失格教師と囮捜査
【5月4日(木) 15:30】
図書室に、こそこそとツルハシが入ってきた。せわしなく室内を見回し、人がいないか確認している。
隣の教師待機室に和清主任が詰めているが、声をかけない限り図書室に入ってくることはない。利用者が皆無に近いS商では、図書委員すらいない。
「ツルハシーセンセ、こっちこっち」
突然声をかけられて、ビクッと肩を震わせる。本棚を挟んだ奥の机から、捨見が笑顔で手招きしていた。
うまく陽動してくれて助かった。もう少し念入りにチェックされていたら、カウンター下に隠れているのが見つかったかもしれない。
「き、君は?」
来るはずのない生徒が居て、面食らっている。
「捨見ですよー。補習に来ました♪」
「あ、ああ。そうだったね」
なんとか取り繕っている。ツルハシと捨見は初対面か。一瞬、品定めするような目つきになった。
「と、ところで須川さんは来てないかい?」
「さあ? そのうち来るんじゃない~?」
ツルハシがイスを引く。
「じゃあ、1人しかいないが始めよう。すぐに他の生徒も来ると思うから」
続行か。予想通りだ。
5名の出欠状況を確認すると、須川亜星以外は欠席を続けている生徒だった。コロナを口実に長い間学校に来ていなかったり、家業が忙しかったりしてる生徒たちだ。
だから同じクラスの埠頭レンを、捨見が記憶していないのは当然だ。
普段学校に来ない者が、連休中に補習に来るわけがない。しかもツルハシはメールで「可能な限り出席すること」と添えていた。怠惰なS商生なら、「別段来なくてもいい」と変換するよな。進級などのペナルティがないから。
来るのは無遅刻無欠席で真面目な性格の須川亜星だけだ。捨見始め5名は、来ないこと前提の人選だったわけだ。
【5月2日(火) 15:50】
捨見が補習に選ばれたのは、単に不登校で「来るはずがない」と踏んだから。
その不登校で「来るはずがない」生徒が実は学校に住んでて、しかも肝心の補習に参加するだなんて誰も思わないわな。
追及されたら「6名で補習をするつもりだったが、5名は来なかった」と言い訳するつもりだったんだろう。
「姑息な手を遣いやがって」
手品のタネは割れたが、これをあべこべに利用できないものか。
ただし、須川を巻き込まないことが大原則だ。
「ちょっぴりオモロいアイデアが浮かんだんだケド」
捨見がもったいぶった言い方をする。
「アタシってミリョクテキじゃない?」
なんだかグラビアっぽいポーズをとる不審者。
「そうだな。耳を塞いで目を瞑ってれば三国一の美人に見えるぞ」
「混ぜっ返さないでよ」
茶化さないで言えば、美人の部類に入るだろう。性格とか不法滞在とか盗癖とか、外見以外のデバフが強烈すぎるだけで。
「アタシがカラダ張ってあげるって言ってんの!」
「あー、オトリ捜査か」
日本では麻取(麻薬取締官)以外では、警察ですら禁止されてる禁断の捜査法だ。
「どーよ?」
「うーん、しかしなあ。お前も一応、辛うじて生徒に分類されてしまうわけだし」
危険にさらすのはどうかと思う。
「PTAみたいなキレーゴト言ってる場合じゃないでしょ。心配なら、センセがちゃんと守ってよ」
この一言で肚を決めた。もっともだ。やることをやらずに不安ばっかり呟いてるのは教師の仕事じゃない。
須川には直前に会って、補習はなくなったと伝えておいたので来ることはない。内気そうな性格でおどおどした生徒だった。
だからツルハシに目を付けられたんだろう。
そろりそろりと移動を開始する。補習の席は奥まっていて、カウンターから見通せないから危険だ。
「この文法プリントをやってもらおう」
ツルハシにとって、邪魔者がいたのは計算外だろうが、須川と合流した後で「君は合格だからもう帰っていいよ」と口実つけて捨見を追い返せば、2人きりの状況を築ける。
それに、捨見が思いのほか美形だったことも大きかった。ツルハシにしてみれば須川と両天秤にかけるところで、どっちに傾いても損はない。
「あ、助動詞の“ぬ”って強意の意味もあるんだ~」
「強意に訳すときは“~だろう”が後につくぞ。“べし”とか“む”とか」
今のところは真面目な授業だ。
「センセすご~い!」
捨見は作戦上か本来の根明な性格か、フレンドリーに接している。
「いいぞ! 理解が早い。……おっと、この“む”はちょっと難しいな。ちょっと隣に移動するぞ」
……始めやがった。教師は本来、生徒に不用意に近寄らないもんだぞ。
「どうぞどうぞ~」
捨見はスルー。まだタイミングが早いからな。
「おっと、赤ペンがないな。借りるよ」
捨見のペンを使い始める。ああやって獲物との距離を詰めていくんだな。
わいせつ目的と意識してると、結構あからさまだな。
どうやら、作戦変更して捨見を狙うことにしたようだ。
「違う違う、ここの活用は……」
捨見の手を握って、書く場所を指定したりしてる。露骨だな! もちろん超アウトだ。露骨になってきた。熱血教師の仮面が外れかかっている。獲物を前にしていよいよ我慢できなくなってきたか。時間も限られてるしな。
「くすぐったいですよ~」
「こらこら、こうしないと分からないだろ?」
捨見のやんわりした拒絶を無視する。ほんの少し強めの言葉を選んで使うあたり、かなりタチが悪い。
「ええっと、だからだな……」
ツルハシが立ち上がって、捨見の背後に回り込んだ。書き方を教えるフリをして、ピッタリと密着する。出撃準備。
「これってセクハラじゃないんですか~?」
捨見の最後通牒。いい子だからやめるなよー。この機会に、引導を渡してやるつもりなんだから。
「人聞きが悪いな。こんな親切に指導してやってるのに」
もう顔つきは、純度100%の脂ぎった変態おやじにしか見えない。
ツルハシが息を荒げて覆いかぶさった。
「やめてくださいっ!」
ツルハシはもはや無言だった。女子生徒がパニックを起こしてるところを狙うのか。
ま、今回の獲物はそんなタマじゃないわけだが。
襲われることが分かってるから、捨見も落ち着いて対処する。狼狽するどころか、むしろ嬉々としていた。
「3年殺しッ!」
のしかかってくる男の股間を思いっきり蹴り上げた。
「……っ!」
ツルハシは股間を押さえて悶絶している。手加減なく蹴り飛ばしたようだ。本当に痛いと、声も出ないんだな。
「鶴橋先生、何してるんですか!」
ここで俺が合流。さすがにちょっとわざとらしいタイミングだ。
「捨見さん大丈夫かい?」
「九字塚センセ! 怖かったよう」
全然怖がってない声色で俺に抱き着いてくる。やめろ、別のトラブルのタネになるだろうが!
声に出しては下手な芝居が台無しになるのでこらえる。
「く、九字塚先生……?」
うめき声の合い間に声を絞り出す。
「見ましたよ! わいせつ行為しましたよね!」
さて、ここからは楽しい愉しい糾弾タイムだ。
前話で飯尾が「代わりに自首して」と自分勝手なお願いをしていましたが、現実にあったことを少々改変しているだけで類似の事例があったりします(無論、現実でも教師は断っていました)
 




