本編
ああ、まただわ。
まるで私に見せ付けるかのように彼は自身の隣に立つ令嬢の腰に手を回し、耳元で何かを囁いています。
もう何度目になるでしょうか。
噂では二人は既に深い仲であると囁かれています。
それが耳に入る度、私の心は引き裂かれ、塞がってはまた抉られを繰り返していました。
彼は私の婚約者です。
私───リア・ハリソンと、ディーン・バルト様は家同士の結び付きを強固にする為政略的に結ばれた婚約者同士です。
バルト伯爵家からの打診で、同格の伯爵家である私の父は二つ返事で了承。
婚約して3年になりますが、私が今通っている王立学園を2年後に卒業後、半年の花嫁修業を経て婚姻する事が決まっています。
私はディーン様の婚約者になれてそれは喜びました。
いつかのお茶会でお会いして以来、秘かにお慕いしていたからです。
父もそれを知っていたからこそ二つ返事での了承となりました。
初めて婚約者としての顔合わせでお会いした時は緊張し過ぎてまともにお話もできませんでした。
けれどもそんな私にディーン様は根気よく話し掛けて下さり、次第に打ち解け、最初の頃は仲睦まじかったと思います。
──転機はおそらくディーン様が王立学園に入学してから。
1つ年上で先に入学していたディーン様の周りは賑やかで、人見知りする私は気後れしてしまいその輪の中に入れませんでした。
そうこうしているうちに上級生の噂話は新入生の間で囁かれるようになります。
その中には、ディーン様がとある令嬢と親密にしているという聞き流せないものも含まれていました。
ディーン様の婚約者は私ですが、学園内で目立って親密にした事はありません。
むしろディーン様が入学してからは交流の為のお茶会を欠席する事も多くなり、お会いできる数も減っていました。
噂の真相を探るべく学園内で接触を図ると悪鬼の如く怒られました。
そして誰も見ていない所で「ごめんな。リアを周りの奴らに見せたくないんだ」と優しく抱き締めてきます。
ですが噂は止まりません。
食堂で仲良く食事をしていたとか、名前で呼び合っているとか。
二人は口付けしていたとか、付き合っているという噂まで飛び交います。
彼に何度も忠告しましたが、いつも疎ましく見られ溜め息を吐かれ、「そんな関係じゃない」と言い張ります。
ご自身にそんなつもりは無くても真実か無実か、噂になる程周りからはそう思われていると何故理解してくれないのでしょうか。
それからも改善される事は無く、次第にあからさまに、かの令嬢と密着する姿が何度も目撃されました。……私以外からも。
目撃する度、親切な報告をいただく度、抉られを繰り返していた私の心はいつしか凪いで、最終的には凍り付くのです。
けれど。
凍り付くタイミングで毎回擦り寄ってきて、甘く囁き、凍り付いた私の心をいとも簡単に融解し、再び希望を宿す。
自分のお手軽さ加減に嫌気が差しながらも彼から見てもらえるのは嬉しくて。
心の傷はいとも簡単に塞がっていきます。
そして、また─────
「もうダメですわ、ディーン様ったら…。リア様に悪いわ…」
「リアの名前は出すなよ。今はミアと一緒にいるんだから」
「そんな事言っても婚約者でしょう?」
「……どーせあいつと結婚するんだ。だからするまでの自由な時間はミアと一緒にいたいんだよ」
「ディーン………」
ああ、また─────
塞がった筈の傷から再び血が溢れ、何かがガラガラと音を立てて崩れていきます。
誰にも知られていないと思っていたお気に入りの場所で密会する男女を見れば、ディーン様と令嬢でした。
人目も憚らず身体を寄せ、口付けを交わし合う姿を見て、立ち尽くしたまま動けませんでした。
どうして
私よりその女の方が好きなの?
ならばどうして私に甘く囁くの?
