世界は無限に広がってる訳ではない
修介の入った部屋は手間の部屋と同じく窓は無く、物も全然置かれていなかった。ただ右手側には大きめのキッチンが付随しており、2泊程度なら容易に出来そうである。部屋の中央にはスチール製の机とそれを挟むように3人掛けのソファーが置かれている。
そのソファーに座り談笑する男達が二人。一人は田中警視総監だ。白髪混じりのオールバックに穏やかな性格がうかがえる相貌。艶のある漆黒のスーツと腕には鮮やかな黄色の宝石があしらわれた幅一センチ程のブレスレットを付けている。
もう一人は申し訳ないが普通だと修介は思った。
中性的で明日にでもなれば忘れてしまいそうな顔立ちと髪型をしており、顔には笑みを貼り付けている。そして白を基調としたTシャツとグレーストライプのスラックスを履いている。
対照的な二人が机を挟んで談笑している様はいささか異様に修介の目には映った。
そんな失礼な感想を抱いた修介の存在にいち早く気付いたのは普通な男だった。
「おや、君が間口修介君だね?集合時間15分前とは若者にしては良い心持ちだ。あぁ・・・どうぞ座ってくれ。直ぐにコーヒーでも淹れよう。」
修介は奥のキッチンに向かっていく男に「ありがとうございます。」と返すとソファーに座る。
「あ、あの・・・間口修介です。」
「よろしく。私は田中瑛士です。東京に来て初めての通勤と聞いていましたが迷いませんでしたか?この辺の路線は無駄に混んでいて大変だったでしょう。」
「・・・えぇ、」
確かに通勤ラッシュを経験したことない修介にとって朝の電車は衝撃であった。
その後1分ほど二人の間に沈黙が続いたが、机に置かれたコーヒーによって打ち切られた。
男はソファーに深く腰掛けると、
「いい加減お前誰だよと君も思っているだろうからそろそろ私の自己紹介をさせてもらおう。私が待機責任者だ。呼び方は好きなようにしてくれ。」
「いや・・・あの名前・・・」
あまりにも無駄を省きすぎな自己紹介に修介は戸惑うばかりである。すると田中警視総監は逡巡するかのように少しの間、天井を見上げると、
「彼はね・・・・その・・・殺し屋なんです。」
「え?」
このときの修介の返しは戸惑いではなく、その冗談は笑えないという非難からくるものであった。
しかし男はその笑みを崩すことはなく、
「彼は何の冗談も言っていないよ。私の生業は殺し屋。仕事上他人に化ける事はあるから私は何者にでもなれるし何者でもない。だから名前なんてないんだよ・・・・・・この手は何かな?」
男が言い終わるよりも先に修介は男の胸ぐらを掴んでいた。男は未だ笑みを崩さず、修介はその男の顔を睨み返している。
「人を殺すとそういう感覚も磨耗するものなのか?警察舐めるのも大概にしろよ。」
田中警視総監は何故こんな屑をここに置いているのか修介には理解しかねるが、それは後で聞けば良い。目の前の男をどうしてやろうか。修介の頭の中は今その事で一杯だった。
「落ち着いてください間口。この男に怒りを向けるのは無意味ですより。」
「・・・どういうことですか?」
「この警視庁総合警察室の任務に協力する代わりに、任務が成功したあかつきには僕の過去の罪は全て帳消しになる。そう言う契約を結んでいるのさ。」
なんということだ。修介は驚愕と義憤のあまり開いた口が閉じなかった。そこへ追い打ちを掛けるようち田中警視総監が、
「3年前、当時の最大野党の幹事長が何者かに殺害された事件を覚えていますか?」
「・・・えぇ、確か収賄疑惑があったりでネットでは散々な言われようでしたね。ですがその事件の犯人はまだ捕まっていない筈では?」
「はい、表向きではそうなっていますよ。しかし2ヶ月程前に容疑者が捕まったんです。」
