第390話 帝と皇帝
漂う硝煙の中を、明帝はゆるやかな足取りで進み出る。
金糸の刺繍が施された衣が微かに揺れ、その眼差しはまるで戦場そのものを見透かすかのように鋭く細められた。
「コホッ……。――やれやれ、トレビアンの皇帝がどこで戦を観戦しておるのかと思えば、
まさか、敵軍があと数刻で迫るこの地で、堂々と陣頭指揮とはのう……」
その声音には、呆れと共に、どこか楽しげな愉悦の色が混じっていた。
先頭を進むのは大祝鶴。
その後ろに巴、さらにその背後に明帝が続く。
左右を小松と誾千代が固め、ミントの背後には吟子、
最後尾にはリュックを漁りながら降りてくるツキノの姿があった。
地上に降り立ったミントは、手にした扇子をパチンと閉じると、
薩摩藩士と新撰組隊士が整列するその正面に立ち、西郷と近藤へ命を下す。
「西郷、近藤。そちたちはジャックと共に、“ベルティエ”と申す参謀のもとへ急ぎ参れ。」
「「ハハッ!!」」
二人は深く一礼すると、案内役のジャックに導かれ、司令部へと駆けていった。
ミントはふと背後へ視線を向ける。
「……ツキ姉や。そちは先ほどから、一体何をしておるのだ?」
「ん? あぁ、これ? レオちゃんに頼まれてたのよ。
“戦場に着いたら起動してくれ~”って言われた“アレ”を探してるの!」
ツキノは黒い収納リュックを胸に抱き、必死に中を漁っていた。
「戦場に着いたら起動……とな?」
意味が分からず眉をひそめるミント。
代わりに、小松が困り顔で前に出て説明する。
「明帝様。実は本国のレオナルド様が、
“ツキノ様や我々の戦闘を収録して、研究資料にしたい”と仰っておりまして……。
そのための撮影器具を、ツキノ様がお預かりしているのですが――」
「それほど大事な品なら、なぜ最初から準備しておかなんだ?」
「それが……ツキノ様が“お忘れになっていた”ようでして……」
「……なるほどのう。」
ミントは小さくため息をついた。
「あっれ~? 確かこの辺に入れたと思ったんだけどな~?」
ツキノの物忘れは日常茶飯事。
小松も誾千代も、吟子でさえ特に驚く様子はない。
もはやこの一行にとって、それは“当たり前の日常”のひとつであった。
次の瞬間、巴と小松がミントを守る様に構える。
ミントは前に向き直ると、泥まみれの男たちがはしゃぎながら此方へ近づいてくる。
〈見ろベルティエ!こいつはすごい! このデカい船は陸の上を浮いて走るみたいだぞ!〉
〈まったくです。魔法でしょうか?どういう力で走るのでしょう?〉
ミントたちに視線の先には、手を叩きながら子供のようにはしゃぐナポレオンと、驚愕しながら話を聞くベルティエ。
その前を巴たちに反応し構える護衛のルスタムと、案内する西郷たちの姿があった。
西郷は下馬し、ミントへ説明する。
「我らが向かう途中、丁度鉢合わせしまして……」
西郷が全てを言い終える前に、白い馬から飛び降りる様に下馬した小さな男が、巴たちの前に進み、勢い良くしゃべりだす。
〈マドモアゼル!丘の上を走る、その巨大な船の持ち主たちか?!この船は一体どうやって動いておるのだ??〉
「あんだぁ?このうるさいおっさんは?」
「ちょっと……巴さん!やめなさいよ!」
地味な出で立ちで大はしゃぎする皇帝を、
そうとは知らず、自分たちの言語で軽くディスる巴と、
慌てて制止に入る小松。
――幸いにも、それが母国語であったため、皇帝たちに意味は伝わっていない。
「やめんか、ふたりとも!
皇帝に対して失礼であるぞ!」
(ゲッ! こいつ、皇帝だったのかよ?!)
(ちょっと! 私まで含まれてるじゃない!)
驚く巴と、憤る小松をかき分けるようにして、ミントが前へ出る。
扇子を広げ、口元を隠しながら、皇帝へと語りかけた。
〈トレビアンの皇帝よ。
この船――“ホバークラフト”とはな、魔力と科学を融合させた機関により、陸や水面を浮いて進むものなのじゃ〉
〈なんだって?!
