4. 種まきは慎重に
※ 本作には「アレルギー」に関する描写が登場しますが、あくまで異世界ファンタジーとしての演出です。
現実の疾患を軽視・揶揄する意図は一切ありません。
バルドートを始末する前に、やるべきことがある。
父への種まきだ。
まともな会話すらほとんどない父との関係に、直接手を加えるのは難しい。
だが彼の身体に“蓄積”させるだけなら、やりようはいくらでもある。
「お父さま、少しだけお時間をいただけますか?」
久方ぶりにかけた声に父はわずかに目を細めた。
「……どうした」
警戒とも無関心ともつかぬ声色。
それに微笑で応じながら、リディアーヌは銀の盆に並べた茶菓子の皿を差し出す。
「最近、お父さまもお忙しいでしょう?お身体を崩されないよう、少しでもお力になれたらと思って」
「ふむ……」
皿の上には、特製の焼き菓子が三種。
ナッツ、甲殻類、そして香辛料を少量ずつ用いた繊細なレシピ。
あまりに微かな香りと風味は舌に触れたかすら、曖昧なほど。
……だが、それでいい。今はそれで。
「貴族の子女が厨房に口を出すとはな。だがまあ、よい心がけだ」
ひとつを口にしながら、父は皮肉のように言った。
リディアーヌはうつむき加減に小さく微笑んだ。
(気づくはずもないわね、こんな程度の違和感では)
ほんの少しずつ。
体内に“異物”を覚えさせていくように。
いつか、拒絶反応が臨界を越えるその日まで――。
「お気に召したなら、またお作りしますわ」
「……ああ」
咀嚼する父の喉仏が上下するたび、リディアーヌの瞳は静かに細まる。
“地獄”への種は、すでにその腹に、落ちていた。
父に毒を含んだ優しさを贈りながら、リディアーヌは次なる標的へと意識を向けていた。
――バルドート。
あの男の傲慢さ、無知、そしてリディアーヌへの下卑た笑み。
何も変わっていなかった。
だが、今回はリディアーヌが変わった。
(始末するなら今しかない。父より先に、こいつを“崩す”)
バルドートの反応は、彼の言葉以上に雄弁だった。
過去に刺されたというなら、再び刺されればどうなるか。
その結末は、リディアーヌの中で既に決まっていた。
「けれど……」
リディアーヌは応接間の窓を閉めながら、慎重に思考を巡らせた。
現実の蜂は、扱いが難しい。
手懐けられるものではないし、毒性が強すぎれば周囲を巻き込む。
ましてや王都の中で意図的に蜂を放ったなどと露見すれば、リディアーヌもただでは済まされない。
(毒蜂なんて、簡単に手に入るものじゃないわ)
捕まえるとしても季節は限られているし、下手に動けば疑われる。
蜂の巣を持ち込むなど論外だ。
だが、毒性のない“それらしいもの”なら演出に過ぎなくとも、十分に効果はある。
「……叔父さまなら、何か知っているかしら」
アシェルは表の貴族社会では穏やかな風変わり者を演じているが、裏ではありとあらゆる“奇品”や“薬物”、時には禁じられた毒草の情報すら網羅しているらしい。
母がよく“顔は良いのにね”と呟いていたから、彼の噂は案外正しいのかもしれない。
……けれど、果たしてアシェルは“味方”なのだろうか?
リディアーヌの中に、一瞬だけ迷いが過った。
都合のいい情報をくれる存在であることは確かだ。
だが彼の本心は、あの深海のような眼差しの奥はいまだ読みきれない。
「……それでも」
婚約の話を聞いたときの、あの静かで、痛みを抱えたような眼差しがリディアーヌに敵意も無関心さえも感じさせなかった。
胸の奥で、何かがふっと熱を帯びる。
リディアーヌは迷いを断ち切るようにペンを走らせ、小鳥の脚へ手紙を括りつけた。
「毒蜂に似た、無害で制御可能な昆虫をご存知でしょうか」
一度目の羽ばたきで、藍と金の羽を持つその小鳥――“ピピ”は、彼女の一縷の信頼と共に、空へと舞い上がっていった。
羽ばたいていくピピを見送り、応接間に残る紅茶の残り香の中で、静かに笑みを深めた。
(あなたの“アレルギー”を、社会的に暴き出してあげるわ。バルドート)
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