失格教師と遠回しな警告
落書き犯が普段から孤立した衛星集団なら、関わるのを嫌がるかも、と推測するが。
「しかしな、告発者の背負うリスクが大きすぎる気がする」
メリットでもあるのか?
「そこで運動部ですよ」
ペットボトルのお茶を口に運ぶ。
「ん?」
アタシもボーっと考えてたんだけどね、と前置きする。
「犯人はおそらく運動部」
「おう。異論はない」
捨見はペットボトルを逆さにして豪快に一気飲みした。
「帰宅部・文化部と運動部の差は、大会が多いコト」
なんとなく、言わんとしてることが分かってきた。
「大会近いのに、同じ部で犯罪をしてるヤツがいる。もし発覚したら連帯責任で大会に出られない、だから迂遠な警告をした?」
焼肉を食べた野球部が1ヶ月の停止処分だからな。
「警告はしたいけど周りにバレたら元も子もなくなっちゃうから、あんな中途半端に冒険した内容になっちゃった。キケンを冒してあんな手段に出たのは、ホンキ度のアピールじゃない?」
いわゆる「頭の煮えた状態」か。いかにも高校生らしい行動力とリスク管理のなさではある。
「でもな、これ全部状況証拠だけだよな?」
「特定されないように、相手も必死に考えたんっしょ」
校門の防犯カメラが本物だったらなあ。
「ハンザイとやらの内容が知れれば手の打ちようもあったかもだが」
さすがに高望みしすぎか。
「落書き犯にとっては、相手に伝わらないことが心配だったと思うワケ」
進路でも酒石先生が言ってたな。
「だから、その落書きに仲間内にだけ通じる意味が籠められてるんじゃない?」
そのヒントは目の前の画面にあるわけだ。
「この落書きの中に、か」
しかし、現在宿直室は照明をつけていないので暗い。
「黒い字の部分がほとんど潰れて、近眼にはキツイ……あ」
逆に暗いお陰で、警告の意図を知ることができた。同時に、ことの重大さも知る。
「どったの?」
素っ頓狂な声を上げる捨見。
「この落書き、2色で変なトコ塗り分けてるだろ?」
「はいな」
1つの字でも、中途半端に白と黒で分かれていたりする。
「白い部分だけ抜きだしてみろ。こうやって」
スマホを操作して、画面の明度を落としていった。黒い文字の部分は薄れてゆき、白い部分が残る。
白いのはハ、ャ、ろ。ンは下の部分、ザの横棒と右の縦線、そして濁点。気のメの部分。それ以外は黒で書かれている。
「ハノブャメろ?」
捨見が口に出して読む。
「ノは金釘流でもっと倒れてるだろ。ほとんど横棒だ」
「じゃ、ハーブャメろ。……あらまあ」
口に出して、捨見も理解した。
「“ハーブやめろ”。ハーブで犯罪絡みといえば――」
「脱法ハーブ、でしょうね~」
一大事だ。
「だから、“気”だけ漢字だったんだ。キじゃメッセージに使えない」
他はカタカナでいいが、気はそのために漢字で書かざるを得なかった。
「すごいすごい! さすがは国語の先生」
捨見が拍手する。なんだその国語万能説は。ぶっちゃけ授業中一番居眠りこかれる教科だぞ。「しかしこんな回りくどいことして、相手には伝わっただろうか?」
物珍しさに撮影してた生徒はたくさんいたから、少なくとも目には入ってるだろうが。
「たぶん、仲間内でこーいった言葉遊びのゲームをしてたんじゃない?」
生徒の目線から推測する。確かに、一部の生徒の間で奇妙な遊戯が流行ることはある。2ーCの糸亀も「ミ」を崩して「111」と書いていたな。
「なるほど、それで考えついたと」
「ついでに言っちゃうと、“白”はドラッグの隠語ね」
「なぜにそう物騒なことに詳しいんだ、お前」
思えば、部室棟に足を運んだ時に捨見が“臭い”と言ってた。あれは焼肉の匂いが残ってたんじゃなく、ハーブの臭いだったのかもしれない。陸上の生徒が体調を崩したのも、部室棟の前を歩いている時だった。
「ハーブの残滓がこれだけ残ってるってのは、かなり深刻だぞ」
かなりの常習性と規模だ。
【5月9日(火) 12:45】
『1年生の担任の先生方は、直ちに会議室に集合してください』
校内放送が響いた。
「行ってきます!」
せっかちな1-A担任の酒石先生が飛び出して行った。
「何かあったんですかね?」
「さっき警察から連絡があったんですよ。1年生が事件に巻き込まれたとかなんとか」
岡先生が教えてくれる。
「岡先生、それ以上はダメですよ」
1ーD副担任の若貴先生がぴしゃりと言って出ていった。
「情報回ってこないから困るんだよなあ」
学年が違えば違う領土、というのがS商の原則だ。1年生に何かあったとしても、2年や3年の担当教師たちに共有されることはまずない。 2年の担当だが1年の授業を受け持っている俺には迷惑な話だ。
