怨霊
森深ければ薄暗くなるのも早い。娘の案内の元で離れへと向かえば、一行が寝るには十分な大きさの建物があった。戸を引き開ければ、室内は道場のような造りである。
「食事も、床もご用意できませんが、ご自由にお使いください」
「これ程に立派な建物の下で寝れるとは誠に有難き事、感謝申し上げる」
「お気になさらず。それと娘さん」
「だっっぁ! ったった! ……、……な、な、な、なんだでか……?」
小平太の背中に張り付くように身を隠していたすずだが、不意に声を掛けられた事で過剰なまでの反応を見せた。一瞬にして全身の産毛が総立ちとなったのは見なくても解る。
すずのその様子に娘は袖で口元を隠しクスリと笑っている。
「なにかご心配事でも?」
「だっ! あだ、あだ……そうでねえ……おら……なんだ……ひ、人見知りなだけだで……ほ、ほ、ほ、ほんとだでな……し、知らねえ人さ……こ、こ、怖いんだ」
「まぁ……そうでしたの……何も知らずに、お声などかけてしまいごめんなさい」
「だ、だ、だ、だ、大丈夫だで……き、き、き、気にしねえでな……」
上手い事、言い逃れたようだが、膝はガクガクと震え、顔は引き攣っていた。表情を読むに、今すぐこの森から走り去りたいと言わんばかりのものである。
「では、私はこれにて……ごゆるりとお過ごしくださいませ」
焚火の許可も得た事で、少し早いが夕餉の準備に取り掛かれば、皆はいつもより静かに過ごし腹を満たした。
特にすずが大人しいのは、恐怖に支配されているからに他ならない。梟の羽ばたきに腰を抜かす程に驚き、狼の遠吠えを聞けば必要以上に周囲を警戒した。
そんな様子に道忠は笑いつつ、新たな護符を用意し大禅とすず以外の皆に配った。それにはやはり家紋のような記号が描かれていた。
「これは?」
「術に嵌らない為のものです」
「さて、準備も良し。火の始末をして備えるか」
「承知」
娘が各所の石燈籠に火を灯したのだろう、ぼんやりとした灯りが点々と見え、深い森の闇が一層漆黒となれば、一行は建物へと戻り悪霊の襲来に備えた。無論、草鞋は脱ぐことなくそのままである。
「さてさて、これだけの人数相手にどう出るか」
「案外、諦めんでねえかな……」
すずは相変らず落ち着かない様子である。
「必ず来ますよ」
「だ……」
すずが落胆すれば、やがて美しくも悲しい笛の音が、風によって運ばれてきたのである。
「笛っ!」
「思ったより早かったな」
間もなく何とも言えない甘い香りが室内へと漂い始めれば、笛の音はやがて脳内に直接的に干渉を始めていた。
少しして大きな音と共に大禅が倒れると、すずも膝から崩れた。怪我が無い様に三助が支えれば、蓆の上に寝かせた所である。
「我らも嵌った振りを」
全員が倒れれば間もなくして、戸が動き始めたのである。
ガタッ……ギギ……ズッ……ズズッ……
戸が開けば足音も無く侵入してきたのは間違いも無い、あの娘である。室内が青白くぼんやりと明るめば、香が一段と濃くなった。
「先ずはこの神職から片付けておかねばなるまいな……年寄りのほうは好まぬが仕方ない」
娘は昼間とは違い本性となる素の姿である。黒髪は乱れ顔の肉も所々削げ落ち、骨や歯が見えている。身体は筋張り骨に皮が張る付いているかのようである。小袖もボロボロで見る姿も無かった。
「年寄りは好まぬか……これは参ったな。しかしお前さんのその姿は年寄り以上に醜いぞ?」
「なに? 目覚めておったのか!」
「最初から障りを絶って居たからな。ところでお前さん悪霊どころではなく、怨霊だな。しかもかなりのものだ、人の養分を摂取して実体を得たか」
道忠と共に立ち上がれば、その怨霊となる娘を囲った。
森の中で見つかる干からびた遺体は、この怨霊の仕業で間違いがない。
「おのれ! この私を討ちに来たか!」
その瞬間に、香の漂いは失せ、表現するに難しい悪臭に満たされた。
「尖るでない、悍ましい顔が余計に酷くなる。それに臭いも酷いぞ」
変貌を遂げた女は怒りによって力を増したようだ。室内の青白い炎が明るさを増せば建物の戸が凄まじい勢いで外へと吹き飛んでいったのである。
「ほう、中々の力だな……しかしお前さん何者だ? どうして此処に居る? もしや此処に縁があったのか?」
「お前たちには関係のない事! えぇい! 忌々しい!」
燭台が飛び道忠と時貞を襲ったがその寸前で落下していた。
「おのれっ!」
怨霊はさらに激しく怒りを滲ませれば建物は激しく揺れ、周囲には百を超える人魂が出現したのである。
道忠と時貞が障りを祓おうと両の腕を広げた所で、漆黒の森中より人が飛び出し来たのであった。
「幸様! おやめくだされ! これ以上はどうか! 怒りをお鎮め下され!」
「お! お前……何故此処に居る! 立ち去れっ!」
男の登場に怨霊は間違いなく狼狽えていた。
「幸様どうか!」
「えぇい! 黙れ!」
「ほう、知り合いか。怨霊が生き人と知り合いとは驚いた。鏡の年史にも例が無かったぞ」
怨霊が一層恐ろしい表情となれば、吹きとんで重なっていた建物の戸がガタガタを揺れ始め、今度は時貞をめがけて勢いよく飛び立ったのであった。
流石の時貞も構え衝突に備えれば、疾風が二つ通り過ぎ、戸は勢いよく弾き飛ばされたのである。
「おのれっ!」
「これは驚いた。守り人の能力は想像以上だな、流石と言う言葉では全く足りぬぞ」
「はい、私も初めて見た時には言葉を失いました」
戸は小平太と仙吉が蹴とばしたのである。仙吉はそのまま歩き行き、戸外に突如現れた男の前に立った。
「お前さん道端に居た水売りだな」
「いかにも」




