失格教師と白木の杭
「ぼ、僕は何もしてませんよ! いきなりこの子に急所を蹴られた被害者じゃないですか!」
言い出すと思ったよ。「誤解」で押し通してうやむやにするつもりなんだろう。証言だけで証拠がなければ水掛け論になる。
だが、俺はお前の手の内を知ってから喧嘩を買ったんだよ。
「そうか、アンタの差し金か! グルだろ!」
金的の痛みもだいぶ引いてきたようだ。
「何言ってるんです? 俺はたまたま授業用タブレットを図書室に忘れたんで取りに来ただけですよ?」
空とぼけて見せる。
「とにかく、僕は暴力を振るわれたんだ! 疚しいことはなに1つしていない!」
「証拠はあるけどな」
「証拠もないくせに……え?」
補習は捨見が最初に座っていた席で行われた。奥まった場所は、万一図書館に誰かやってきても見られにくい。お前はそれを計算して、わざわざ座席の変更はしないと踏んでたんだよ。
で、現場が特定できるんなら、相応の準備ができるわけで。
本棚の陰に隠してあったタブレットを回収する。
「おや、偶然にも俺のタブレットがこんなところに。本を探してるときに忘れちゃったみたいだなあ」
今の立場を懇切丁寧に教えてやらないとな。暴発されたらそっちの方が面倒だ。
「は?」
「しかも、前に授業でリモートに使ってたから、リモートモードがオンになったままだったわ。うっかりうっかり」
我ながらわざとらしい。もちろん現場をばっちり押さえるために、角度調整しておいた。
「お、おい」
「知ってるな? リモート環境の映像は、他の教師が自由に観れること」
クリック1つで、ネットの『国語科教師』フォルダに一括公開することも可能だ。
なお、捨見の顔は映らないように角度を入念に微調整している。それが捨見が提示した、協力する条件だった。
『しっかり映ってますよー』
スピーカー越しに和清主任の陽気な声がした。もちろん本人は隣室に待機している。
「しゅ、主任?」
祝日で不在だと思い込んでいたツルハシは仰天した。
「これが、動かぬ証拠ってヤツだ」
わいせつ教師は呆然としていたが、すぐに我に返った。
「こ、このことは内密に……!」
ケンカを売った身で、虫のいいこと言ってんじゃねえよ。
とは言え、この映像を余人に見せることは、実は俺にも都合が悪い。不登校のはずの捨見の存在が明るみに出るからな。だから教頭にチクって懲戒解雇、なんてことはできない。
そもそも懲戒解雇を出すことは不名誉なことで、受験者数に響く。そこで俺は、考えに考えた「罠」を実行に移すことにした。
「黙っててやるから条件がある。教員免許をいったん返納しろ」
妥協案を出されるとは思わなかったんだろう。ツルハシがポカンとした顔をしている。
「そ、そんなことできるのか?」
「できないという規定はなかったから、できるはずだ。ほとぼりが冷めてから“手違いだった”とか理由をつけて再交付してもらえばいいだろ。もちろん、いったん学校は辞めた後で、だ」
ツルハシは考え込んだ。が、答えは分かり切ってる。懲戒免職に比べれば、これの方が再起のチャンスがある分、何倍もマシだ。
「わ、分かった。この学校を辞めて、免許を返納すればいいんだな?」
或いは、「頭の良い自分なら、なんとでも言いくるめられる」と算盤を弾いたのかもしれない。
「ああ、それで手打ちだ」
ツルハシは提案を吞んだ。
『えー』
和清主任は不服そうだった。動かぬ証拠があることだし、懲戒免職まで持っていきたかったのだろう。
が、こっちだって“見せびらかせない印籠”でブラフかまして、薄氷を踏む思いなんだぞ。
ツルハシは悄然と図書室を去って行った。厄介な事後処理が頭をもたげてくる。
「やれやれ、代わりの非常勤を探さないとなあ」
教員免許状持ちに片っ端から電話することになるが、すぐに決まってくれるかどうか。非常勤待遇で満足してくれる人でないとダメだし。
俺が追い出したようなもんだから、最悪俺がツルハシの授業を肩代わりしないと。
『あら、それでしたら大丈夫ですよ?』
和清主任が朗らかに答える。
『私の叔父さんが一昨年定年したばっかりの国語教員なので、ピンチヒッターで来てもらいましょう』
すごいな教師一家!
