第397話 誠の旗のもとに
中央師団が、西郷・マルモン・ヴィクトールの猛攻を受ける一方。
右翼軍を担うザックの前衛部隊は、小・中隊規模で散開展開したグルーシー師団の銃撃により、進撃を完全に阻まれていた。
{くそっ! 敵があちこちに散らばってやがる! 四方八方から弾が飛んでくるぞ!}
{こんな遮蔽物もねぇ場所を横一列で進めだと? 俺たちに死ねって言ってるのかよ!}
散開戦術を採るトレビアン軍に対し、伝統ある横隊陣形を崩せぬクラシック軍。
兵たちは伏せ、身をかがめ、必死に銃弾を避けながら前進を試みていた。
不満と焦燥が前衛部隊のあちこちに広がる、その時――
前衛の右側面から、妙に落ち着いた動きの小集団が近づいてくるのに気付く。
{……おい、何だ? 変な連中が来るぞ?}
{白黒の服だと? トレビアンの奴らにも見えんし、一体何者だ??}
彼らの目に映ったのは、白黒のだんだら羽織をまとった二人の男を先頭に、同じ装束の侍数十人が、『誠』の旗を高く掲げ、悠然と歩いてくる姿だった。
「ガハハハハ! 見てみろ源さん! 辺り一面、敵兵だらけじゃねぇか!」
胸を張り、腕を組みながら進む新選組局長・近藤勇は、豪快に笑い、隣を歩く六番組組長・井上源三郎へ声を掛ける。
「まったくですな! この人数で斬り込むなど、正気の沙汰とは思えません!」
そう言いながらも、井上の口元には、言葉とは裏腹の笑みが浮かんでいた。
近藤は歩みを緩めることなく、規律正しく進む六番隊士たちへと視線を巡らせる。
その中で、少し浮かない表情の若い隊士に目を留めた。
「ガハハハ! どうした周平。敵の大軍を前に、さすがに緊張したか?」
声を掛けられたのは、八番組組長・谷三十郎の弟、谷周平。
近藤は彼を気に入り、常に傍に置いていた。
「ば、馬鹿にしないでください! 僕も新選組の隊士です! ちゃんと戦えます!」
顔を真っ赤にして反論する周平に、兄で槍術使いの谷万太郎が肩を揺らして笑う。
「安心しろ周平! 危なくなったら、俺の後ろに隠れてろ!」
「兄上まで……! 僕が活躍したら、ちゃんと認めてくださいよ!」
必死に言い返す周平に、周囲の隊士たちはどっと笑い声を上げた。
「ガハハハ! 言うじゃねぇか周平!」
「よし、もしお前が今日、立派な手柄を立てたら――俺が養子にしてやる!」
「えっ!? 本当ですか!?」
近藤からの思わぬ提案に、周平の目がぱっと輝く。
「おお、やったじゃないか周平! それなら兄としても、道を切り開いてやらねぇとな!」
「よし! 俺たちも、周平が活躍できるよう雑魚の露払いといこうじゃねぇか!」
「あ、ありがとうございます!!」
隊士たちの激励に、照れながらも嬉しそうに頭を下げる周平。
――その瞬間。
和気藹々とした空気を切り裂くように、銃弾が周囲の地面を弾いた。
「局長! 奴らは我々を敵と認識したようです……」
「うむ……そのようだな」
短いやり取りに、隊士たちの表情から笑みが消える。
近藤は足を止め、誠の旗の前へと進み出た。
「全員、聞け!」
「これより敵の左前衛を突き崩し、味方後続部隊進撃の御前立てをする!」
「その後、あの丘の上に陣取る集団を叩く!!」
一瞬の間を置き、近藤は力強く続ける。
「忘れてはならぬのは恩義だ!」
「いまこそ、ピット様に抜擢されたその恩に、刃で応える時ぞ!!」
「「「応!!!」」」
腹の底から絞り出される、凄まじい気合の返答。
「抜刀―――ッ!!」
井上源三郎の号令と同時に、隊士たちは一斉に刀を抜き放つ。
「行くぞ――!」
「「「応!!!」」」
野太い咆哮とともに、誠の旗を掲げた集団は、ザック率いるクラシック軍へと、一気に突撃を開始した。
{おい! あの旗を持った連中が突っ込んでくるぞ!!}
{な、何だ……あいつらは?!}
前衛の兵士たちが叫んだ、その次の瞬間――
近藤たちは、弾丸が飛び交う戦場へ、何の躊躇もなく踏み込んできた。
{撃て! いや、白兵だ! 白兵戦用意!!!}
混乱する指揮官と兵士たち。
一部の者が慌てて数発の銃弾を放つ――が、その直後。
{新撰組局長・近藤勇、推参!!}
近藤が躍り出ると、愛刀・虎徹を強く握りしめ、大きく振り上げた。
{むぅぅぅん!!}
{うわあっ!!}
近藤の放ったひと振りは地面を抉り、土煙を巻き上げると同時に、その剣圧ごと正面の兵士たちをまとめて吹き飛ばした。
銃に着剣する暇すら与えられず、兵たちは宙を舞う。
生まれた一瞬の隙間へ――
六番組の隊士たちが、雪崩れ込むように一斉に突入する。
「ぬおぉぉぉぉ!!」
「せいやぁぁぁぁ!!」
{ぎゃぁぁぁぁぁ!!!}
刃が閃き、悲鳴が上がり、付近の兵士たちは次々と斬り伏せられていく。
土煙の中、隊士たちは怒号のような声で、混乱するクラシック兵たちへ告げ放った。
{よく聞け、クラシックの兵共! 俺たちの名は新撰組だ!!}
