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バクを黙らせるために一緒に寝た。魚臭いと騒いでいたわりに薄い布団に包んで背中をトントン指先で優しく叩いてあげたらすぐに寝た。…ちょろい。
立ち上がり私に刺さっていたナイフの鞘の代わりに、もらって、いや、借りてきた制服でナイフを包む。真っ白な制服が、川の中の泥に汚れてグレーになっている。パラパラと半分乾燥した泥が、手の平におちる。こすると手が黒く染まる。
さて、どこに行こうか?
帰るところも、待ってくれる人も、何にもない。
でも、私は、死なないし、生まれてきた事に意味なんて求めない。ただ、生まれてきたという事実がある。それだけ。
助けてくれた人にお礼をしたいけど、私には何にもない。幼い身体一つだけ。
何にもないから、何にでもなれる。私をつなぐものはない。
兄さんの体温を覚えていれば、さみしくない。ないったらない。大丈夫。大丈夫。震える手は、気のせいで。足がすくむのは、寒いから。
人が寝静まった深夜。私は、小屋を出る。
バクを連れては行かない。バクは、優しい人と信頼できる人といるべきで、私は、どちらもないから。優しくないし、信頼出来ない。
ごめんなさい。バク。謝っても謝っても足りないかもしれない。安心できる場所から、引きはがしてごめんなさい、にぎりつぶそうとしてごめんなさい。川に無理矢理入れてごめんなさい。…ここに、置いて行ってごめんなさい。
たくさんたくさん心の中で謝って、静かに歩き出す。ナイフを片手に。
月が柔らかく照らしてくれる。月の色を見上げて、目を見開く。紅の色。私の瞳と同じ色。私の銀の髪を紅く染める。ここは私の知らない世界。兄さんがいない世界。
それでも私は、兄さんが会いに来てくれるのではという希望が捨てきれない。
私は兄さんに依存していた。兄さんも私に依存していた。…つないだ手を振りほどく気はさらさらなかった。私も兄さんも。
私が死んだら、兄さんは。想像がついてしまうほどに、そばにいたのだ。
私に会いにくる。私も探し出す。魂が引き寄せるなんてロマンチックすぎる事はないけど、たぶん、一目見ればわかる気がする。
影を探すみたいに。影は必ず私のそばにある。かけたものを探す。私は、そう信じる。真っ直ぐ歩く。そのために、兄さんを信じる。
土の道をしっかりと踏み締めて、どこに行くのかさえわからないまま、私は、走り出した。
真っ直ぐに、振り返らずに。