「突然生徒名簿から名前が消えたりして、“?”ってなるんだよな」
3年担任の岡先生も同意する。家庭の事情で離婚などして生徒の名字が変わったりして、ひどく驚くときがある。
「俺が学生の頃なんか、在校生が亡くなったりしたら全校集会で黙とうとかしてましたけどね」
思い返してみるに、非常勤の時も臨採の現在も、そういったことをした記憶はなかった。
「保護者が反対するからやらなくなったらしいですよ。“宅のぼっちゃんがショックを受けて気落ちしてるザマス! 責任を取れザマス!”って」
妙な語尾で喋る岡先生。しかも妙に上手い。
「器ちっさ!」
集団行動や協調性を教えるはずの学校が、保護者の狭量に邪魔される事例は枚挙に暇がない。
【5月9日(火) 12:55】
「進路が呼び出しやがるから、何のことかと思やあヨ……」
毒島が不機嫌そうに頭をがりがり搔いている。昼休憩になって早々、校内放送で進路に呼びつけたので、ご機嫌ナナメだった。
「校内で脱法ハーブが浸透してるとか、聞いたことないか?」
下手な小細工は逆効果だろう。思い切ってストレートに切り出してみる。
S商には暴走族に入っている不良生徒が何人もいる。そして、暴走族は反社勢力がケツモチ(後ろ盾)していることがほとんどだった。
反社経由で暴走族に覚醒剤やシンナー、ドラッグがさばかれる話は有名だ。が、俺はその手の話に疎いので、現役暴走族に話を訊いてみることにした。
「テメー、オレが商売やってっとか疑ってんのかヨ?」
現役の暴走族だけあって、睨みが利いているな。だが、「殺すぞ」が挨拶のS商にいれば嫌でも慣れる。
「だったら生徒指導室が動くだろ。運動部で脱法ハーブが流行ってる、って不確かな噂があってな」
ペンキの件は伏せて説明する。
「お前のチームが関与してないなら、教えて欲しい」
毒島は頭をしばらく掻きむしった。
「オレが言ったってことは……」
「もちろん黙っとく」
なおも悩んだが、
「しゃあねえな。オメーには借りがあっからヨ」
脚を組んで座りなおした。他の教師が見ていたら問題だが、面談用の個室なので誰も見ていないから問題なし。
意外に義理堅い性格だ。もちろん、その性格を見越して話を持ち掛けたわけだが。
購買の袋を逆さにして、パンをテーブルに落とす。
「メシ食いながらでいいよナ?」
「もちろんだ。その昼飯代は俺が払うから」
毒島はハムサンドを嚙みちぎった。ゆっくり咀嚼している。ああやって、考えをまとめているんだな。頭の回る人間は、言葉にする前にまず整理する。
「A町の隅っこに、しょぼいゲーセンがあんだがヨ」
やがてしゃべり始めた。着地点が見えないが、黙って聞いておくことにする。
「そこに、3000円のガチャがあんだヨ。知ってっか? 日本のマイナーオモチャシリーズとかいうヤツ」
「いや、知らない」
しかし、1回3000円とは。全く興味を惹かれない上に高い。
「まあな。しょぼいワニとか汽車とかのオモチャが出てくんだけどヨ。その中に隠してるんだわ」
「まさか、ハーブを?」
2つめのパンに取り掛かりながら頷く。
「2gぐらいな」
値段に見合った量なのか、俺には分からなかった。
そんなやり方が。確かに、薬物売買は売人が買い手と接触したときに逮捕されやすい、とか聞いたことはあるが。でもなあ……。
「あんまり頭の良いやり方じゃない気がする」
疑われたら一網打尽だ。管理も大変そうだし。
「しかたねーだろ。このやり方考えた反社っての、S商のOBなんだからヨ」
腑に落ちた。
S商卒業生や中退者が、暴走族経由で反社勢力に就職してしまう転落パターンがままある。口さがない教師たちは「第二の就職先」とか揶揄していた。
もっとも、反社としても頭の回らないヤツは使えない。だからS商上がり組は、使えない下っ端扱いらしい。
「そのガチャのこと、ダークウェブで知ったヤツらがいてヨ」
「ダークウェブ?」
以前にも聞いた名前だ。
「ダークウェブって何だ?」
「非合法な仕事とか、情報が取引されてるネットのヤベーところ」
説明してくれる。魔窟だな、ネット。そのダークウェブだかの怪しい情報を見た生徒が、興味を持って手を出しちまったと。やれやれ。
ネットリテラシーは学校の授業でも指導されてはいるが、いかんせん指導側の知識不足が深刻だ。
ダークウェブの怪しい情報を見た生徒が、興味本位で手を出してしまった、ということらしい。
「……そのガチャについては、最悪学校上層部伝わっても大丈夫か?」
「かまわねーヨ。ウチはヤニ(タバコ)以外の薬物は御法度で関係ねえしナ」
硬派な暴走族だな。いやタバコもダメだぞ、いちおう。