ツルハシが「親の介護」を理由に職を辞すのは数日後の話だ。
ツルハシの辞職願いはあっさり受理された。学校もツルハシを持て余してんだな、とこのときは呑気に考えていたが。
その実は和清主任が俺とツルハシの「対決」を吹聴して回ってたことも大きな要因らしい。ド迷惑な話だが、悪気がないので怒りにくい。
被害者――名目上の、ではあるが――の捨見のことを気遣ってか、彼女のことは伏せて喋ってくれたことが救いではある。
というわけで、俺が一枚噛んでいる退職劇ということは公然の事実となっていた。
後日、ツルハシはひっそりと私物を取りに来た。このころにはツルハシが前の学校でしでかした「前科」も教師間に知れ渡っていていた。氷点下の視線を浴びせる元同僚たち。
しかたない、俺だけでも見送ってやるか。同じ科目のよしみだ。もう二度と、教壇に立つこともないだろうし。
玄関口で待ち受けていた俺を見て、ツルハシは不快そうに顔を歪めた。
「……免許は返納したぞ。これでいいんだろう?」
以前より一回り小さくなったように見える。意気揚々としてたのはほんの一週間ぐらい前なのにな。
「約束は守りますよ。あの映像は消去しとく」
俺にとっても都合の悪いものだしな。
「どうせこんな低レベルな高校、辞めてやるつもりだったんだ。教員免許なんてすぐに再交付させて、他の学校で再出発してやる」
負け惜しみを言えるぐらいには、モチベーションも回復したか。
「そのことなんですけど」
さあ、トドメだ。心臓に白木の杭をブチこんでやる。
「最近、“児童生徒性暴力防止法”が成立したのはご存じです?」
「な……な、何だよそれは?」
名前から嫌なものを感じ取ったらしい。
「簡単に言えば、“教員免許状を再交付するかどうかの権限を、各都道府県の教育委員会に与える”って内容なんですけど」
各都道府県の有識者で構成される、教員免許再授与審査会が教員志望者を聴取する。却下されれば、もちろん免許は交付されない。
「再交付となれば、あんたももちろん、審査を受けることになるけど」
一度免許を返納させた本当の理由はこれだった。
「は……え?」
懲戒免職を食らった『反省の色なし、再犯の恐れあり、暴行未遂の疑いあり』の男に、免許が再交付されるわけがない。
加えて、教育委員会と各学校の上層部は意外なほど交流がある。今回の騒動も、必ず漏れ聞こえる。
漏れ聞こえる、というのがポイント。捨見の存在は伏せて、悪評だけを押し付けることができる。
「W大卒とかK高校勤務とか8年のキャリアとか、評価してもらえるといいですね」
お前みたいなクズを、恩情かけて見逃してやると本気で思ってたのかよ。
「それと」
きっと俺は今、毒蛇みたいな顔をしてるんじゃないかと思う。
「同時に、“教育職員免許法施行規則”も改正されたんだったっけか。懲戒免職者は、官報のデータベースを検索すれば40年間、閲覧可能になったそうだ」
ツルハシの名前と前高校での“前科”は、70代半ばになるまで記載され続ける。教員としては再起不能だ。
教員免許の再取得を阻止し、教育現場から永久に引き剝がす。これが俺の報復だ。
「……そんな」
「せっかくケンカを売ってくれたんだ。お望み通り、高値で買ってやったぞ」
ここに至って、ようやくツルハシは俺が最大限の悪意を持って罠に嵌めたことを悟ったようだ。負け犬は青い顔をして出て行った。
なお、一部始終を見ていた人間が2人いた。暇を持て余した屋根裏の散歩者と。
俺と同じく――こちらは善意で、であるが――ツルハシを見送ろうとしていた和清主任だ。
この玄関でのやり取りも、光の速さで教師の間を駆け巡ることになる。あーあ。「陰湿野郎」とかあだ名がついたらどうしてくれるんだよ、まったく。
この手の規則整備って、もっと早くできなかったんですかね(/・ω・)/