それは……とんでもなく凄いことではないか!!〉
興奮気味に声を上げた皇帝だったが、やがて説明をするミントの、気品ある出で立ちと佇まいに気づき、ふと表情を改めて問いかける。
〈……うん? マドモアゼル。
君が、この使節団の代表なのか……?〉
ナポレオンも、さすがに戦場のど真ん中へ、亜人連合国の“帝”自らが挨拶に来るなどとは、思ってもみなかった。
そんな皇帝の問いに、待っていましたとばかりに、ミントが扇子をぴしゃッと閉じた、その瞬間――
突如として、後方からツキノの慌ただしい声が響き渡る。
「ちょっと、あんた! 待ちなさい!!」
〈〈なんだ??〉〉
ミントと皇帝が同時に振り向いた先には、
妖精のような小さな人影が、捕まえようとするツキノを巧みに躱し、チョロチョロと宙を飛び回っていた。
「ベーッ! いやよ! 捕まえたら、どうせ鳥かごに閉じ込める気でしょ!」
「そんなことしないから!」
何が何だか分からぬまま立ち尽くす、二人の“皇帝”をよそに、
妖精は右手であっかんべーをしながら、ミントやナポレオンの周囲を素早く旋回し始める。
皆が成り行きを見守る中――
突如、飛び回る妖精の背後から、一筋の影が伸びた。
「……ほいっと!」
「きゃー!!」
誾千代は一瞬の隙を突き、妖精を後方から鷲掴みにすると、
じたばたともがくそのままを、ツキノへと手渡した。
「サンキュー、たっちー!」
ツキノは妖精を受け取ると、収納リュックから取り出した鳥かごの中へ、容赦なく放り込む。
「やっぱり入れたじゃない! ツキノの嘘つき!」
「待ちなさいって言ったでしょ! あんたが、ちょこまか逃げ回るからじゃない!」
かごに入れられた途端、妖精は大騒ぎを始める。
「……それよりリーダー、この虫、何なんですか?」
「虫って……失礼ね!
私はフェアリーの『ルナ・ファウ』よ!」
虫かごの中で憤慨する妖精を、ナポレオンは興味深そうに、まじまじと見つめた。
〈ほほう?
亜人連合国には、妖精まで住んでおるのか?!〉
初めて目にする“フェアリー”という存在に、
驚きと好奇心を隠せず、思わず問いかける皇帝。
〈わらわの国に、妖精はおらぬ。
すまぬ、皇帝よ。暫し待たれよ!〉
あまりにも締まらぬ状況に、ミントは一旦、挨拶を中断した。
「ツキノ!
これはどういうことだ?! この妖精は、一体何じゃ?!」
説明を求められたツキノだったが――なぜか、黙り込んだまま何も答えない。
(ぐぬぬぬ……こ奴めぇ……!)
最近“ツキ姉”と呼ばねば返事をしなくなったツキノに、内心イラつきつつ、
ミントは一度深呼吸し、言い直す。
「……ツキ姉や。
この妖精は、一体何なのじゃ?」
「あ、ミンミン。
この虫みたいなのがさ、レオちゃんが私に送ってきた
『観察用のアレ』ってやつ!」
「だから、フェアリーだってば!!」
一見ただの妖精にしか見えない、この『ルナ・ファウ』こそ――
ラビット国の技術師・田中久重が、最初期に開発した、
ツキノ専用の《ガーディアンユニット》であった。
「見つけて起動したのは良かったんだけどさ~、
全然言うこと聞かなくて!
仕方なく、かごの中に投獄したのよ!」
「出してーーー!!」
「投獄って……お前……」
言い方こそ物騒だが、
確かに、このような存在が国同士の正式な挨拶の場で、
ちょこまかと飛び回るのは問題であるのも事実であった。
ミントは小さく肩をすくめ、襟元を正すと、再び皇帝へ向き直る。
その時――
ナポレオンの耳元で、ジャックが小声で何かを伝えていた。
〈……なんだと?
今まで話していたマドモアゼルが『亜人連合国』の帝で、
妖精を追いかけ回していたのが、ラビット国の皇女なのか?!〉
ジャックの報告を受けた皇帝は、驚きを隠せない。
(うぬぬ……!
格好よく自己紹介しようと思うておったのに、
ツキノのせいで、逆に恥をかいたではないか!)
眉間にしわを寄せ、悔しがるミントへ、
ナポレオンは一転して満面の笑みを浮かべ、堂々と声をかける。
〈ジュ・ヴ・サリュ、
アンペルール・ドゥ・ラ・リグ・デ・ドゥミ=ユマン
(ご挨拶申し上げる、亜人連合国の帝よ)〉
〈余の名は、ナポレオン・ボナパルト。
トレビアン帝国の皇帝である!〉
〈……亜人連合国の帝、**明兎**である〉
ほぼ同じ背丈――およそ一五〇センチほどの二人が、互いに向かい合う。
ナポレオンは笑顔のまま、凛とした佇まいのミントへ問いかけた。
〈……それで?
