2話 これが 運命の出会い 其の1
20XX/12/15 2101
ネオン、街灯、電光掲示板、行きつけの店の看板。見慣れた景色が今は違って見える。飽きる程に見慣れた街中が猛然と視界の端を瞬く間に通り過ぎて視界から消える。
アクセルは常に踏み込みっ放し、僅かでも離すのを躊躇いたくなる状況にエンジンもけたたましい音を上げ続ける。何時もはごった返す人ごみはどうして消えたのか、ほんの僅か寝ていたていた間に何があったのか、そんな事をバックミラー越しに見える光景――後部座席に座る女と俺達が乗る車を出鱈目な速さで追いかける一匹の化け物を視界に映しながら考えるが、とても出せそうにない。
もう一度バックミラーを覗き込めば、俺達を猛然と追いかけてくる化け物との距離はさっきよりも詰まっていた。鋭い歯が幾つも並んだ巨大な口、巨大な後脚と対照的に小さな前脚、胴体から伸びる細長い尾。化け物とは形容したのだが、その形状は見た目だけならば映画や図鑑で見た事がある恐竜の姿そのもの。
が、姿以外の何もかもが異常過ぎて生き物と呼ぶには怪し過ぎる。特に一番ド派手に異常なのは仄かに青く発光する身体、次に足を踏み込む度にアスファルトを抉る脚力、最後に市街地だから全速は出せないにせよ、それでも150以上は出す車に追い付こうと言う速さ。
彼方此方に乗り捨てられたと思しき車を律儀に避けなきゃならないのに、相手はそんな物など障害にならないとばかりに踏みつぶしながら追跡を続ける。ギリギリで回避出来る程度に速度を落とすだけでも致命的な状況を前に、もう何度も舌打ちが出る。
ジリジリと距離を詰め寄る光景は、随分と昔に流行ったモンスター映画の一シーンと同じ状況。だが映画とは違い、目の前の光景は確実に現実。
乱雑に放置された車を掠める位に最小限で回避、スピードの落ちる曲がり角を極力避け続けているのに、それでも追い付かれる。だが、それだけでも出鱈目なのに言葉通り化け物染みた挙動で迫る巨体はその速度をさらに上げ始めた。
「クソッ」
苛立ちを吐き出しながら、アクセルを強く踏み込んだ。エンジンから悲鳴に似た唸り声が上がり、一際スピードが上がる。バックミラーを覗く。道路を揺らしながら猛進する恐竜の姿は変わらず見える。どれだけ踏み込んでも、一向に距離を離す事が出来ない。
「チ!!」
堪らず一度舌打ちした。ダッシュボードの上に乗せた社員証がカタカタと揺れる音が癇に障る。集中力が途切れそうになる。その度にハンドルを強く握り締め、もう一度後ろを覗いた。中央には青い恐竜、その端には一人の女の姿。
何で、こうなったんだっけ?
その女の姿に、頭が余計な事を考え始めた。つい数時間前までは普通に仕事をして、その後――紆余曲折を経てこの女と無人の都市を逃げ回る羽目になった。誰かは分からない。ただ一つ分かっているのは俺の恩人という事だけ。
バンッ
耳が日常生活では聞かない破裂音を拾った。発砲音?ゲームや映画で聞き慣れた、だけど明らかに違う。もっと重く鋭く身体を揺らす様な音。
「今度は何だよ!?」
「気にするな」
「言われなくてもッ」
「止まるな」
無意識にそう叫べば、間髪入れず冷静な女の声が返って来た。意識を向ける余裕はないが、何度も何度も発砲音が聞こえれば女が銃をぶっ放しているのは分かる。分かるが記憶が確かなら、飛び乗って来た時には持っていなかったよな?
と、そんな事が気になりもう一度バックミラーを覗けば、そこには相も変わらず軍服に似た黒いスーツを着た女がリアガラス越しに銃を撃つ姿が飛び込んできた。思えば何もかもが信じられない出来事だったと、その頼りがいのある女の背中を見ればこうなってしまった経緯が嫌でも蘇る。
※※※
「伊佐凪竜一君だね?あぁ返事はいいよ、用件はすぐ終わるから。手短に伝える。現時刻を持って君はクビだ、もう来なくていい。身分証その他は明日にでも郵送で会社に送ってくれたまえ。退職手続きはもう終わっていて、我が社には入れないからね」
食事を終え、近くの公園で一息付いていた頃、滅多に鳴らない社用の携帯電話から着信音が鳴り響いた。ディスプレイに映し出された時刻はもうあと少しで18時になるという辺りで、まだ休憩時間中。何か障害でも起こったのかと携帯に出てみれば、第一声が解雇通告だった。
鼓動が一気に跳ね上がった。肌寒い季節だというのに嫌な汗がじわりと身体の奥から湧き上がってくる。理由を尋ねようと震える口を開こうとするが上手く言葉に出来ない。
「君は危険度一に該当する……だそうだ。この意味、君にならば分かるんじゃないかな?」
危険度。電話の向こうの声は確かにそんな説明をした。思い当たる節はない。
「心当たりなんてありませんよッ」
と、気が付けばそう叫んでいた。が、相手は恫喝みたいな反論に動じず淡々と説明を続ける。
「本当かい?いや、違う。君は分かっている筈だよねぇ?セキュリティ監査基準に引っかかった理由に君は心当たりがある筈だよ」
今度は、何も言えなかった。何かを言おうとしても何を言えばよいか頭から出てこなかった。確かに、思い当たる節はあった。
「なんだ、覚えがあるじゃないか。同郷だからと言う社長と、有能でいけ好かない秘書様の気まぐれで新人に不相応な部署に配属されたというのに、本当に愚かだよ君は。素直に我々の派閥に入っていれば……いや、もう詮無い話か。良く聞き給え。今、上の方で大きなプロジェクトが控えているらしい。よって、君の様な小物に構う余裕はない。長生きしたければ大人しくしておけ。では、失礼」
伝えたい事だけを伝え、通話は一方的に途切れてた。力が抜け、握り締めた携帯が手から滑り落ちる。目の前が真っ暗になる。底なし沼に引きずり込まれていくような、足元がふわふわと覚束ない感覚に襲われた。やがて、呆然とする俺の前で社用携帯端末の全機能がロックされたとの通知が届いた。
周囲をボウっと照らす無機質な通知は時間と共に消え、再び真っ暗になる。その辺りで漸くクビになったという自覚が身体と心に行き渡った。
「取りあえず、少し休もう」
この後どうしようかと考えたが、何も思いつかず、買ったばかりの車に戻り背もたれを倒し、無理やりにでも目を閉じた。だけど、未だ混乱する頭はそれを許してはくれない。もっと慎重に、実績を重ねて信用を得るべきだったのか。そんな後悔がグルグルと渦を巻き続けた。