失格教師と教室巡回
今回もちょっと長めです。
自分の名刺を用意。次にお茶の準備をするために冷蔵庫を開ける。ええい、野菜と豚肉がジャマだ。スーツ姿の客人を玄関まで迎えに出た。
「どうも、お久しぶりです」
名刺には人事担当の肩書きがあった。企業訪問をした際に何度か会っている人だ。
「ご無沙汰しています、九字塚です」
進路指導室備え付けの個室に招き入れる。進路は求人票を見に来る生徒も多数出入りをするので、生徒に聞かれたくない種類の会話をするための個室がしつらえてあった。
個室ではあるのだが、扉は半開きにしておく。学校には、明文化されてないが『密室で2人きりになってはいけない』という取り決めがあった。まあ、誤解されるようなマネはするなってことだ。
「それで、ご用件は?」
お茶を出して、話を促す。お世話になっている企業が突然訪問してくるときは、良くない用件と相場が決まってる。
「それが、今年就職した飯尾亮くんですが……辞めました」
やっぱりそんな話か。進路指導部の仕事は「就職決まったから終わり」とはいかない。就職の世話とは、「卒業後の、後々の保証まで学校がする」ことだ。
簡単に辞められちゃあ、高校の信用もガタ落ちだ。去年の卒業者名簿を脳内で検索した。
「3月に卒業した飯尾ですね。1か月もちませんでしたか」
出席日数ギリギリで卒業したくせに、就職面接の時に「3年間無遅刻無欠席です!」と大噓をつきやがった、いい加減な男だ。
「はい。18日ぐらいに“辞める”と言い出しました」
正味2週間かよ。
「それは……申し訳ありません」
戦力にならないどころか、新人育成にかけた手間暇が全て無駄。中小企業には大打撃だ。だのに丁寧に報告までしに来てくれたのは、S商と長年付き合いのある企業だからだ。
何も悪くない重役は、何度も頭を下げて出て行った。
「……主任に報告するの、嫌だなあ」
ため息を吐かずにはいられなかった。
来客名簿に、先ほどのHN食品の名前と日時、応対者、用件を書き込んでファイルに収めた。他の進路指導部の者が、後日確認して情報を共有するようになっている。
なお、本人へ確認の電話をするのも応対した教師の役割だ。
「辞める前なら引き留められるけど、辞めた後に電話しても意味ないよなあ」
ぶつくさ言いつつ、飯尾の自宅に電話をした。なぜか規則で、生徒の携帯番号を訊くのは禁じられている。そのせいで親の携帯か自宅へかけるしかないのが面倒だ。
『もしもし?』
聞き覚えのある、眠そうな声が出た。
「飯尾亮くん? S商の九字塚だけど」
『は? ……ああ、失格野郎か』
遠慮も敬意もない声。面接での大噓をフォローしてやったのは誰だと思ってやがる。
「HN食品辞めたんだって? 人事部長から連絡もらったけど」
『あー』
面倒くさそうに肯定する。
「辞めるなら、S商に連絡してくれ、って言っただろ」
俺の口調もどんどんぞんざいになってゆく。
『電話したよ』
ウソつけ。だったらこっちに周知されてるはずだ。
「いつ連絡くれた?」
『あー? 憶えてねー』
川中と違って、コイツは社会で何も学ばなかったようだ。2週間ポッキリじゃあな。
『思い出した、お前らにダマされたんだった! なんだよ手取り17万って!』
逆ギレかよ。求人票に給与待遇のことは書いてあるし、就職ガイダンスや説明会で細大漏らさず説明してるだろうが。
「簡単に仕事辞めて、これからどうするんだ?」
もうさっさと書類に書くために質問をして切り上げよう。
『ケッ、スカウトされてスッゲー割のいいバイト紹介されたぜ。じゃあな失格野郎、もうかけてくんな!』
乱暴に切られた。
就職が決まったときには手を取って、『この恩は一生忘れません!』と泣きながら言ってたのは何だったんだ。
喉元過ぎれば、ってヤツか。
虚しさを追い出すように、大きなため息を吐いた。
しかしスカウト、スカウトねえ。話が本当なら、あんなヤツをスカウトしてどうしようってんだ? 冬眠中のハムスターの方がまだ役に立つと思うが。
忙しいが、俺は職員室よりもこの進路指導室の方が好きだ。求人票のファイルや各種専門学校のカタログが詰まった棚が幅を利かせてるが、人員が少ないのでゆったりできる。
だだっ広い割に仕切りのない職員室では、いつも教頭たちに監視されてるような気がしてリラックスできないんだよな。
さて、巡回の前に缶コーヒーを一口飲んでおくか。
冷蔵を開けると、妙にすっきりしている。ん? なんか変わったような。
……あ、かさばってたスーパーの袋がなくなってるや。豚肉とか野菜とか入ってたやつが。
若貴先生が持って行った? いや、なんでこのタイミングで? 授業中だぞ?