婚約解消を打診する事もせず、二人が愛を囁き合うのを見せ付けて、私を傷付ける。
どうして、どうして、どうして──────
その時、その場で動けない私の視界が、突如暗くなりました。
そして後ろから温かいものに包まれます。
「いつまで見てるの」
その声はよく知るものでした。
「アラン………様…」
「おいで」
私の視界を隠したままアラン様は私の手を引いて下さり、ようやく私は縫い止められたように動けなかったその場所から離れる事ができました。
「落ち着いた?」
アラン様はティーサロンに案内して下さり、側にいた従者の方が紅茶を入れて下さいました。
温かい紅茶を飲むと、凍った心が溶けていくようでした。
アラン様はディーン様のご友人で、侯爵家の次男でいらっしゃいます。
初めて学園内でディーン様に接触した時も側にいました。
まだ婚約者の方がいないせいか、同級生の話題にもよく出て来ます。
「ありがとう…ございます」
小さな声になりましたが、アラン様には届いたようでにこりと微笑んで下さいました。
それからぼんやりと何を話すでも無くお茶を飲んでいました。
この時間は穏やかで優しく過ぎていきます。
ふと気付くとアラン様が目の前にいて、ハンカチで私の頬を押さえていました。
一瞬何が起きたか分かりませんでしたが、押さえられた反対側の頬からぽたぽたと伝って流れ落ちるものがありました。
「…………私……泣いて…………」
アラン様は悲しそうな顔をして何も言わずに優しく拭ってくれています。
「俺がもう少しあいつに厳しく言えば良かったな…。すまない」
涙を拭う手を止め、俯いたアラン様に私は慌てました。
「アラン様は悪くありません。ディーン様を惹き付けられない私に魅力が無いのが悪いのです…」
私があの令嬢のようにディーン様から愛しく思われていたならば、アラン様が憂う事も無いのです。
「……いや、君はとても魅力的だよ。悪いのはこんなに想ってくれる婚約者がいるのに、他の女に懸想するアイツが悪いし、婚約者がいる男を誑かす女が悪い」
その言葉は私の心の傷に染み渡り、癒やしてくれるようでした。
そして、アラン様が私とディーン様の関係をご存知なのも驚きました。
「君の話は学園入学前からディーンに聞いている。とても可愛い婚約者だと言っていた。……だから、今のアイツの態度が信じられないんだ」
ディーン様がそんな事を言っていたとは初めて知りました。
少なくとも学園入学までは憎からず思って下さっていたのですね…。
「泣いていいんだよ。誰も見てないから。辛いなら辛いって言って。我慢しないで」
そう言って抱き寄せ頭を撫でて下さいました。
婚約者がいる身としてはあってはならない行動でしたが、アラン様の腕が温かくて。
じわり、じわりと溢れてきた涙は止まらずに。
とうとう私はその胸に縋り、嗚咽を上げて泣いてしまいました。
苦しくて、私を見てもらえないのが辛くて。
それでも好きで。
好きなのに嫌いになりそうで。
令嬢に醜く嫉妬して怨嗟の言葉を必死に呑み込む毎日でした。
もう止めたい、離れたいのと大好きで離れたくない気持ちで揺れ動き、「婚約者だから」「結婚するのは私だから」と自分に言い聞かせていました。
ですが、もうそれも限界でした。
好きになってもらえない、私以外を好きでいる人を振り向かせる努力をするのをこれ以上続けられそうにありません。
しばらくして落ち着いてきた私の背中をぽんぽんと優しく叩き、もう片方の手で頭を撫でていたアラン様は
「ディーンの事、好きなんだね……」
ポツリと漏らされ。
その言葉に落ち着いてきた涙が再び溢れてきました。
「婚約前にいつかのお茶会でお見かけして……一目惚れでした。
ニコニコと笑って、明るくてきらきらして。
だから、ディーン様のお家から婚約の打診が来たときは信じられないくらい舞い上がって…」
「うん」
「婚約者として初めてお会いした時も、うまく喋れない私の話をじっと聞いて下さって。
交流する時も、穏やかに話したり聞いて下さるディーン様を益々好きになりました」
「そうか…」
「だけど… …っ」
話の続きをしたいのに、こみ上げるものでうまく言葉が出てこない私の背中を、ぽんぽんと優しく叩くアラン様に励まされているように感じて。
「ディーン様が学園に入学してからは……素っ気なくなって。
私が入学しても、疎遠になるばかりで………
噂も…
私じゃない人と……仲良く………………」
思い出して悲しくて辛くて。
しゃくりあげるように泣いてしまいました。
するとアラン様は私をぎゅっと抱き締めます。
「辛かったね」
「本当はっ、私を見て欲しいし、また一緒に笑い合いたいっ………けどっ
どうしたって見てくれないなら、もう、どうしようもできない……
好きなのに!
