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浄化

 幸は最後にもう一度、屋敷から見える美しき森の景色を眺めていた。


「……、……」


 言葉一つなく、景色を脳裏に焼き付けたのだろう。その後、静かに歩き真っ赤に染まったもみじの根元に腰を降ろせば、香を焚き笛を奏でた。


 それは美しくも悲しいだけではない。まるで底の見えない漆黒の闇へと堕ちて行くかのような絶望感が漂っていた。


 間もなく奏でを終えると、両手に掲げ深く一礼をした。そっと懐へと戻せば、その手には笛に代わり懐剣が握られていたのである。


 静かに抜き鞘を懐へと仕舞うと、細い首筋へと美しき刃が当てられれば、添えた掌は懐剣の峰を支えた。


「兄上……忠興様……これにておさらばにございます。お二人と過ごした日々、幸は誠幸せにございました……決して忘れませぬ……」


 一呼吸の後、血飛沫が二度三度と勢いよく飛べば、やがて紅葉の葉がひらりと舞い、幸の膝上へ落ちたのである。


 目の前の景色が霞め行けば、やがて不思議と音だけの世となった。


 少しした後、二頭の馬が走り来て屋敷の周囲を探る者の気配があった。しばらくしてそれが歩き来れば、幸の前で立ち止まった。気配から兄や忠興ではない。


「やはり此処だったか」

「あぁ、お気に入りらしいからな」


 心配をして欲しい訳では無いが、妙に落ち着き払っている様子に違和感を覚えた。


「奴らを殺す手間が省けただけでなく、理想通り自刃してくれていたとは、上出来も上出来だ……ん? なんだ死に切れておらぬぞ、仕方ない貞明手伝ってやれ」

「ちっ! これだから姫様育ちってのは駄目なんだよ、ったく面倒くせえな」


 その言葉に薄目を開ければ、立っていたのは兄の家来となる家臣二人であった。しかし一体今の言葉の意味はどういう事なのか、理想通りとは一体何なのか、薄れゆく感覚の中で一つの疑問が沸いたのである。


「まぁ、これで忠興の出世の道は完全に絶たれたという訳だ、上手くいったな」

「全くだ」


 もう一人の家臣は膝をつき幸が落とした懐剣を拾うと、もう一度手に握らせ首元へ導いたのであった。


(忠興様の出世の道が絶たれた?……上手くいった? まさか……、……)


 幸は遠のく意識の中、衝撃的な意図に気付き気を取り戻していた。


「あ? 目を覚ましやがった」

「あぁ? 構わぬ殺れ」


「あ……あろう事か……お前たち……ゆ……」

「あ? 何か言ってるぞ?」


「ゆ、歪んだ僻みの為に……あ、あの様な……事を……したと申すか……」

「おっと、聞かれちまったようだな。まぁ、間もなく死ぬ身なれば問題も無い」


「おのれぇ……、……許さぬ……決っして……許さぬぞ……しかも、無関係の若い命さえも……」


 死にかけながらも怒りに打ち震えるその表情は、見た事も無い程に恐ろしいものであったのだろう、家臣は眉を顰めた。


「おうおう、怖い怖い、姫様よ祟ってくれるなよ」


 すべては忠興の出世を妬む者によって計画され実行されたのだ。悲しく絶望的であった感情は一気に怒りへと切り替わった。が、同時に刃は首深くへと押し込まれていったのであった。


「おのれぇぇ……」


 その瞬間に男は酷く嫌な顔をしていた。恐らく怒りが満ちた幸の表情に寒気を覚えたに違いない。そして次の瞬間、二頭の馬が同時に嘶き暴れ始めたのであった。


「おいおい、何事だよ、あんな死顔見た所で、驚くじゃあねえか」


 馬は尾を振り、そこから離れたがっている様に見えた所で幸の記憶は無となった。幸が怨霊となった瞬間である。



「なんという事か……これは酷い……」

「で、祠に毎朝花を供えていたのが忠興殿、貴方ですね」

「いかにも」


「毎日欠かさず季節の花や枝をな……幸殿は毎日その姿を見ておったのだな」

「何が言いたい」


 怨霊と化した幸だが、すべてを晒した事で憑き物が取れたかのように見て取れた。


「十五年に渡り怨霊となりこの地を汚し、近づいた多くの人々の命を奪ってきたようだが、これで終わりにするが良い。」

「今更戻れる訳が無かろうが、それくらい解りきっておる」


 怨霊となってしまった事で、幸は人の命を奪わずにはいられなくなっていた。ただ、忠興の事だけは襲わずに居られたようだ。


「幸殿は怨霊になったとは言え、人の心を完全に失ってはいなかった、その証拠に忠興殿を襲わなかった」

「だから何だと言うのだ」


「我らの祓いで怨念を絶てば霊体へと戻る事が出来る。ならば自ら旅たち魂を浄化すれば、この十五年の罪は全て消え去ろうぞ」

「幸様、これはまたとない機会!」


「この美しき森と失っても尚、幸殿を愛してやまない、忠興殿の人生を見守ってはどうだ?」

「幸様是非に!」


 少しした後、怨霊は怒りを鎮めれば、その姿は初めて見た時の幸の姿へと戻っていった。


「幸様……なんと! ……あの時の御姿のままに……、……」

「忠興様……、……私は……私は……」


 二人はそれ以上語らずに抱き合った。それは美しくも何処か悲しい幸の笛の音色と重なって見えた。しばらくの後、幸が道忠と時貞へと視線を送ったのである。


「お願い致します、その御力で私のこの怨念を祓ってください」

「承知した」

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