2. 死に戻りの副産物
※ 本作には「アレルギー」に関する描写が登場しますが、あくまで異世界ファンタジーとしての演出です。
現実の疾患を軽視・揶揄する意図は一切ありません。
昼下がりの陽光が、石造りの廊下をぼんやりと照らしていた。
リディアーヌは静かに歩きながら、思考を巡らせる。
「父と母、そしてルチアナ。どうすべきかしら……」
憎しみは冷え切っている。
激情ではなく、精密な刃物のような思考で、順番と手段を選びたい。
しかし、直接手を下せば疑念が生じる。
毒?刃?事故?いずれも、この世界の常識では目をつけられやすい。
(……でも、私は手に入れている。死に戻ったときにある“知識”を)
あの夜、頭を石畳に叩きつけられ、命を失ったその瞬間。
リディアーヌの意識はまったく別の世界――「地球」と呼ばれる異世界を生きていた、ひとりの男の記憶と重なった。
「あれを“前世”と言うべきなのかしら?」
医療技術と科学知識が異様に発達した世界。
彼は“管理栄養士”という、専門職に就いていた。
日々、病院で患者に最適な食事を設計し、アレルギーや体質まで考慮したメニューを構築していたという。
信じられないような職業。けれど、彼の記憶は限りなく鮮明で、詳細だった。
栄養素の分解速度、食品の組成、代謝の機構。
この世界の“知”をはるかに超えた、精密な知識が脳裏に焼き付いている。
その中でもリディアーヌが特に心を奪われたのが。
「……“アレルギー”」
この世界には、存在しない概念。
異物に対する過剰反応という“病”は、ここでは誰にも知られていない。
「もし、それを利用できれば……」
突発的に発症し、原因不明のまま命を落とす“未知の病”。
そしてそれが、特定の食材を摂取した結果だったとしても、誰も気づかない。
疑われずに“終わらせる”ことができる。
リディアーヌの口元が、冷たい笑みに歪んだ。
「誰にも悟られず、確実に葬る。完璧な手段だわ」
その日、彼女の心には明確な計画が芽吹いていた。
――復讐は、もう始まっている。
*
母がソレを口にしたのは、昼食の終盤だった。
貴族階級に相応しく、素材にも調理にも一切の妥協がない。にもかかわらず、母は突然口元を押さえた。
「……なんなの、この痒み……っ」
紅潮した頬、うっすら浮かぶ蕁麻疹。
軽く腫れた瞼。
医師が呼ばれ体調不良と片づけられたが、リディアーヌはその全てを見逃さなかった。
(……これ、まさか)
記憶の底で一致する症例があった。
前世の男――栄養管理士だった“彼”の知識がよみがえる。
“アレルギーは、ある物質に対する免疫の過剰反応のこと。
特定食材で再現性がある場合、疑うべし。
また個人差有り”
その日のメニューを、リディアーヌはすぐに記録した。
サーモンのミルク煮、ヘーゼルナッツと根菜のポタージュ、黒パン。
「アレに“アレルゲン”があるのね、なら……試せばいい」
その日の晩、リディアーヌはさりげなく厨房に伝えた。
「ヘーゼルナッツと根菜のポタージュを、母が気に入っていたの。もう一度出してあげて」
新しい料理人はリディアーヌの言葉に疑うこともなく笑顔で承諾し、そして夕食時に母はまた、顔をしかめた。
「また……痒いわ……なんなのよ、最近……っ」
彼女の中で、答えは確信に変わった。
“この世界にない概念”であるがゆえに、誰も気づけない。
でも、リディアーヌは知っている。
“症状”が同じ、“食材”も同じ。
父もルチアナ、そしてリディアーヌも苦しんでいない。
(アレルギー。免疫が自分自身を攻撃する。これほど都合のいい毒があるかしら)
魔法でも呪いでもない。
だが誰よりも恐ろしい、“体の中から起こる拒絶”。
使い方を誤れば、ただの不調。だが適量と頻度を調整すれば“死”に至る。
リディアーヌは、ひっそりと目を細め口元を歪ませた。
*
柔らかな陽射しが差し込む午後、母が主催するお茶会の会場は、繊細な音楽と優雅な会話に包まれていた。
きらびやかなドレスに身を包んだ貴婦人たちが、陶器のティーカップを傾けながら、うわべだけの褒め言葉を飛ばし合っている。
「まあ、侯爵夫人のドレス、今日も見事ですわ」
「いえいえ、あなたの髪飾りのほうが――」
その中心にいたのは、他でもないリディアーヌの母親だった。
彼女はいつものように、自分だけが特別な存在であると信じて疑わない様子で、ちやほやされるのを満喫していた。
「このタルトも素晴らしいお味ですこと。どちらのお店かしら?」
「ええ、母がこよなく愛する店から取り寄せた品ですのよ」
侍女として控えていたリディアーヌは、にこやかにそう言って一礼した。
母が自慢げに胸を張り、さも自分のセンスで選んだかのように振る舞うのも、想定通りだった。
「まあ、当然よね。わたくしの舌が選んだものですもの」
母はそう笑いながら、金の縁取りがされた皿の桃タルトをフォークで一口分すくう。
満面の笑みを浮かべながら、周囲の視線を受けつつ、口元へと運んだ。
ひと口、ふた口と食べ進めるうちに、表情が微かに曇る。
そして、急に喉を押さえ、顔をしかめた。
「……っ、は……ぁ、ぐ……!げほっ、ぐ、ぅ!」
呼吸を乱し、紅茶のカップを落とす音が響いた。
カップをひっくり返し、周囲が一斉に立ち上がる。
ざわめきが波紋のように広がっていった。
「侯爵夫人!?」
「水を!」
「医師を呼んで!!」
「お母さま、大丈夫ですか!? しっかりして……っ!」
リディアーヌが真っ先に駆け寄り、母の背に手を回す。
涙すら浮かべ、苦しむ母を心から案じる“娘”を演じるのに、一切の綻びはない。
「お母さま、お願い……落ち着いて……誰か、早く!」
やがて医師が駆けつけ、母は部屋の奥へと運ばれていった。
お茶会は自然とお開きになり、客たちは一様に不安げな顔で屋敷を後にした。
リディアーヌはその場に取り残され、静かに微笑んだ。
誰も気づくことはない。
あの銀のフォークは、客前に出す直前、「特別な布巾」で拭かれていた。
それはただの上等なリネンではない。
ヘーゼルナッツオイルを染み込ませた、リディアーヌ特製の“布巾”だ。
ナッツの香ばしさは焼き菓子の香りに紛れ、誰の嗅覚にも引っかかることはない。
けれど、その微細な油分は確かに、フォークの先に付着し
そして母の体内へと運ばれた。
リディアーヌの目が細められる。
記憶の奥にある“もう一つの世界”で、アレルギーという現象を持っていた男。
その知識が、静かに実を結び始めていた。
それを証明する、最初の答えが――ようやく、出たのだ。
「よかった、間違いない。これで証明されたわ」
リディアーヌは席を立ち、まるで何もなかったかのようにサロンを後にした。
心には、次の標的の名を記して。
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