{歯向かう者はすべて斬り捨てる! 命惜しくば、さっさと逃げよ!!}
{ひぃぃぃ! なんだ? シンセングミって?!}
{トレビアンの連中じゃねぇのかよ! 訳が分からねぇ!!}
視界も定まらぬ混乱の中、兵たちは次々と斬り伏せられていく。
結果、新撰組が突撃した前衛部隊の一角は完全に崩れ、もはや戦闘どころではなくなっていた。
{こんなところで殺されてたまるか! 逃げろ!!}
{逃げるな! 留まれ!!}
司令官の叫びも虚しく、兵たちは我先にと四方へ逃げ出す。
{うわっ! な、何だ??}
{こ、殺される! ど、どいてくれ――!!}
{おい! ちょっと待て!}
戦闘の中心から逃げ出してきた兵士たちは、何も知らない後方や左右の兵たちを押しのけ、雪崩のように崩れていった。
{……俺たちも、逃げた方がいいのか?}
{右側で一体、何が起きてるんだ……?}
状況を把握できない兵たちの胸に、不安と恐怖がじわじわと広がっていく――。
一方、その様子を後方から見ていたグルーシーの副官たちは、唖然と立ち尽くしていた。
〈ばかな……あの人数で突撃だと??〉
〈もはや自殺行為にしか見えぬ……!〉
〈……いや、見ろ! 敵の左側面から一気に突入しているぞ!〉
〈あいつら、一体何者なんだ……?〉
新撰組の襲撃によって敵右翼部隊が浮き足立ったのを見て、副官たちは次々とグルーシーへ進言する。
〈好機です、将軍! 敵の前衛が崩れました!!〉
〈突撃箇所から、クラシック兵が逃走を始めております!〉
〈この機に乗じて、我が軍も一気に攻勢に出るべきです!!〉
〈……ならぬ!!〉
〈!!!〉
叫びにも似たグルーシーの一喝に、副官たちは揃って目を見開いた。
〈我々が受けた任務は、この地の死守である!〉
〈勝手に持ち場を離れてよいなど――我らは……いや、私は命じられておらぬ!!〉
部下たちの必死の具申を、グルーシーは鼻息荒く一蹴する。
(……やはり、こうなってしまったか)
その姿を見た副官たちは、揃って小さく息を吐いた。
貴族出身のドワーフ、エマニュエル・ド・グルーシーは、革命前から軍歴を持つ生粋の将校である。
真面目で規律を重んじ、命令を忠実に遂行する――その点においては、これ以上ないほど優秀な軍人だ。
だがその反面、臨機応変さと大胆さに欠ける。
今回のような状況においても、現場の変化に対応するのではなく、あくまで上官――すなわちナポレオンの命令書を最優先する指揮官なのである。
ナポレオンより「この地の死守」を命じられたグルーシーは、その最初の命令を守ることに固執し、それを捨てて別の行動を取るなど、夢にも思っていなかった。
(まずいぞ……このまま援軍だけを突撃させたとなれば、後で皇帝陛下に大目玉を食らうことになる)
(それどころか、この機を逃せば、戦況を覆すことすら不可能になる……)
板挟みとなり、判断に迷う副官たちは、融通の利かぬ上官に困惑の色を隠せずにいた。
そんな彼らのもとへ――
まるで今の状況を見透かしていたかのようなタイミングで、司令部からの命令書が届けられる。
それを受け取ったグルーシーは、素早く封を切り、内容に目を通した。
――その瞬間。
彼の眉が、ぴくり、とわずかに動く。
さらにもう一度、小さく。
だが、すぐに表情は引き締まり、次の瞬間には、いつもの厳格な司令官の顔に戻っていた。
〈……皇帝陛下のご命令だ〉
〈全軍、混乱する敵前衛に向かって進撃を開始する〉
〈急ぎ兵団をまとめよ!!〉
〈〈〈ビアン・ルスュ!!!〉〉〉
副官たちは一斉に敬礼し、各地に散った部隊へ集結を命じるため、伝令とラッパが走り出す。
澱んでいた戦場の空気が、一気に動き始めた。
〈しかし……さすがは皇帝陛下だな。この状況を読んで、進撃命令を出してくるとは〉
〈まったくだ。……だが、命令書を読んだ将軍の顔色、少し変わった気がしないか? 一体、何と書いてあったんだ?〉
副官たちがひそひそと囁き合うその命令書は、いまやグルーシーの胸元に、大事そうにしまわれていた。
(さすがは皇帝陛下……!)
(迷っておった私の心を、「敵の右翼に、大陸軍の強さを見せつけよ!」――たった一言で、ここまで後押ししてくださるとは……)
(このグルーシー、不肖ながら、どこまでも!何処までもお供いたしますぞ……!)
胸の内で静かに拳を握りしめた、その時。
〈将軍! 各部隊、集結完了です!〉
報告を受け、グルーシーは静かに馬へと跨る。
サーベルを抜き放ち、それを空高く掲げて、力強く宣言した。
〈全軍、敵右翼中央に向かって突撃!!〉
〈浮足立ったクラシックの連中に、グランダルメの強さを叩き込んでやるのだ!!!〉
〈〈〈オォ―――――!!!〉〉〉
咆哮を上げたトレビアン軍は、そのまま、混乱の広がる敵前衛部隊へ向けて、一斉に進撃を開始した。