亜人連合の帝が、わざわざこのような戦場にまで来て、
一体、何をしに参ったのだ?〉
理由を尋ねるナポレオンであったが、
内心ではすでに「タレーランが要請した援軍が来たのだ」と確信していた。
しかし――ひとつ、どうしても解せない点があった。
なぜ、援軍の指揮を執るはずの帝自身が、
これほど危険な最前線へ姿を現しているのか。
ミントは手にした扇子をすっと広げ、落ち着いた声音で答える。
〈うむ。
わらわは、そちの国と“話”をしに来ただけじゃが?〉
〈……はなし?
いったい、何の?〉
想定外の答えに、思わず聞き返す皇帝。
〈うん?
そちは外務大臣から、何も聞いておらぬのか?
わらわは、同盟を結ぶために、ここへ来ただけじゃぞ?〉
ナポレオンは、一瞬その場で硬直した。
タレーランの言葉、そしてグルーシーの報告――
それらが重なり、彼は完全に「援軍が来た」と思い込んでいたのだ。
そもそも、援軍と言っても、彼女の兵力は百名にも満たない。
到底、戦況を覆せる規模ではない。
ナポレオンは、引きつった笑みを浮かべたまま、心中で毒づく。
(くそっ、タイユランめ……!
“強力な援軍を送る”などと、ぬけぬけと言っておったくせに、
まるっきりの出鱈目ではないか!)
だが同時に、彼の思考はすでに次の一手を探り始めていた。
(……仕方あるまい。
幸いにも、グルーシーは戻ってきた。
これで、戦局を立て直す道は残っておる……!)
怒りと焦りを押し殺すように、
ナポレオンは低く独り言を零しながら、頭をフル回転させる。
その様子を横目に見ながら――
ミントは扇子で口元を隠し、静かに西郷を手招きした。
(西郷よ……それで、戦局は把握できたか?)
小声の問いかけに、ベルティエから戦況を聞いていた西郷は、黙って力強く頷く。
(ここまでは、明らかにトレビアンの負け戦でごわす……
じゃっどん、我々が来たからには――
これを“勝ち戦”に変えてみせもんそ!)
頼もしさに満ちた西郷の言葉に、ミントの耳がぴんと立つ。
次の瞬間、彼女は声量を上げ、はっきりと号令を発した。
〈……ふむ。これでは、首脳会談どころではないな。
――西郷!
そちも兵を率い、トレビアン軍に協力して、周辺を鎮めて参れ!〉
〈分かり申した!〉
そのやり取りを聞いたトレビアン参謀たちは、一瞬呆然とした後、慌てて制止に回る。
〈ご冗談を!
それしきの人数で倒せる敵ではありませんぞ!〉
〈敵は五万以上!
銃火器で武装した、本格的な兵団なのですぞ?!〉
〈そんな無茶より、ここは危険です!
状況が落ち着くまで、船で待機を!〉
必死の声が飛び交う中、ミントは静かにナポレオンへ歩み寄った。
(トレビアンの皇帝よ。
そちは、タレーランに“援軍の要請”を頼んだのであろう?)
〈!!〉
耳元で囁かれたその言葉に、ナポレオンの眉がピクリと跳ねる。
(安心せよ。
タレーランは、嘘など申しておらぬ。
この程度の敵、わらわの家臣らにかかれば――
“何の問題もない”!)
〈……な……なんだと!?〉
思わず声が漏れる皇帝。
ミントは扇子で口元を隠したまま、静かに笑った。
(後悔はさせん。
わらわの言を信じ、そなたの裁量で――
存分に使うがよいぞ?)
(…………)
ミントはそこで扇子をパチンと閉じ、皇帝から一歩離れて振り返る。
〈トレビアンの皇帝よ!
返答や、いかに?!〉
ミントの声が辺りに響く。
参謀たちも、西郷も、小松も――
誰ひとり言葉を発せず、ただ皇帝の答えを待った。
数秒の沈黙――
そして。
〈ククク……アーハッハッハッ!!〉
ナポレオンは、腹の底から豪快に笑い出した。
一頻り笑ったあと、今度は真剣な眼差しをミントへ向ける。
〈亜人国のランプルールよ、失礼した!
援軍は――ありがたく、借り受ける!〉
その言葉と同時に、ベルティエたちの顔に安堵が広がり、ミントと西郷たちも、ほっと笑みを浮かべた。
〈ムッシュ西郷! ベルティエ!
作戦は、前線へ歩みながら詰めるぞ!〉
〈承知し申した!〉
〈ビアン・ルスュ!!〉
〈なになに?
ミンミンたちも、一緒に暴れることが決まったの?〉
ふたりの返事に、ツキノが割って入ってくる。
〈それじゃあさ~、 私に“いい考え”があるから、みんなも協力して!〉
〈いい考え……とな?〉
皆の注目を集めるなか、ツキノは自分で考えた作戦の説明を始める。
この時すでに、クラシック軍は目と鼻の先まで迫っていた。




