呪師
賑やかに歩き社殿へと行けば、こちらにも忍びが一人、楠の大木に身を潜めて周囲を伺っていた。大集落に居た忍びも一定の距離を保ち追ってくれば笹垣の中へと身を隠したところである。
「おすず目で追うでないぞ」
無論、忍びの存在は教えていたが、それがすずを監視している事は教えていない。世の中には知らぬ方が良い事もあるからだ。
「んだな、気をつけるだ」
守り人達はその気配で判るが、すずは精霊の光で見る事が出来る。故についそこへと視線が行ってしまわぬ様に注意をしなければ成らない。
間もなく社殿内に一行が入るも、忍びが入り込める箇所はない。床下からの侵入を諦めれば忍びが向かうのは声が届く壁となる。時貞へと忍びの存在を明かせば、当然声を潜めた。
くたびれた装束に身を包んだ男は大禅と名乗った。楠に潜んでいる忍びは恐らくこの男を監視しているのだろう。
「既に聞いての通り京に鬼が出ました、我々と共に守り人の皆様も京へと同行して頂く事となりました」
「承知」
「京さ行くだか……凄いだな」
すずの頭からは既に鬼の存在が消えているようだ。見た事も無い京へ思いを馳せている様で、早くも瞳をキラキラとさせていた。
「ところで、あの人おっかねえ程苦い顔してるだで、何食っちまったんだかな……」
「素の顔だぞ」
「くっくくく……おすずちゃん止めてくれ……本人に聞こえてるって」
「だ!」
山人の指摘に堪らず数人が吹き出していたが、話が進み行けば間もなく道雪の名を再び聞く事となったのである。
すずはすっかりその名を忘れているようだが、道雪と言えばすず同様に精霊が見えていた人物である。ならば今回の鬼退治には自然の術が関係するに違いない。道忠が言葉を選びすずを誘ったのはこの為であったのだ。
「つまり、その小鬼なるものは術ではなく、常世に住まう本物の鬼と?」
「その通りにございます」
「とこよって何だで?」
「死んだ者が行く場所です。妖の類も沢山住んで居るらしいですよ」
「だ……死んだらそんなとこさ行くしかねえだか……とんでもねえ」
「恐れずとも行くのは死んだ時です、その時は既に魂だから心配いりませんよ」
「んだか」
「そもそも、常世より小鬼を呼び出したと言ったが、一体誰が何の為にその様な事を?」
「呪師にございます。理由は解りませぬが、恐らくは混乱を招き何か大事を狙っているものと思います」
「のろんじ……何だでそれ」
「我々も聞き覚えが無いな」
呪師は正確には呪禁師と言う。
遠い昔、呪禁師は呪術を使い、病の元凶となる邪気などを祓うに欠かせない重要な存在であったのだが、やがて扱う術が危険視された挙句に職を解かれ、術自体も禁止とされた経緯があった。
故に世の中からは呪禁師は消え去り、陰陽道が世に広く知られ始めたのだが、危険な呪術自体は密かに継がれていったようである。
「危険な程の術か」
呪師は念や呪具で以て人や動物に樹木などの命を意のままに出来る様だ。また、力のある呪師であれば百四十年前の前例同様に、常世の小鬼を呼び出す事も出来るらしい。
「しかし前回の鬼騒動から百四十年……小鬼を呼び出すに何故これ程の空白が?」
大禅が鬼の書を何枚か捲れば、そこには常世の戸開きについてと書かれていた。
「常世の戸開きとな?」
「人々の負の感情が恐ろしい程に溜まりに溜まれば、開いてはならない常世の戸が開いてしまうようで、前回は百四十年前に開いたと記されております」
負の感情が溜まる事で、戸は百数十年か数百年に一度開くという。開けばこの世に妖が入り込むのだが、呪師はその機に乗じて小鬼を呼び出す様だ。