第十話「迫り来る狂騒」1
今から四年前、2055年に香港で発生した劇場火災事故。
舞台上で披露される演劇を楽しむ目的でやって来た多くの市民や観光客、それに加えて劇場関係者からも多くの犠牲者を出した悲惨な事故として広く知られている。
その全貌は調査を行った警察当局や香港政府からも十分な説明はなされていないため、解明されていない部分が多くブラックボックスになっている。
また、この日に行われた舞台演劇が日本の劇団によるものであったため、日本人からも犠牲者が出ており、遺骨の返還がなされていないケースも多々あるため、事故に関する不信感は未だに根強く残っている。
また、他人事とは思えないことに、この事故には私の知る関係者が何人も関わっている。
まずは私の祖母、稗田黒江である。
当時、祖母はプリミエールを連れて劇場を訪れたようだが、詳しいことはプリミエールが口を噤んでいることもあり私もよく分かっていない。どうやらアリスプロジェクト側から箝口令が敷かれているらしい。想像するに、それだけ重大な事態が現地では起きていたのだろう。
その頃、私はアメリカで暮らしていたため詳細を知らされていなかった。
だが、最初に一報を受けた時のことはよく覚えている。
祖母は香港劇場火災事故に巻き込まれたが、無事に救出され、父のプライベートジェットで帰宅を果たしたとのことで、命に別状はないとの報告だ。
この時は冷や汗を搔くと共に、無事であることに安堵したものだがその後、事態が急変。
私は悲報を伝えられてから帰国、祖母と会話することはおろか、遺体すらも見ぬまま葬儀に参列した。
唐突すぎる強烈な喪失感と共に、私は蚊帳の外に置かれているような空虚感を味わった。
最初に私を抱きかかえ、後継者として育て上げてくれた祖母。
祖母から教わったことは、魔法使いが行使できる超能力に限らず、本当に数多くあった。
誰よりも大切な人だった祖母の死の真相を知ることのないまま今日まで私は生きて来た。
いや、私は真相を知るのが怖かったのだ。知ったとしても、何か祖母に出来ることがあるわけでもない。そう自分に言い訳をしてきた。
だから、日本に来てから14少女漂流記を通じて祖母の功績を伝えることに尽力してきたのだ。
祖母について話してきたが、祖母以外にも関わっている人物は多くいる。
その一人が赤津探偵事務所の所長、赤津羽佐奈さんだ。
羽佐奈さんは長女の赤津八千羽さんと三浦友梨さんと一緒に劇場関係者に依頼されて、劇場を爆破するという犯行予告の捜査を現地で行っていたところ、巻き込まれたそうだ。
また、黒沢研二君の母親、清水沙耶さんがこの事故で亡くなっている。
それだけでなく、浩二君と真奈ちゃんの両親も亡くなっている。
これには”魔女狩り”の組織が関わっていることは研二君からも証言を得た。
真実は事故などではなく、意図的に仕組まれたテロ行為であることは明白だ。
今回、様々な調査を得て近づきつつある真実への扉。
多くの方々の助けを借りて、私はそれを自らの意志で開く。
この先に続いていく魔女狩りとの戦いを乗り越えるために。
悲劇的な最期を遂げた多くの犠牲者が負った哀しみと向き合い、その死に報いるためにも。
私は襲撃を受けた魔女狩りを実行する者達との決定的な因縁を生んだ衝突の真相へと向かって、魔法使いの記憶を巡っていく。
心を掻き毟られるような、無念の果てに消えていった、魂の声に耳を傾けながら。
*
四年前の記憶を遡る前に当時の香港情勢について、改めて知っていく必要がある。
中華人民共和国の南部にある特別行政区である香港は超高層ビルが立ち並び、世界三大夜景の一つ「100万ドルの夜景」が広がり経済的にも豊かで、日本人にとっても距離が近いため、身近な観光地として有名だ。
映画や音楽、美術やサブカルチャーまで文化活動も盛んで、日本とも親和性が高く、多くの観光客が訪れているため年中賑わっている。
古くはイギリスの植民地であった香港。
それが1997年7月1日、イギリスから中華人民共和国への返還および譲渡。香港特別行政区政府が発足。
香港基本法により五十年間一国二制度が維持されることが決まった。
これにより香港は行政権、立法権、司法権を含む高度な自治権が確保されることになった。
しかし、資本主義体制を有する香港情勢は世界的に台頭していく共産主義の中国からの干渉を受け、共産化していく。
そうした三十年代、四十年代の緊迫した国際状況が続いていく中、2055年の香港は再び中国からの独立を果たしている。
共産化が進んだ香港は再び資本主義化を目指し、アリスプロジェクトの傘下に入ったのだ。
アリスプロジェクトの存在自体、公にされているものではないが、アリスのデータベースにはアリスプロジェクト参加国による外交交渉が続けられてきたことが記載されている。
だが、この決定は反アリス派思想の反発を招いていることを無視してはならない。
香港をめぐる国際情勢。そこには中国だけでなく、多くの国や組織の利権が絡み合っている。それは間違いのないことだと考えられるでしょう。




