失格教師とCクラス
ちょっとだけ今回長めです。
「……よし」
2年C組を前に、密かに気合を入れ直す。
「そんな気負わなくても。いつものことじゃないすか」
軽薄なものを漂わせて、キバヤシが苦笑する。柔道の黒帯らしいけど、このユルさはなんなんだろうな。
通常、新任教師にはベテラン教師が指導役に付く。キバヤシには池秋先生という年季の入った生徒指導部の先生が付いてくれていたのだが、あまりに学習能力がなくて手綱を放り出してしまった。
2年C組の総勢は38名。
「きりーつ、礼」
だらだらと会話をしながら立ち上げる生徒たち。C組に限らないが、クラス内にはいくつもの小集団ができる。素行の悪い連中にしても、程度の差でグループが別れてたりする。
このクラスの場合は。
①不良男子グループ。暴走族とかに所属してる連中。基本荒っぽい。いちおうクラスメイトに恐喝とかはしてないようだ。退学率高し。
②ファッション不良グループ。見栄で不良を気取ってる連中。加減を知らないため、迷惑行為を繰り返す傾向にある。
③ちょい悪女子グループ。最大人数だが統率がまるでなく、頻繁に分裂統合を繰り返す。服装違反の常連。
④その他1~3人の衛星集団。真面目な生徒や内気な生徒たちが、うるさい①~③グループに入れずにいる。孤立傾向にある。
俺の分類ではこんな感じだ。
①~③はほぼ均等に手がかかるグループだが、ある意味最も注意が必要なのは孤立傾向にある④だったりする。人知れず孤立を深めて、黙って辞めていくことがあるからな。
で、このクラスの場合、要注意人物が2名いる。
「今夜集会あっから、パーキン集合な」
①のリーダー格の毒島。185cm超えの長身に筋肉質、ドレッドヘア。暴走族で、何度も警察の厄介になっていた。校則で禁止されてるバイクで通学している疑いあり。なお、本来は「とくしま」と読むが、「どくしま」や「ぶすじま」とよく呼ばれる。
「ええー? なんで合コン呼んでくんなかったのよ!」
③グループの糸亀。感情の波が激しく、他の生徒とトラブルが絶えない。世の中の人間を「嫌い」か「大嫌い」だけで区分していそうだ。俺は紛れもなく後者。
愛称は「ラブ」。下の名前が「愛流」だから。愛が流れてどうすんだ。親のセンスを疑う。
ともかく、この2人がこのクラスのキーパーソンだ。
「いいかー、伝達事項言うぞ」
キバヤシが下を向いたまま喋り始める。生徒を見ろ、こら。意志を籠めない言葉はお経と一緒だ。
「集会終わったら、飲みに行こうゼ。おごってやんヨ」
「やったやった! お供するよ」
「マジマジ、同伴のバイト始めたんだって」
「えー? でもウザい客来たらどうすんの?」
生徒たちはおしゃべりを止めない。こりゃダメだ。聞き捨てならない会話もあったが、追求はムリだな。冗談で流される。
「はいはい、みんな。しっかり聞こうか。特に、毒島くん」
そう言って、真後ろを向いて話していた毒島の名前を呼んだ。集会だの飲みに行こうぜだのと言ってたのもコイツ。仲間内にはけっこう太っ腹のようだ。
S商は2年生からアルバイト解禁だが、族仲間から割のいいバイトでも斡旋してもらっているのかもしれない。
……その収入源、犯罪絡みじゃないよな?
「ああ? 今忙しーんだけどヨ」
毒島が睨んでくる。暴走族特有の、語尾を跳ね上げる発音だ。なかなか堂に入っている。
なお、恵まれてると言われている教師の給料だが、労働時間で割ると時給780円ほどでしかない。S商生のバイトの時給以下だ。月180時間のサービス残業が足を引っ張っている。俺が教師を続けることに消極的な理由その②だ。
「昨日“別室”から出たばかりだろ? 授業観察が残ってるんだから、真面目なフリしときなさい」
舌打ちしたが、特に文句を言わなかった。ファッション不良と違い、毒島は損得勘定ができるので俺は嫌いじゃない。
満足して離れようとした矢先、
「ンなことより、1年の手綱をしっかり握っとけヨ」
毒島が小声で言った。
「1年?」
何で1年が出てくるんだ?
