年越しの挨拶
クリスマスを迎えるよりも前、子供が冬休みに入った日、「あぁ、もう良いお年をと言うのだなぁ」と気付かされた。
今年は喪中で年賀状を作っていない。
喪中葉書も、時間とメンタルの余裕の無さと、プリンターの不調を理由に送らなかった。
仕事納めの日、他社の人にEメールを送付する際、結びの言葉に「良いお年をお迎えください」と書いて送った。外面は大事。
会社を出る際、「お疲れ様でした」を8割、「良いお年を」を2割くらい口にしながら出入口まで歩いた。どうせ6日後には出会う人々。
「なろう」は自分にとってはネットの世界。
非現実のような、現実のような、ふわふわした場所。
「なろう」で、自分にはリアルの知り合いはいない。
でも、サイトの利用期間が長くなってきたから、この作者様は北海道、この作者様は東京、この作者様は鳥取、この作者様は福岡、この作者様は……と、ちょびっとだけ情報が、想像が、リアルに近付いていく。
年越しの挨拶の活動報告をあげる作者様が多いなぁと思った。
コメントを書き込むべきだろうかと迷い、今年は挨拶を複数書き込んでみた。
人付き合いは苦手。
距離感が分からない。
億劫になることが多い。
ネットの気軽さはそこには無くて、重たいなぁと漬物石に潰されていく感覚。
だったら書き込まなければよいだけなのは分かっていて、でもそれをする勇気さえもない。
自分という人間の軸が無い。
背中に手を添えれば背骨は確かに存在していて、でも両足立ちしていても、膝や頭がぐらぐらと揺れてぶれる。
ネットの方がリアルよりも重たくなる。
実際、メンタル面では「なろう」にかなり依存している。
時々思う。
全部リセットして、また真っサラサラの自分になったら、と。
退会して投稿作品を全消しする勇気など自分には無い。
なんだかんだと考えながら、今ある登録にしがみつく自分。
軽くなりたいけれど亀の甲羅を背負ってしまう。
甲羅を外したところで自分には空なんて飛べない。
何が書きたいのかよく分からない駄文。
でも吐き出したい。
体外に掃き出したい。
年末大掃除。
今日は初めてナマコを捌いた。
母に習った。
処理というほどの処理は無く、ただ割って内蔵を出して洗って、両端の固いところを落とすだけ。
あとは薄切り。
自分を半分に割って中身を洗えたらよいのにと思う。
内臓と外側をひっくり返して、たまには気分を入れ替えて。
ネットの中の年越し挨拶、無視したら失礼かなぁと、ちょっとしんどいなぁと思っただけの話。
でも、まだこのあとも書き込むつもりではある。
凄くお世話になったのに、挨拶がまだの作者様がいる。
何がしたいんだろうなぁ、自分、と思う。
センチメンタルなだけなのか、ただの愚痴か、自己嫌悪か、八つ当たりか。
こんな失礼極まりない自分ですが、お付き合いくださる作者様には本当に、心から感謝しております。
皆さま、どうか良いお年をお迎えください。
今年1年、大変お世話になりました。