私だけ………好きで……………辛いのです………」
それを受け止めて欲しいのは、ディーン様でした。
けれども、これからもディーン様は私を受け止める事はしないでしょう。
沢山泣いて、涙が収まった私を、アラン様はそっと離しました。
そして私の手を握り真っ直ぐに見つめてきます。
「君はこれからどうしたい?」
これから。
ディーン様の気持ちがあの令嬢にあって、私に向かないならば、これ以上側にいる事はできないでしょう。
「…お父様にお話しして、婚約の解消を願い出ます」
そう言うと、止まった筈の涙がまた出ましたが、不思議と私の気持ちは落ち着いていました。
決断をアラン様に聞いていただいたからでしょうか。
身が引き裂かれるように痛いですが、私ももう疲れました。
「何か力になれる事があれば相談して。泣きたくなったらまた胸貸すよ。
今日はごめんね。君には婚約者がいるのに、抱き締めてしまった。これ以上ほっとけなかったんだ…」
「とんでもないです。私こそ、すみませんでした。………あっ、制服が…びしょびしょに、
す、すみません…」
アラン様の胸で号泣していたので胸の辺りが涙と鼻水で濡れていました。令嬢としてあるまじき行為で申し訳なくなりました。
あたふたしていると、アラン様は優しく微笑んでまた頭をぽんぽんと撫でてくれました。
それに安心して、つい笑みがこぼれます。
するとふっと驚いて
「うん、やっぱりリアは笑った方が可愛いよ」
その言葉にほわりと胸の奥が温かくなりました。
その後は近くにいた従者の方にお茶のおかわりを言い、それを飲み干した後は馬車まで送って下さり、「また明日」と手に口付けを落とされました。
びっくりして真っ赤になっていると「今日のお礼貰ったよ」とイタズラっぽくウインクされました。
自宅に着くまで悲しみが先程の口付けに上書きされたようにずっとドキドキしっぱなしでした。
♠
お父様に事情を説明して婚約解消を願い出ました。
お父様もお母様も落胆して、お母様は私を抱き締めて泣いてくれました。
お父様は「分かった。すぐにでも動くよ」と優しく微笑んでくれました。
そして3日後、私とディーン様の婚約は滞り無く解消されたのでした。
ディーン様のご両親からはしきりに「申し訳ない」と謝られたそうです。
次の婚約は私を大事にしてくれる人を頼みました。
貴族なので嫡男を得たあと愛人を儲けるのはある程度目を瞑らなければなりませんが、結婚前に不誠実なのは許せません。
できれば私だけに優しく、愛してほしい。
その時、馬車から降りる際にアラン様からされた事を思い出しました。
急に心にすとんと来たので顔が熱くなりましたが、
(そう、あんな風に優しくされたいだけ)
と自分に言い聞かせました。
ある日、やはりディーン様とご令嬢が人目も憚らず身を寄せ合っているのを見たとき、私の気持ちは凪いでいる事に気付きました。
婚約は解消されたのでもう色々言う事もありません。
そのままスッと通り過ぎました。
その時ディーン様が私の方をチラリと見てきましたが素知らぬ振りをしました。
また別の日。
「おい!お前何で…」
ディーン様が私の行く手を阻み話し掛けてきました。
私としては何も言う事はありませんのでそのまま一礼して通り過ぎようとしました。
が、肩を掴まれ壁際に追いやられました。
「お離しください、バルト様」
もう婚約者では無いので名前では無く家名呼びをしました。
するとディーン様は目を見開き、口をワナワナとさせています。
「……バルト、って。…え、なんで、名前で」
目を白黒させながら狼狽えるディーン様。
……まさか、婚約解消の事はご存知でないのかしら。
その時、低い声がしました。
「ディーン、彼女から離れてくれないか」
その声はアラン様のものでした。
どこか怒ったような声にどきりとします。
アラン様は近寄って来たと思ったら私とディーン様の間に腕を入れ私を抜け出させてくれました。
「大丈夫かい、リア」
「あ、ありがとうございます、アラン様」
「いいよ。移動教室だろう?行って」
「あ、でも……」
「後は任せて、ね?」
「…分かりました。失礼します」
私とアラン様のやり取りを見ていたディーン様は、顔色を悪くしていました。
少し気掛かりではありましたが、そろそろ行かねば遅刻してしまいます。
でも、これだけは伝えねば。念の為。
「バルト伯爵子息様、ご存知とは思いますが、私達の婚約は解消されています。
今までご迷惑をお掛けしてすみませんでした。
では、失礼します」
ぺこりと頭を下げてその場を去りました。
ディーン様が驚愕に目を見開き、顔を真っ青にしてらっしゃいましたがアラン様がいるから大丈夫でしょう。