釈然としないが、今はこだわってるほど暇じゃない。巡回が待ってる。
3時間目は本来教室巡回が入っていたが、事件の聴取とか不意の来客で時間をとられてしまった。
「ちょっと遅くなったけど、行こうや」
職員室から戻ってきた福島主任に呼び掛けられる。
「了解です」
ちょうどジョブサポートティーチャーが来てくれたので、進路待機をお願いして立ち上がった。
福島主任は長い間教員採用試験に合格できず、臨時採用教員を9年間勤めた苦労人。そのせいか、世間的な常識が身についている。
教室巡回は、教師が2人1組で授業を見て回る。2人組で行動するのは、生徒が暴れたりした際の用心のため。
ほとんど事件に臨む警察の心構えだな。
最近では休憩時間や昼休みにトイレを見て回ることも巡回の役割に組み込まれた。S商では授業を抜け出してタバコを吸う生徒がいるからな。
ところで、休憩時間まで仕事を振られて、教師はいつ休憩するんだろうな。休憩時間って労働者の権利じゃなかったっけ?
否応なしに“定額働かされ放題”の現実をまざまざと見せつけられるから、正教員になるのを躊躇してしまうわけだ。
放課後は放課後で、部活の顧問に各部署の会議に全教師による階段廊下教室トイレの消毒作業がある。コロナは教師の仕事を3倍にした。
「4階に上がって、ぐるっと見て回ろうか」
S商業高校の教室は4階が1年、3階が2年、2階が3年と分けられている。学年ごとに階を分けているのは、学年間で仲が悪く、ことあるごとに衝突するから。
教師の知らない水面下だと、もっと陰湿で悪質なトラブルがあるらしい。SNSやLINEは定めし魔窟だろう。
まずは4階のトイレを覗く。サボっている生徒はなし。
次に3年生の授業をA組から覗いてゆく。生徒たちは眠そうにしているが、ちゃんと席に座っていた。就職活動を目前にして、おとなしくしているようだ。
「しかし、いまだに信じられないですよ。令和の世に、こんな荒れた高校があるって」
お堅い教師に聞かれたら説教ものだが、この人は気安く応じてくれる。福島主任や巻代先生がいてくれるのは、かなりのストレス軽減になっていてありがたい。
「言っとくが、俺が前に勤務してたOの商業高校はもっとマトモだったぞ?」
じゃあ、S商だけが特別なのか?
