大飢饉
廃村に老婆の絶叫がこだますれば、つい今まで美声を披露していた四十雀は驚き飛び去って行った。
「狂ったか」
「仕方も無い」
「時貞様、この祟りは一体?」
「人食いだ」
それは鎌倉の世に生まれた祟りであった。
その山村では食料が尽きて間もなく、死んだ者を食うという、あってはならない禁断の行為に手を出してしまったのである。
「人の心とは弱く脆いもの、慢性的な空腹の中で邪心に誘われれば容易く折れよう、なれば次には狂気が芽生える事となる」
「とんでもねえ……」
そんな中でも頑なに人肉を拒む親子があった、川で獲った僅かな魚貝や虫に蛇、それに草木で何とか飢え凌いでいたようだが、ある日村人たちに襲われる事となったようだ。
「な、何でだ?」
「不幸な事に、その家族は村人の食料に選ばれてしまったのだよ」
「だっ!」
初夏を迎えるまでは、当たり前の日常であったのだが、間もなく梅雨になっても雨が降らず気温の上昇さえ著しくあった。
誰もが空を見上げ不安な表情を見せるも、雨が降る気配はない。そのまま夏を迎えれば作物はいよいよ枯れ始め、大地から水分が奪われれば、間もなく涸れた事のない井戸の水さえ底をついたのである。
長老は、村の広場にある石像の神様に雨乞いを行うも、却って日差しが強まるばかりであった。近隣の山々から獣は消え去り、より遠くの深い山へと移動してしまったものだから、狩る獣さえも見当たらない始末となったのである。
人々は痩せ細り、目はくぼみ生気が弱々しく行き倒れる者が出始めれば、そのまま息絶える者も珍しくはない、そんな中で遺体を食べようと誰かが言いだしたのだろう。
飢えを凌ぐ為とはいえ、人肉を口にする事を最初は多くの者が拒んだのだが、背に腹は代えられない。一人二人と賛同者が増えれば、空腹に堪えていた者達の堰も切れよう。
やがて、やせ細っていた者達も少しは回復し、生気も戻ったようだが、その眼光は生気と言うよりは狂気の類と言える。窪んだ眼の光は異様で、表情は警戒心と猜疑心で隙が無いのだ。
それは、いつ自分が食料とされるか判らないから仕方のない事であった。この頃、村の中には死因の判らない遺体が都合よく定期的に出回る様になっていたのである。
そんな中でも人肉を拒む家族があった、伊佐治とその家族である。身体は痩せ細り生気も弱々しくあったが、人を食う位なら餓死して死んだ方が良いと理性を保っていたのである。
「山二つも越えれば見込みもある、行ってくるよ」
「おとう、気つけてな」
「あぁ、明後日にはたんまり食わしてやっからな」
「あんた、無理して怪我しねえでよ」
「あぁ、わがってる」
伊佐治は猟師弓と矢を背に掛け槍を手にすれば、空の水入れを腰に掛け出かけて行ったのであった。途中朽ち木に幼虫を見つければ躊躇なく口に入れ、栄養を賄うと山桃の蔓を切り水分を補給した。
それにしても暑い、伊佐治は滝のように流れてしまう汗を拭きつつ、沢を見つければ水を飲み沢蟹を手にすればそれを生のまま食していた。
幾種類もの蝉の音が一層響き眩暈さえ覚えるも諦める訳にはいかない、食べ盛りの菊が日に日にやせ細りふた月前の面影さえないのだから不憫でならないのである。
間もなく目的とした地までくれば、気配を消して周囲を観察していた。
この辺りは標高も少し高く山々に囲まれている地形がら霧が沸きやすい土地と言える、故に草木が豊富となるから獣も多いはずである。
ガサガサ……
空腹から来る焦りがあるから判断を見誤る事もあろうが、大きさ的に間違いなく狸か狐であろう、伊佐治は静かに構えると次の動きを待った。
狐が一頭に兎と山鳥を仕留めれば少し先に猪の家族をみつけた所である。しかし持ち運ぶにも限度と言うものがあるし、もたもたしていればこの暑さだから肉の痛みも早い、今の時点で此処が最良の猟場と知れば次の機会に取り残し伊佐治は帰路を急いだのであった。
一方、村では男衆が五人ほど集まり、伊佐治の家を訪ねた所である。
「伊佐治は居ねえのか?」
「うちの人、山さ入ったから明日の昼ぐれえには戻るよ、何かあったかい?」
「いいや、良いんだ、大した用じゃあねえ」
そう言うと男たちは小声で何かを話し合い、互いに顔を見合わせながら帰っていったのであった。




