5. 復讐はお茶会にて
※ 本作には「アレルギー」に関する描写が登場しますが、あくまで異世界ファンタジーとしての演出です。
現実の疾患を軽視・揶揄する意図は一切ありません。
薔薇の香りが濃く漂う初夏の午後、王都の上級貴族のひとりが主催する茶会に、リディアーヌたちは招かれていた。
「……まさか、あなたまでついてくるとは思わなかったわ」
控えめに声をかけると、ルチアナはくすりと笑った。
「だって、お姉さまとバルドート様がお出かけになるって聞いたから……私も一緒にお祝いしたくて!」
祝い?何を、と言いかけたが、リディアーヌは笑顔で飲み込んだ。
バルドートは、赤を基調とした外套に金の刺繍を施した華やかな装い。
目立つ色を避ける貴族の間ではやや浮き気味だったが、本人はご満悦らしい。
その隣に座るルチアナは、桃色に近い淡いローズカラーのワンピース。薄絹のスカーフが陽光に透け、まるで花の精のようにさえ見えた。
「ルチアナ嬢、今日の君はまるで春の妖精のようだ」
バルドートが軽やかに言って、ルチアナのスカーフに視線を向ける。
「お祝いの場にぴったりの彩りだ。まったく今日の主役より目立ってしまうのでは?」
「ふふ、やだバルドート様ったら。でも、そう言っていただけると嬉しいです」
ルチアナはまんざらでもなさそうに笑い、軽くスカートの裾をつまんで微笑む。
「それに比べて……リディアーヌ嬢は随分と地味な装いだ。まるで森に紛れてしまいそうだな」
その言葉にルチアナが首を傾げて、まるでフォローするかのように言う。
「そんなことありませんわ。お姉さまには、ああいう落ち着いた色が“とてもお似合い”ですもの」
落ち着いた色。
地味だと遠回しに肯定しながら、笑顔で同意するその調子に、どこかで聞き慣れた毒が混ざっている。
リディアーヌは、そのやり取りを黙って見ていた。
そうね、と言葉に出す代わりに、淡いグリーンのドレスの裾を静かに整える。
新緑の若葉を思わせるような、柔らかな色合い。
上質なシフォンが何層にも重なり、歩くたびに風をはらんで揺れるその衣装は、どこか静かな気高さを纏っていた。
(……本当に、よく似合う。あの方は、よくわかってる)
胸元で微かに光を反射する小さなペンダント──
それは、ピピを通じて届いた包みに添えられていた、ひとつの贈り物だった。
華奢なチェーンの先に揺れる、控えめなエメラルドグリーンの宝石。
石の裏には、ごく小さく、けれど確かに「A」と刻まれている。
(……味方なのかどうかは、まだわからないけれど)
それでも、このネックレスを受け取ったとき、心の底にひとしずく、温かい何かが落ちたのを彼女は忘れていなかった。
リディアーヌはそっと胸元に手を添え、ペンダントを確かめるように指先でなぞった。
三人を乗せた馬車は、お茶会の会場へと到着する。
招待状に記されていた名は、リディアーヌとバルドートの二人だけだった。
けれど屋敷に入るなり、主催者である老貴族夫妻の顔が輝いた。
「あら!まさかルチアナ嬢もご一緒とは……これはなんと光栄な!」
「おやおや!お噂はかねがね……本当に天使のような方だ!」
初対面のはずなのに、言葉だけでなく表情まで熱を帯びている。
ルチアナはいつもの微笑を浮かべながら丁寧に礼を述べ、感激された客人のように振る舞っていた。
(……本当に、不思議)
リディアーヌは横目でその様子を見ながら、内心で眉をひそめる。
子どもから老人まで、身分の上下を問わず、彼女を見た途端に笑みを浮かべ、親しげに語りかける。
美しさだけでは説明のつかない“何か”が、確かにある。
(──なぜ、誰もが彼女を無条件に受け入れるの?)
思考の海に沈みかけたところで、不意に風が吹き抜けた。
ガーデンの薔薇が揺れ、テーブルクロスがはためく。
その隙間から、小さな何かが空を切った。
「……う、うわっ!こっちに来るなっ!」
叫び声とともに立ち上がったのは、バルドートだった。
彼の目が何かを追い、赤い外套の胸元をばたばたと叩いている。
「蜂だ!蜂が俺を──っ、う、うわああッ!!」
悲鳴とともに、彼は足がもつれて転倒し、まるで子どものように地面をのたうった。
「な、なにごとだ!?」
騒然とする周囲。
客人たちがざわめき、主催者がすぐに駆け寄る。
「ああっ、刺された!毒がっ、毒が──っ!」
バルドートは顔を青ざめさせ、地面に転がりながら騒ぎ立てていた。
彼の外套にはひときわ小さな虫が一匹、絡みついている。
主催者の老貴族がそれを手早く捕まえ、目を細めて確認する。
「……これは無毒の“フレアウィング”だな。よく似ておるが蜂ではない。毒などないぞ」
呆然とするバルドート。
胸の鼓動がそのまま全身に伝わっているかのような、異常なまでの震え──彼の外套の裾が、ゆっくりと濡れていくのを、誰もが目撃した。
客人たちの視線が、音もなくバルドートに集まっていく。
静寂と軽蔑が同時に降りかかる中、地面に座り込んだままのバルドートは、ただ呻くしかなかった。
リディアーヌは、そんな彼の姿を静かに見つめていた。
「……汚っ」
不意に聞こえた声に視線を向ければ、ルチアナが、思わずというように口元を押さえた。
ごく小さな声だったが、確かに聞こえた。
リディアーヌは微かに浮かんだ笑みを気付かれぬよう口元に手を添える。
恥辱と恐怖。名誉と尊厳の失墜。
誰にも理解されず、誰にも同情されず、ただ“滑稽”に見られながら社会から剥がれていく。
あの笑みも、傲慢さも、もう戻ることはない。
(さようなら、バルドート。私の隣に立つには、あなたは──)
あまりにも、ちっぽけだったのだから。
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