9. 違和感という名の楔
※ 本作には「アレルギー」に関する描写が登場しますが、あくまで異世界ファンタジーとしての演出です。
現実の疾患を軽視・揶揄する意図は一切ありません。
王都にほど近い、薄曇りの午後。
リディアーヌは、細い路地に佇む小さな喫茶店の扉を押した。前回と同じ時間、同じ席にすでにアシェルは座っていた。
その肩には、ピピが止まっている。
「お久しぶりです、叔父様」
「あぁ、急に会いたいと言われて驚いたな」
「ええ、どうしてもお話したいことがあって」
アシェルの表情は穏やかだが、どこか探るような目をしていた。
リディアーヌは、湯気の立つ紅茶に手を伸ばしながら、決意を固めた。
まず聞くべきは、あの子のこと。
「……ルチアナのこと。どう思っているのか、率直に伺っても?」
アシェルは眉を少しだけ上げ、そしてあっさりと答えた。
「哀れな、小娘だよ」
その言葉は、冷たいものではなかった。
ただ、断言のように響いた。
「……どうして、そう思うのです?」
「“好かれて当然”という前提で世界を見ている。本人は無自覚かもしれないが、それはとても……危ういことだ」
「でも……実際にあの子は、たくさんの人に好かれていて……その姿を見ていると、誰もが心から彼女を慕っているように見えるのです」
リディアーヌがゆっくりとそう返すと、アシェルはふと視線を伏せた。
静寂。
何かを飲み込むように、口をつぐんだ。
(……やっぱり。なにか知っている)
確信には届かずとも、リディアーヌはアシェルの“躊躇”に本能的なものを感じ取る。
「……本題に入らせていただきます」
「ようやく?」
「神の祝福について、教えていただきたくて」
カップを置いたアシェルの手が、一瞬止まる。
そのわずかな変化を、リディアーヌは見逃さなかった。
「何が、知りたいんだ?」
「……もし、誰からも好かれることが“祝福”の一種であるとしたら──それが、ある日突然失われることは……あるのでしょうか?」
アシェルは視線を逸らし、何かを思い出すように小さく息を吐いた。
「あるよ」
その返答は、即答に近かった。
「どんな時に、失われるのです?」
「……簡単だ。違和感を感じさせた時だよ」
「違和感?」
「そう。“何か、おかしい”って思われた時点で、それはほつれ始める」
アシェルはそう言うと、ゆっくりと説明を始めた。
「たとえば──ある日突然、完璧すぎるほど魅力的な人間が現れたとする。誰もが称賛し、敬意を払い、親しく接する。だけど……もし、ひとりの誰かがふと、『でも本当にそうか?』って疑問を抱いたら?」
「……」
「小さな針のようなその感覚が、次第に他の人にも波紋のように広がっていく。そして気づいたときには、“なぜそんなに好かれていたのか”という根本に、誰も説明がつけられなくなっている」
「……たしかに。そういうこと、あるかもしれません」
「祝福ってのは、特別な加護でもあり、同時に極めて不安定な仮初めでもある。
無条件の信頼って、ほんの些細なきっかけで壊れる。
……違和感は、その最たるものだよ」
アシェルは静かに、しかし確信をもって語った。
リディアーヌは、その言葉のひとつひとつを心に刻み込んでいく。
(もし、ルチアナの“好かれすぎ”が祝福によるものなら……それを崩す鍵は、“違和感”)
彼女の声のトーン、仕草、反応、言葉の選び方……あの妹のすべてを、これまで以上に注意深く観察しようと、リディアーヌは心に誓った。
「……ありがとうございました、叔父様」
「礼には及ばない。けど……あまり深入りしすぎないように」
「え?」
「祝福には、得る者と失う者がいる。誰かが何かを持つとき、誰かが何かを奪われているものだ。そういう構造を忘れないでおくといい」
アシェルは小さく笑った。
その笑みには、少しだけ痛みのようなものが混じっていた。
「……誰もが“得たもの”に目を向ける。だが気づけばすぐそばに、何かが抜け落ちているんだ。
それがどれほど大切だったかに気づく頃には、もう遅い」
リディアーヌは、その言葉の意味を測りかねていたが、アシェルの視線は紅茶の底に沈んだように、深く、どこか遠くを見ていた。
静かに席を立ち、礼を言って喫茶店の扉を開ける。
頬を撫でた風は、ほんの少し冷たかった。
「……違和感、か」
それは、無意識の中にあるごく小さな疑問。
けれど、だからこそ最も深く、強く、人の心を揺らすもの。
彼女はこれから、確かめにいく。
あの妹は、本当に“無垢”な存在なのか。
それとも……。
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