「ここに来て見て目ん玉が飛び出たぜ。俺の実家は離島の貧乏神社でさ、道徳やら年長者への敬意やら薫陶をみっちり親から仕込まれたからな」
福島主任が笑って言う。主任の倫理観は、神社で培われたもののようだ。
「俺も非常勤講師してたD高校で“臨採でS商に行くことになりました”って報告したら、みんなから“大丈夫か?”って心配されましたよ」
「そいつはお気の毒様。真面目な生徒ばっかのD校からココじゃあ、ギャップがすごかっただろ?」
「天地がひっくり返りましたね」
初日から度肝を抜かれる羽目になった。まるで少年漫画で見た昭和の不良高校だ。
「最底辺の受け皿も必要なんですよ」と国語の先輩教師に言われて納得したが、最初の衝撃は相当なものだったなあ。
「まあ仕方がない。ここは、来たくて来る奴がほとんどいないからな」
その通り。昔ならいざ知らず、現在では「商業の勉強をしたい」と思い決めてきている生徒は限りなく0に近い。結果的に来るのは、受験に失敗した“勉強のやり方を知らない生徒”か、“そもそも勉強をしたことない生徒”ばかり。
そりゃ荒れるわな。
3階(2年)では、なんと授業中に上着にアイロンをかけている女子生徒がいたので没収する。コンセントの私用は禁止だ。こらそこの老教師、淡々と授業を進めるな。
4階の1年C組は国語総合の授業。ここは2つ隣の教室にまで騒音が聞こえてくるほど喧しい。
「授業してるの、今年転勤してきた和清主任ですね」
40代の女性が声を張り上げて怒っているが、生徒は無視してやりたい放題している。勝手に席を移動して腕相撲をしている男子生徒たち。机をくっつけて、ファッション誌片手にギャーギャー叫んでいる女子生徒たち。堂々と化粧をしている生徒たち。無法地帯だ。
「静かにしろ! 他のクラスの迷惑だぞ!」
大きな声で怒鳴った。ここまで荒れていると、いつもの言い方では通じない。
時間はかかったが、2人掛かりでクラスを鎮めた。
「ありがとうございます、いつも手を焼いてるんです」
和清主任に頭を下げられる。温厚で優しい先生だが、だからこそS商との相性は最悪だ。同じ国語科の教師としては、話の分かる良い上司なんだけどな。
「和清主任にC組は荷が重そうですね」
教室を出て話す。職員会議でも、両隣のクラスから「うるさくて授業にならない」と苦情が来ていたが、直に見て納得したよ。
S商は学力順にクラス編成がされているのだが、なぜかA・Cの奇数クラスが荒れる傾向にある。
「あの先生、元はK高校にいたんだけど、ココに転勤って聞いて、しばらく寝込んだらしいぞ」
主任が教えてくれる。温和で生徒にあまり強く出られない性格じゃあS商は辛い環境だろう。
「今後、和清主任の授業の時はちょっと長く留まって、協力してやろうや」
こういった気遣いが自然にできる主任をなかなか大したものだと思う。
福島主任のような有能な人材が教員採用試験の2次試験(模擬授業、面接など)で9年連続落ちて、キバヤシみたいなサラリーマンもどきが一発合格するんだから教員採用試験ってやつは分からない。
28歳超えてる人間は、コネがないと受からない、って黒い噂は本当なのかもな。
だとすれば、来年28歳の俺も合格は絶望的だ。親戚のどこを見渡しても教職に縁がありそうな者はいないしな。
渡り廊下の半ばにある調理実習室は、1年生が調理実習の最中だった。
生徒が刃物を使うから、特に神経が擦り切れる授業だ。本来教師2人で行うが、S商では1人で担当してる。先週までは2人だったんだけどな。もう1人の教師は辞めてしまった。
「先生、肉と野菜が足りないんだけど」
生徒が言う。
「あらそう? じゃあ予備があるから使って」
担当は生徒あしらいが上手い若貴先生なので、不測の事態の対処も手慣れたものだ。39歳の、お好み焼きを毎日弁当に持ってくる豪快なおばちゃん先生。
俺たちを見て手を振ってくる。同じ進路指導部所属なので、俺や福島主任とも親しかった。
「若貴先生でも大変でしょうね」
家庭科は2クラス合同で行うので、人数は2倍、負担も2倍だ。目の届かない生徒がどうしてもでてくる。
「家庭科の教師はいつも人手不足だからな」
家庭科教師は、募集が集まらない代表格だ。次は英語。
さて、巡回も終わり、そろそろ引き返そうかと思っていた矢先、不審な人影を発見した。
家庭科室は2階渡り廊下にあるのだが、その斜め向かい。校舎3階の2-D教室に、生徒がウロウロしている。
生徒が教室にいるのは当たり前だが、問題はこの時間D組は体育の授業中だってことだ。
家庭科や体育はC組と合同なので、時間割をよく憶えていた。
距離があって、しかも見上げる形だから顔はさっぱりだが、制服を着てるんだから生徒なのは間違いない。
「この時間、2年D組は体育でしたよね?」
主任に確認をとる。
「ん? そうだったな。どうかしたか?」
「空き教室を物色してる生徒がいます」
福島主任の表情が引き締まった。
「特定は?」
「角度的にムリですが、女子です」
「行こう」
主人公の思考は偏っています。作者の思考とは別物です。