それからはアラン様がよく話し掛けて来て下さり、穏やかな日を過ごしました。
恋かどうかは分かりませんが、アラン様の優しさに惹かれ始めていました。
アラン様からも好意を向けて頂いているのも感じました。
だけど。
騙されません。
優しさの裏に隠されたもの。
そのカラクリは知らないままなら幸せですが知ってしまえば呆気なく終わります。
アラン様の優しさに惹かれ始めていた時。
私はカラクリを知ってしまいました。
それは偶然でした。
放課後、移動教室に忘れ物を取りに行った時の事でした。
無事に忘れ物を見つけ、ホッとしている所で、微かな物音と誰かの声がするのに気付きました。
何の音だろうと思って音のする方向へ行ってみると、隣の空き室の扉が微かに開いていました。
隙間から中を窺ってみると、男性の膝に女性が座り、口付けし合っている所でした。
咄嗟に口を押さえ悲鳴を殺した私は自分を褒めたいです。
自分の心臓がばくばく音を立てているのがやけに響きました。
暫く動けずにいると、中から会話が聞こえます。
「ミアのおかげでリアを手に入れられそうだよ。いい子にはご褒美あげようね」
「アランが幸せになれるなら良かったわ。今日はたっぷり可愛がってね」
「ミアは悪い子だなぁ。遊ぶ分にはいいけど、やっぱ結婚するなら大人しくて従順な奴じゃないとな」
「やだアランったら。まるで私が違うみたいな言い方。……でも結婚しても遊ぶんでしょ?」
「んー、リアには一途でいたいんだよね。リアも俺一筋でいて欲しいしさ。……ま、バレなきゃ、そこそこには?」
「やだ悪い顔!」
「まー今はリアの事はいいから。ねっ、ミア?」
私はこれ以上聞いてられず、足が震えるのを叱咤しながらその場を後にしました。
走りながら涙が溢れましたが構ってられません。
まさか。まさかでした。
ディーン様より酷い…。
でも大丈夫です。
アラン様に惹かれてはいましたが、好きではありませんでした。
涙は止まりませんが好きになる手前で知れて良かったのです。
それからアラン様から何度も話し掛けられましたがどう接して良いか分からずぎこちなくなってしまいました。
そんな私に焦れたのか、アラン様は私が一人であるタイミングを見計らって近寄って来ました。
「最近リアに避けられてる気がするんだけど。
俺何かしたかな?」
悲しげに眉を下げますが、これは演技でしょう。
そう思えば心は凪いだままでした。
「アラン様もディーン様のお相手と良い仲なのでしょう?」
「なっ」
「偶然聞いてしまいましたの。空き教室で、二人が何をなさってたかも」
「ちょっと待ってリア、それは誤解で」
「あの方を籠絡してディーン様に言い寄らせたのはアラン様。
婚約者がいないのは不特定と遊びたいから。
………私に気がある素振りをしたのは結婚相手にちょうど良いから。
大人しくて従順で、夫に一途な人が理想なんですね」
「待って、誤解なんだ。俺は君の事が本当に」
「私を傷付けて楽しかったですか?
…………さよなら、アラン様。
あなたの胸はとても温かかったです。
あの時はありがとうございました」
私は一礼してその場を後にしました。
「リア!」
アラン様が叫んでいますがもう振り返りません。
涙が出ますがもう懲り懲りです。
好きになる前で良かった。
不幸中の幸いでした。
その夜、お父様から「婚約の打診が来てるけどどうする?」と聞かれました。
話によるとディーン様と婚約解消した後に来ていたけれど、返事を検討すると保留にしていたとの事でした。
ヤケにもなっていた私は、あるお願いをしました。
婚約する前に一度会わせて欲しいと。
どういう人か会って、見極めてからでも遅くはないと思いました。
優しさに裏がある人、裏切る人はもう嫌です。
お父様は神妙に頷き、一人の男性の釣書を差し出しました。
格上の侯爵家嫡男なのでどうしようか悩んでいたそうです。
姿絵はどうでも良いのですが家名を見て私は悲鳴を上げそうになりました。
何故ならその方は
アラン様のお兄様でした。
弟がああいう風なのでお兄様も、と過りましたが断る事もできないので、一度お会いすることにしました。
幸い先方は事情を説明して婚約前に会う事を快く了承して下さいました。
「初めまして、ハリソン令嬢。レアンドル・クレールと言う。今日は会えて嬉しく思う」
姿絵をよく見てなかったので、目の前に現れたレアンドル様を見てしばし言葉を失いました。
アラン様は見た目とてもおモテになると一目で分かるくらいの美男子に対して、お兄様のレアンドル様はがっちりした、男の中の男!という感じの男性でした。
「アランと知り合いなのだろう?
