでねえか……」
その声は紛れもなく亡き母の声であった。頭の中は真っ白となり一瞬、声が出そうになったのだが辛うじて留まるも、あろう事か左に曲がってしまったのであった。
「おすずちゃんそんなに急がないで」
「わはは、おすずちゃん、ちょっと待ってくれって」
琴と藤十郎の声である、どうやら河童と同様に心を読む妖のようだ。騙されるものかと走れば間もなく突き当たる筈が二股となったのである。
(だ! 違うこっちでねえ! 間違えたんだ! どうすんだこれ!)
振り返るなという事はつまり戻れないという事となる。走りつつ絶望となった。




