8. 神の祝福
※ 本作には「アレルギー」に関する描写が登場しますが、あくまで異世界ファンタジーとしての演出です。
現実の疾患を軽視・揶揄する意図は一切ありません。
領地改革は、想像していたよりも順調に進んだ。
主に生活インフラの再整備や、農作物の転作支援、交易路の見直しなど。
リディアーヌが提案した改革案の多くは、かつての記憶に基づくもので、それだけに実際の情勢との乖離が少なく、地元の官吏たちも驚くほどすんなりと動いてくれた。
月日は流れ、リディアーヌが成人を迎える頃には、
彼女は正式に“領主代理”としての責務を担うこととなっていた。
父の体調が思わしくない今、リディアーヌに任されたのは、隣国との交易に関する外交交渉だった。
新たな物資流通の確保と、東の港との直接交易の開通交渉。
相手は異国の大商人であり、かつて王都にも出入りしていた実績を持つ名家だった。
「ルチアナも同行したがるかと思っていたけれど……」
支度の最中、リディアーヌはふとそんなことを考えていた。
けれど、当の妹は「あんな獣臭いところ、行きたくありません」と眉をひそめてきっぱりと言い放った。
交易拠点は海沿いであり、馬やロバ、さらには飼い猫や犬まで自由に出入りしている雑多な場所だ。
それが“貴族らしくない”というのが、ルチアナの言い分だった。
「……そういえば」
何気なくルチアナの言葉を反芻するうちに、リディアーヌの脳裏に過去の記憶が蘇った。
犬に吠えられ、猫に避けられ、馬車の馬すらルチアナを嫌がるように身をよじらせていた場面。
彼女自身は「香水が合わなかっただけ」と笑っていたが、それにしては度が過ぎていた。
「まあ、香りのせいかしら……」
まだこの時点では、それ以上深く考えることなく、リディアーヌは交易交渉のため領地を発った。
*
交易の場として選ばれたのは、両国の境界にある自由港だった。
そこには異国の装飾や文化が混ざり合い、街並みすらどこか異様な熱気に包まれている。
商人たちの服装も、王都の格式ばったものとは異なり、色鮮やかで風通しのよい布をまとい、肌を見せる装いが一般的だった。
香辛料や果実、香油の匂いが風に乗って漂い、そこだけまるで異世界のようだった。
出迎えたのは、黒檀のような肌に豪奢なターバンを巻いた商人マハディ・ナリム。
彼がこの商会のトップである。
「ようこそ。我らが交易に興味を持ってくださり、光栄にございます、代理殿下」
マハディは快活な笑みでリディアーヌを迎え入れ、その傍らには十代後半と見られる青年が控えていた。
リディアーヌはすぐに、妙な違和感に気づいた。
彼の周囲には、小型の猫が膝に乗り、犬が横に寝そべり、肩には小鳥が止まっている。
まるで、王子のように動物たちに囲まれていた。
珍しい。そう思って見ていると、青年がふとリディアーヌの視線に気づいたのか、恥ずかしそうに目をそらした。
マハディが彼に目をやり、ふっと柔らかく笑う。
「彼は私の息子でしてね。商談にはまだ出せませんが、将来を見据えて連れてきたのです」
そして、少し誇らしげな声で続けた。
「この子は祝福を受けていまして。動物や自然に関わる加護のようなものです。人には少し鈍いところもありますが……動物からは、まるで仲間のように懐かれます」
リディアーヌの手が、微かに止まった。
祝福。
反射的に浮かびかけた疑念を押し隠しながら、リディアーヌは笑みを作った。
「祝福……と仰いましたか?それは、どのようにして授かるものなのですか?」
興味深そうに問うリディアーヌに、マハディは嬉しそうに顎鬚を撫でる。
「神が、自らの好みに応じて与えるのです。我らが信仰する“巡る神”は、真に願う者の心に耳を傾け、その願いを試す。その心が純粋で、強ければ神は応えてくれる。祝福とは、まさに神の気まぐれにして選定。誰もが得られるものではないのです」
どこか自慢げに、信仰と奇跡を語るその口調にリディアーヌの心が、静かに冷えていく。
(神の祝福、ですって?)
リディアーヌは心の中で、冷たく吐き捨てた。
──リディアーヌを殺して、踏みつけて、周囲すべてを意のままにして。
それが“祝福”の結果だというのなら、そんなもの、祝福じゃない。
あれは、呪いだ
それでも、あの異様な“好かれ方”を思えば…
あの妹、ルチアナもまた、何らかの祝福を受けていた可能性は高い。
老若男女を問わず惹きつける不自然なまでの好意。
明らかに誰かの意思を超えた“何か”が、彼女の周囲には存在していた。
アシェルだけが例外だったのだけが、謎のままだが。
(……繋がってきた。なら、“あの女”の力の正体も)
一つ、核心が近づく感触に胸がざわつく。
そんな中、リディアーヌは唇を柔らかく綻ばせ、まるで感動したかのように目を見開いた。
「まぁ……なんて、なんて神秘的で素晴らしいのでしょう!」
過剰なほどに、手を合わせ、声を弾ませる。
「神に選ばれるだなんて、本当に特別なことですね。祝福を受けた方にお会いできるなんて、光栄です。ぜひもっと、御国の信仰や神のことを教えていただけませんか?」
マハディは満足そうに目を細め、手を叩いた。
「もちろんとも!そなたのように聡明で敬虔なお方には、我らが信ずる神の慈悲を詳しくお話ししましょう」
リディアーヌはにこやかに頷きながら、心の奥で、次に探るべき対象をしっかりと見定めていた。
──神の祝福とは何か。
そして、ルチアナは本当に“選ばれた者”なのか。
仮にそうだとすれば、それはあまりにも皮肉な話だ。
「誰からも愛される祝福」などという残酷な力に、踊らされていたのがあの妹ならば。
その光など、私が踏みつけてやる。
リディアーヌの目が、静かに細められた。
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