……見た目が違って驚いたかな?」
「あ、いえ、その…。あ、初めまして、リア・ハリソンと申します。よろしくお願いします…」
慌てて礼をすると、レアンドル様は「堅くならずにいこう」と言って下さいました。
それからレアンドル様は会話を先導して下さり、あっという間に時間が過ぎて行きました。
「こんな見た目だから恐がられる事が多くて…。ハリソン嬢から見て、俺はどうだろうか?」
不安そうに、戸惑いがちにレアンドル様が私に問い掛けます。
大人の男性と接する機会は多くありませんので誰かと比較はできないな、と思いました。
でも、レアンドル様は確かに身体は大きくて威圧感はありますが、物腰柔らかで常に気遣って下さっています。
なので全く恐くありません。
むしろ、頼りになりそうな。
そんな感じでした。
「恐くは……無いです。とても、紳士的な方だと思います」
躊躇いがちに告げると、レアンドル様はホッとして、柔らかく微笑まれました。
「どうだろう。ハリソン嬢。話を進めても良いだろうか」
そろそろ終わりの時間が迫っているのを気にしたレアンドル様の声は少し固く。
レアンドル様は今の所目立って悪い部分はありません。
むしろかなりの好印象です。
格上の高位貴族ですし、断る選択肢はありません。
ですが男性の優しさには裏がある事を知ってしまった私は簡単には頷けませんでした。
「不躾を承知で申し上げたい事があります」
「…何かな?」
「今愛人がいらっしゃるならこの話はお断りします」
レアンドル様は目を見開きましたが、私は構わず続けます。
「私が前回婚約解消したのは、婚約者が浮気していたからです。その後に好意を寄せて下さったアラン様も、別の方と遊ばれていました。
もう私は信頼関係を築いた後に裏切られるのは遠慮したいのです」
私の言葉に呆然としていたレアンドル様は悲しげな顔をしていました。
「……ハリソン嬢。私はほら、この見た目だからね。女性に言い寄られる事は無いんだ。だから、と言っていいものか分からないけど、愛人を設けたり浮気する気は無いよ」
そうして微笑まれたレアンドル様の顔は優しくて。
この方ならばと思いましたが、思っていた以上に私は傷付いていたようです。
「優しくしないで下さい。
……優しさに、裏があるなんて、思いたくありません。もうたくさんです……」
レアンドル様は泣き出した私に跪き、ハンカチで涙を拭って下さいました。
レアンドル様の方が泣きそうな顔をしています。
「ハリソン嬢……。
……いや、リアと呼ばせて欲しい。
話した時間は短いが、私は君を愛しく思う。
優しくしてはいけないなら、愛しく思うのを許してくれ。
君を甘やかしたい」
優しくするのと甘やかすのは違うのでしょうか…?
混乱してしまって目が点になり、やがておかしくなって。
「ふっ、ふふふ、クレール様ったら、……ふっ、ふふっ…」
泣きながら笑ってしまいました。
「これから私の事はレアンドルと呼んで欲しい。
……ああ、やはり君は笑った顔が一番好きだな」
レアンドル様は私の手を自分の頬に充て、愛おしげな顔をしています。
──私は、信じてみてもいいかしら?
甘やかして下さると言ったこの方を。
それから私はレアンドル様と仮で婚約しました。
正式なものではないので、お互いにいつでもやめることができます。
「俺からやめる事は無いけどね」
なんて手に口付けながらレアンドル様が仰るからドキリとしてしまいました。
学園卒業までは仮婚約で、継続を望めば正式に婚約して、問題無ければさらに半年後に婚姻の予定です。
レアンドル様は侯爵邸で領地経営をなさっていて、婚姻後は領地へ引き上げる予定だそうです。
「昔から社交が苦手でね。この顔に身体で女性からは遠巻きにされて婚約もままならなかったんだ。
リアが了承してくれて嬉しい」
仮婚約後のお茶会で頬を染めながら大きな身体のレアンドル様が言うと、何だか可愛らしくて。
"愛おしい"という気持ちが湧いてきました。
私が笑う度、目を細めてはにかまれ、さらに愛おしさが増し。
そんな私達を見ていたクレール侯爵夫妻は涙を流して喜んでらっしゃいました。
時折視線を感じて振り向くとアラン様がいらっしゃって、顔色を悪くしています。
ディーン様とアラン様はあの後なぜか例のご令嬢と一緒にいる事を見なくなりました。
あの二人の事は思い出として残っていますが、もう気持ちを揺り動かされる事はありません。
「リア?誰の事を考えているのかな?」
ニッコリ笑っている筈なのに、なぜかぞくりとするレアンドル様に、私は夢中なのですから。
それから私達は結婚して、言葉通りレアンドル様が私を甘やかして下さるのですが。
それはもう少し先のお話です。
お読み頂きありがとうございました。