「・・・・・・・・」
「まぁ察していると思うが、僕がその犯人だ。」
男はまるで悪戯を白状するかのような口調で言いのけた。
修介は驚きを心の底に押し込み、男の顔を正面から見据える。
「確かに被害者の幹事長は正直憎まれて殺されても仕方のないような人でした。しかしながら、犯罪者を牢の外に置いておくなど許されることではありませんよ!」
声を荒げる修介に「落ち着いてください」と田中警視総監は口を開くと、
「私もそこには同意ですよ。致し方ない事情があるのです。順を追って話します。」
田中警視総監は男の淹れたコーヒーを一口含み続けた。
「彼を逮捕したとき、彼は我々に取引を持ちかけたのです。お前たちが直面してる状況を知っている、自分の罪を帳消しにするなら協力しよう、と。我々はその取引に応じました。」
「我々・・・警視総監は決定なさっていないのですか?」
「はい、もっと上からの指示でした。取引に応じた理由は我々に課せられた任務には命令すれば全ての生物殺す人材が欲しかったからだそうです。」
「何でも・・・」と呟く修介。
「正直・・・良く解らないですね。」
殺し屋の手を借りなければならない程の任務と知り、修介は警視庁総合警察室への不信感を募らせる。田中警視総監は修介に構うことなく「その任務というのがですね」一泊おくと、
「・・・ヴッ!・・・・・ヴヴッ・・・・」
突如腹を押さえて呻いきだし、たちまちに部屋を飛び出した。
「け、警視総監!?」
「ははは、馬鹿だねぇ。殺し屋の淹れたコーヒーなんて普通飲むかい?下剤じゃなければ死んでたよ。彼。」
男は警視総監の出てった扉を愉快そうに見つめて種明かしをした。修介は露骨に機嫌の悪そうな表情を作ると席を立つ。
「どこ行くんだい?」
「・・・トイレ。」
「キッチンの奥だよ。和式しか無いが我慢してくれ。」
「外のでも良いだろ、」
「駄目だ。君は任務を達成するまで監視なしでここの部屋からは出られないよ。その感じからして、僕が監視なのは業腹だろ?」
修介は鼻を鳴らすとソファーに座り直して足を組み、ポケットからスマホを取り出す。
「ちなみに、電波も入らないよ。外部への情報漏洩を防ぐ目的でね。」
「・・・・・」
こんな軟禁じみたことでも殺し屋が出てきた事に比べれば可愛いものだろう。
修介も特に驚くこともなく無造作にスマホを机に放り投げた。
「君はここへ来る前はどんな捜査をしてたんだい?なぁに只の雑談だよ。暇を潰す物も無いからね。」
「・・・・・・・」
「君は何か好きなテレビ番組とかあるかい?僕は毎日早朝からやってる情報番組が好きでね。特に占いを発表してくれるアナウンサーの子が可愛くてね。なんと言うかこう・・・1日の活力を出してくれるって感じだよ。」
「・・・・・・・」
「あっ、じゃあ君の好きな教科とかはなんだい?僕は義務教育も受けてないから良く分からないが、最近は勉強も難しくなっているんだろう?僕はかなり若作りしてるからその辺の差が分かるんだ。」
「・・・・・・・」
男は軽薄な態度を崩さぬまま修介に話し掛け続ける。しかし修介のリアクションは皆無。
「つれないねぇ。それとも単に僕の話題が興味の無いものばっかだったかな?・・・じゃあもっと面白い話をしよう。
例えば・・・・・・警視庁総合警察室の背負った任務について・・・とか。」
「・・・・・・」
修介は未だ口を閉ざしたままだが、男は修介の眉が僅かに揺れ動いたのを見逃さなかった。
「興味あるかい?」
「・・・任務の内容は?」
修介の応えに男は「ふむ」と満足そうに口角を上げ、警視庁総合警察室の、修介がこれからこなさねばならない任務の内容を告げた。
「我々はこの部屋から繋がるこことは全く違う世界を調べるのさ。」