仇
母親が前のめりに伏したその背中に刀が突き刺されば、弟の声にならない最後の声が漏れた。
仁平を襲った感情は恐怖なのか悲しみなのか怒りなのか判らない。唯一つ判る事は自分に出来る精一杯の仇を討つだけである。
咄嗟に動き父親の大きな猟師槍を何とか持ち上げれば、震えながらもそれを仇へと向けたのである。
「ひっ……ひっ……くそぉ……」
「おいおい、小僧それは何の真似だ?」
「どう見ても敵討ちだろ」
「ほぇ、良い性根してるじゃねえか」
「あぁ、中々良い気迫だ、おい小僧お前幾つだ?」
仁平は歯を食いしばり、問われた事には一切答えなかった。すると刀使いの男がいとも容易く槍を取り上げたのである。
唖然としていれば、すぐさま首が折れるほどの平手打ちをされ地面に転がった。唇は切れ口の中は土だらけである。くらくらする頭を振って正気を取り戻せば、土を吐き捨て、男を睨んだ。
「そんな目で睨んだってよ、今のおめえには無理だ。悔しかったら強くなるこったぁ、うひゃひゃひゃ」
「う! ……う……うわぁぁぁ!」
殴られた驚きや痛みで泣いたわけではない、己にはどうにもならない悔しさが理由であった。
しかしいつまでも、その場で泣いてなど居られる訳もない。
間もなく襟首を掴まれれば強制的に立たされると、引きずられながら荷車の脇まで行った。
「ちくしょう! はなせ!」
帯を掴まれ荷車へと放り込まれると、その場で手足を縛られ口には猿轡を噛ませられたのである。
「大人しくしてろ!」
しばらくは荷車の中に閉じ込められ道を進んだ。何処をどう進んだのか、方向さえまるで判らない。間違いなく判る事と言えば、揺れと細かな衝撃によって体中が痛くなり、かなりの苦痛を味わっていた事に限る。
仁平が自らの足で歩かされたのは、それから三日ほど後の事であった。
「逃げようなんて考えるなよ、助け呼んだだけでも殺すからな」
「……、……」
「おい、返事はどうした」
平手で殴られても仁平は応えようとしなかった。殴られて死ぬならそれはそれで良い、どのみち死んだと同じような環境が待っているだけである。
「この小僧、中々のもんだな」
「けっ! 気に食わねえ!」
一切返事をしないものだから、来る日も来る日も殴られ蹴られ、仁平の顔は大きく腫れあがり身体中痣だらけであった。
そんなものだから、何日か過ぎれば歩くのもやっとである。眩暈が収まらずに歩いていれば、いよいよ木の根に躓き転がる事となった。すると、前歯の無い男の激しい蹴りが仁平を襲ったのである。
「おい、お前やり過ぎだ、この小僧駄目になっちまうぞ」
「気に入らねえんだよ、見ろよこの眼つき」
「お前も大人じゃなえな……おい、起きろ! あ? こいつ本当に駄目かも判んねえぞ」
「あ?」
一度は睨みつけたものの、腹部の激しい痛みに気が遠くなっていた。
「高熱出してやがる、あぁあ、尻からも血が出てるじゃねえかよ、臓物やっちまったな」
「伊作おめえ加減てもの知らねえのかよ、ったく」
「ちっ! ただ飯食らいじゃねえか」
「お前の所為だっつうの」
「仕方ねえ、此処に置いて行く」
「っけ! 狼にでも食われちまえ!」
目は閉じていると意識していたが、目の前には不思議と家族の姿が映っていた。
「……おとう、おかあ……とめきち……あいてえ……いっかいでいい……もういっかいだけ……うぅ……あいてえ……かみさま……おねがいだ……もういっかいだけ……みんなに……、……」
仁平は見知らぬこの地で死ぬ事を確信していた。ようやく身体を仰向けに直せば街道の木々を眺めていた。寒風が身体に突き刺さるが何もできない、仕舞には目を開けている事すら難しくなれば眠る様に意識を失ったのである。