「最近2年の階でチラチラ見かけるんだヨ。チョッカイかけてきやがる。そのうちケンカになるゼ?」
口調は荒いが、これは忠告だ。
「む……分かった」
1年と2年の仲は険悪だ。まだ大事に発展していないが、ちょいちょいこづき合いレベルのケンカは発生している。
2年の不良グループでも発言力のある毒島が動くと話が無闇に大きくなる。その前に知らせてくれたんだろう。
「糸亀さんも静かにな」
一方、感情で動く糸亀は大の苦手だ。同伴云々で盛り上がっていた糸亀に注意すると、ふんっ、と鼻息を吹き出して黙った。ヤカンかよ。
クラスが幾分静かになる。どのクラスにも、その教室の雰囲気全体を左右する生徒が存在する。
C組の場合、毒島や糸亀がそれだ。
全員をいちいち怒っていたら、それだけで授業が終わってしまう。モグラたたきは効率が悪い
「いやー、声のよく通る九字塚先生がうらやましいですよ」
ホームルームが終わって帰る際、キバヤシが話しかけてきた。
「そうですかね?」
俺の声は別段大きなわけでもよく通るわけでもない。身長だって168cmで、生徒から見下ろされることもしばしばだ。少なくとも、180cmのキバヤシの方が押し出しが利くし、事実羨ましいと思ったこともある。
ただ、注意するときは意志を籠めるようにしている。
キバヤシは冷ややかな対応に気付かず続ける。
「そうですよ、僕が言ってもあいつら全然聞かない」
職員朝礼に無断遅刻したオマエが言っても説得力がないぞ。
サラリーマンと勘違いして教師になったようなこの男がどうやって難関の教員採用試験に受かったのか、俺には不思議でならない。
キバヤシは口先だけで注意しているから生徒に軽んじられているだけだ。生徒は、そういったものを見抜くことに驚くほど長けている。
「先生、あれ!」
帰り道、廊下でDクラスの女子生徒に呼び止められた。
生徒が指さしたのは、Dクラスの隣にあるEクラス、もとい、元Eクラスで現空き部屋だ。去年までは5クラス制だったのが、生徒数の減少に合わせて今年から4クラス制になっていた。
「あの部屋がどうかしたか?」
「あそこ」
もうちょい言葉で伝える努力をしてくれよ。④孤立集団の生徒には、言葉足らずな性格の持ち主が多い。
指先を辿ると、Eクラスの蛍光灯が1本なくなっていた。割れた形跡はない。
「替えといてよ」
言ってさっさと行ってしまった。仕事が増えちまったが、教えてもらって感謝しとこう。放置しておいて抜き打ちの備品チェックが入ったら、2年担当全員の失点になるからな。
しかたない。後で時間を見つけて交換しておこう。
しかし、なんで蛍光灯がなくなってるんだ? 生徒が割っちまったか?
いや、この部屋はずっと施錠されたままで掃除さえしていない。3月のワックスがけのときはあったはずなんだがな。
盗まれた……なんてことはさすがにないか。
別に俺が蛍光灯の担当というわけじゃない。2年担当教師の誰かがやればいい話だが、なんせ俺は短期雇われの臨採の身。こういったことを進んでやって、ポイントを稼いどくことは重要だ。
なお、同じ2年担当のキバヤシは蛍光灯の交換をする気はさらさらなさそうだ。
とは言え、増え続ける仕事量につい愚痴も言いたくなる。
「他の学校でも、蛍光灯の交換まで教師がやってるのかなあ」
授業外でやることが無闇に多すぎる。
「昔は学校に用務員がいて、こういった雑用してくれてたらしいけど」
雑草を刈ったり、電球交換とかの雑務をしてくれる用務員がいたら、どれだけ教師の負担を減らせるか。現在でも一部の学校にはいるらしいけど、少なくともS商には縁のない存在だ。消毒液を買う金もない学校が、用務員を雇えるわけがない。
「でもその頃って、教師にも宿直なんて仕事があったんでしょ?」
おっと、独り言のつもりだったが、キバヤシに聞かれてたか。
以前は宿直と言って、教師が当番制で学校に泊まり込んでいたらしい。
「昔は寝泊まりするための宿直室とかあったらしいですね」
俺の言葉に、キバヤシが下品に吹き出した。
「ぶふっ、泊まり込みで働けだなんて。そんな規則がまだあったら、絶対教師なんてなってませんよー」
だからそんなこと、廊下で大声で言うなよ。
でも大変不本意ながら、その点に限ってはまったく同意見だ。
無機質なコンクリートの階段を下りて1階の進路指導室へ移動する。S商は創立以来60年、一度も大規模な改築を経験していない。鉄筋コンクリート建造物の学校施設耐用年数は60年だから、退役間際のご老体だ。
階段を下りて保健室、進路指導室、事務室と進んだ先に玄関がある。1階に教室はない。
この配置は大英断だったと思う。1階に教室なんぞあったら、あまりのやかましさに来校者
が残らず回れ右することになっただろう。
「九字塚先生、ちょうどいいところに」
半開きだったドアから廊下を眺めてたらしい保健医に声をかけられる。
「ホワイトボードを勝手に動かす生徒がいて」
職員朝礼でそんなこと言ってたな。保健室とは反対側の壁にホワイトボードがある。保健だよりとか貼ってあるんだが、そういや前はもう少し右側にあったような。
「もー本当に困っててー」
本当に困ってるんなら、さっさと自分で直しといて欲しい。
だいたい、保健室前のホワイトボードが右にあろうが左にあろうが、俺には全然関係がない。保健医には人事権がないからおもねる必要もない。
「はいはい、これでいいですか?」
が、そんな本音が言えないのが教師の世界。仕事をしない人間ほど声がデカくて陰口が多い。悪評をバラまかれて出世の思わぬ障害になったりする。これは教師の世界に限らないか。
臨時採用教員の哀しさよ。俺は5mほど、ホワイトボードを右に動かしてやった。
「あー、あと50cmぐらい右ですー」
きっと今日イチ不毛な時間だな、これ。
日常がそろそろ終わります(/・ω・)/