失格教師と不審者警報
これは無事に乗り切れそうだ。と楽観的になりかけていたら、アレが始まった。
なにぶん、19年ぶりに復活した体育祭。前のデータは何も残ってない。よって、ゼロからのスタートになった。
しかも校長は校長で「我が校独自の特色を!」とか勝手なリクエストをかます。
その板挟みでできたのがこの罪深い競技。
『次の種目は“タイヤ泥棒”です。出場者はゲート前に集合してください』
ネーミングセンスからして尋常じゃない“タイヤ泥棒”だ。
各色の代表がグラウンドの四隅を陣取る。中央にはこんもりと積み上げられた様々な大きさのタイヤ。小さいのは三輪車から、大きいのはトラックのタイヤまで。
このタイヤを自陣まで持って帰れば、大きさに応じた得点が入る、という競技だ。ここまでは何ら問題はない。
『始めてください!』
2ーCの代表は……うわ、毒島か。さては選手を決めるHRバックレて、勝手に決められた口だな。
選手が一斉にタイヤに群がる。体力に見合ったタイヤを運ぼうとする……のは半数だけ。残りの半数は、敵チームの運ぼうとしてるタイヤに取り付き、奪おうとする。
「ジャマすんじゃねー!」
「ぶち殺すぞコラァー!」
スポーツマンシップが怒り狂いそうな怒声が飛び交う。
考案者の体育教師が何を考えたのやら、この競技は「妨害アリ」なのだ。S商で言う妨害とは、ディーフェンス、ディーフェンスのような紳士的なもんじゃない。リハーサルのとき、殴り合いのケンカに発展したのでさすがに殴る蹴るは禁止になったが、それでも熾烈な取っ組み合いになる。
体育祭で一番荒れる種目になった。S商の体育教師もなかなかにアナーキーだ。
タイヤ泥棒はバイオレンス過ぎるので、体育教師総出で監督することになっている。
俺は邪魔にならないように階段下の救護テントに移動した。
「やー、予想通り荒れてるなぁ」
岡先生がやってくる。岡先生もスポーツが得意な方だが、体育祭は体育教師が花形だ。有り体に言えば評価のアピールポイントになるので、あまりしゃしゃり出ないようにしてるようだ。
「コロナを口実に保護者来場禁止したのは英断でしたね」
こんな世紀末な体育祭、よそ様にはとても見せられない。
おっと、毒島が肘打ちした。見なかったことにしよう。今は体育教師の活躍の場だからな、うん。
「一昔前の運動会だと、“競わせるのは良くない”って100m走とか手を繋いでゴールをしてたってさ」
岡先生が話す。足が速い者はゴールせずに待って、遅い者が追い付いてから全員で手を繋いでゴール、みんな一等賞、とかいうことをしていたらしい。
「とんだ茶番ですね。社会に出たら争いしかないのに」
競うことを禁止しておいて、なんのための“競技”だよ。
そのとき。
ガンッ! と後方で鈍い音がした。
「いま、校舎の方から……」
「……音がしたねぇ」
岡先生と目くばせする。校舎に生徒はいない。教師も職員室に詰めてる1人のみ。ほとんどの部屋は施錠されている。
再び音がした。スポーツで生じる音じゃなくて、金属と金属をぶつけ合うような重い音だ。
岡先生が強く頷いた。猟犬のような目つきになっている。岡先生は元から血の気が多く、前に勤務していた高校では生徒指導部でビシバシ指導していた剛腕教師だ。
「行きましょう!」
俺たちは長めの階段を駆け上がった。
俺たち2人がたまたま階段近くの救護テントに待機してたから聞こえただけで、そうでなければタイヤ泥棒の喧噪でかき消されていただろう。
やれやれ。ラッキーなのやらアンラッキーなのやら。
階段を駆け上がる最中、もう1度音がした。「職員室に詰めてる教師は何してんだ?」
「きっと1人しか職員室にいないから対応に手間取ってるのさ」
あ、そうか。さすがに職員室が無人というわけにはいかない。今の時間詰めているのは、しっかり者の若貴先生だ。肝っ玉のおばちゃん先生。
「校舎の左端から音がしたねぇ」
