老婆の記憶
外へと飛び出した老婆に、村人たちは腰を抜かしたまま後退りを始めた。
恐ろしく手入れをしていない白髪の殆どは抜け落ち、細長い顔はしわくちゃでありながらも窪んだ眼光は鋭く、笑みを浮かべたその口には牙さえも見えた。手足の指は肉食獣の如く長く伸び弧を描いて地面へと当たっている。
とてもでは無いが人には見えない。
「だぁぁぁあ! と! とんでもねえっ!」
「ひえぇぇぇ! なんまんだぶ、なんまんだぶ!」
「おすずよ、老婆に精霊は?」
「あ、あるだよ……ああ見えて一応人間だで……」
「やはり祟られで間違いあるまい」
「ひいぃっひっひ、若い男が何人も居るねぇ……、……ひとつ、ふたつ、みっつ……いつつ……おやおや、あたしの指じゃぁ足りないかい……」
そう云いつつ皆を見回し舐る表情に、村人は更なる恐怖に震えるだけである。
「逃がさねえよ……全員筋切って動けねえようにしてやるからねぇ、ひいっひひひ、あっちも強ければいう事無しさね……いっひひ、これだけいれば大層楽しめるさね……」
「おいおい、とんでもねえ事夢見ているぞ……」
「冗談じゃねえ……」
「いっひひひ、夢じゃぁないよ現実の話さね! いぃっひひひ!」
錆だらけの鉈を手にした老婆は、異常な興奮と共に舌なめずりをして見せた。
「どれどれ、どれもこれも若くて旨そうじゃぁないかい、ひっひひ、娘っ子も居たかい、久しぶりの若肉は旨そうだねぇ、この娘から頂こうかね」
老婆の涎を啜る音が聞こえれば、村人たちは更に震えあがった。
「とんでもねえ……おらの事も食うつもりだ……」
「当たり前さね、ひとりも逃がさねえよぉ」
「ひぇぇぇ!」
小平太は目を細め老婆を観察しつつ、皆には監視を続ける二人の忍びから死角となる様、人の壁を作らせていた。
「この者に触れたとして祟りは?」
「この者自体は祟りではない、問題無かろう」
「なら安心。さて老婆よ逃げぬから全力で来ると良いぞ」
小平太がそう応えれば不可解な表情を見せるのである。
「あぁぁ?」
「ほれ、逃げぬから捕まえて見ろと言っておる」
「きっ! この! 小童がぁぁっ!」
次の瞬間、老婆は鉈を振り上げ小平太の目の前まで跳んだのである、中々に素早いが小平太達からすれば鈍足でしかない。
トッ……
一瞬の出来事であった、老婆の鉈が振りかかった瞬間に小平太の手刀が老婆の額へと軽く当たれば、動きがピタリと止まったのであった。
一瞬にして打たれた特殊な振動が脳に影響し動きを封じたのである。
「凄い術ですね……」
「大沢に伝わる秘術に、解かない限り老婆は身動き一つ成らず」
「なるほどな、これは丁度良い。聞きたい事が山ほどあったからな」
時貞がそう応えれば、老婆は目だけをギロリと動かし狂気に満ちた視線を送った。
「あぁ……あ?」
「老婆よ、お前は何時からその姿になった?」
鏡の術の一つに相手の記憶を読むと言うものがある。何かを問うて、その者が記憶を遡れば、その全てを見る事が出来るのだ。
老婆は何かを思い出したような表情を見せれば間もなくして、道忠と時貞の脳裏にはその記憶が見え始めたところである。
「見えた事を私が皆さんにお伝えしましょう」
道忠はそう言うと、静かに目を閉じた。
女の記憶はかなり昔まで遡っていった。土地は此処ではなく中々広めの川側であった。集落だが一軒一軒が離れており、其々に貧しくも精一杯暮らしを営んでいるような光景である。
「若い女の手が血まみれで家を飛び出しました……この老婆が随分と若い頃にございましょう……」
「何があった?」
「少しお待ちを……川で血を洗い流してございます、脱いだ着物を洗い……小屋へ向かいました」
竹を運び終えた夫が小屋に入れば、女に誘われるままその場で情を交わした。女の記憶では夫はいつも以上に悦び、己は今までにない程の興奮状態にあったようだ。
やがて女の欲望は我慢の限界を迎えたようだ。情を交わしつつ夫の目玉を指でほじったのである。
「鈍痛にしか感じてないのでしょうか、反応が鈍いですね……女が目玉を持っている事でようやく理解したようです。己の目の辺りを探りましたが、それを食す姿に悲鳴を……」
「なんとも酷いな……おすずよ、耳を塞ぐと良いぞ」
「……、……今更遅いだで……もう聞いちまった……」
「そうか」