岡先生が告げる。
校舎に入ったタイミングで、若貴先生の声で放送が流れた。
『虎井先生、虎井先生、至急職員室へお戻りください』
――不審者警報だ。
学校内に不審者が侵入した際、生徒がパニックを起こさないように隠語でやり取りすることが危機管理マニュアルに定められている。
学校によって不審者の隠語はさまざまだが、S商は「虎井先生」で統一していた。これは校長先生の名前。
まったく架空の教師の名前だと、生徒に怪しまれてしまうからな。校長なら実在するし、普段呼ぶときは「校長先生」呼びなので、混同することがないわけだ。S商の生徒にそこまで気の回るヤツがいるのか、という問題は置いとくとして。
いいぞ、これで他の先生たちも気付く。
玄関から校舎に入る。右に行けば進路指導室や元宿直室。左は、無人の事務室を通った先にに会議室、第一情報室、生徒指導室、生徒の下駄箱。
岡先生と各部屋を確認する。
結果、どの部屋も施錠がされていた。2人で顔を見合わせる。
「1階から音がした感じだよねぇ?」
「そう思いましたけど……」
そうしてる間に、他の先生も駆けつけてきた。施錠を確認して首をひねっている。
「勘違いじゃないですかあ?」
一番遅れてやってきた――安全を確認してから来たんじゃねえか?――キバヤシが言う。周りの先生たちの緊張感も緩みつつあった。
だが、俺はまだ安心できていない。捨見からバンピングという開錠技術のことを教えられているからな。
「いちおう、1階の部屋全部見て回ろうや」
福島先生が建設的な提案をした。どこかに不審者が隠れているかもしれない。
「前に塞いどいた宿直室も、この際見ておくかあ」
余計なこと言うな井手之下!
困ったが、宿直室の検査を中断させる理由が1つも見当たらない。何の手立ても思いつかないまま校舎右側の点検に加わるしかなかった。
進路指導室、保健室ともに異常なし。だがここで珍事が起きた。無人のはずの事務室に、なぜか事務長がいたのだ。部屋の角で頬杖をついて、ぼーっと座っていた。
「んあ? お前ら何やってんだ?」
こっちのセリフだ。
「さてはコイツ、こっそりサボってやがったな」
誰か囁き声が聞こえた。この事務長は、とかく偉そうなくせに働かないと評判だ。
「緊急放送聞いてなかったんですか?」
「は? きんきゅう?」
事務長の手には慌てて抜いたであろうイヤホン。落語が漏れ聞こえてきた。
ここで誰も怒鳴らず、「まあ事務長だしな」で諦めるのが実にS商クオリティ。
「1階の左側に不審者がいるらしいんッスよ」
“いちおう”役職持ちなので、巻代先生が説明した。
「ひだりぃ? いねえぞ、だれも」
だが事務長はきっぱりと否定した。
「だっておれ、落語聞きながらぼーっと廊下見てたけどよ、だぁれも通らなかったぞ?」
自分で白状しやがった。だが、誰も通らなかった、ってのはどうとればいいんだ?
「宿直室なんてあったんですねー。じゃあ私たちで確認しましょうか、恭二先生」
何の因果か「失敗友だち教師」こと酒石先生と確認する羽目になるとは。
陰で俺の悪口を生徒に言いふらしてるくせに、馴れ馴れしく下の名前で言うな。もっとも、悪口を言われてるのは俺だけじゃない。モラルの低い生徒相手には、教師の悪口が一番盛り上がるからな。コミュニケーションの手段として他の教師を利用してる感じだ。
思慮深い福島先生や若貴先生なら、生活痕跡のある宿直室を目撃しても密やかに対応しただろう。頭の回る人は、学校や生徒に与える影響を考えることができる。
だがS商女子生徒並みに口が軽い酒石先生じゃあ、今日中に全校生徒の耳に入ることになる。教師といえど、守秘義務がどうしても守れない人間はいる。そのことで上司から注意されても、だ。
酒石先生が宿直室のドアを開けるのを、祈るような心持ちで見守っていた。
こいつの後ろ頭ぶん殴ったら、記憶を消せないかな。




