66 侯爵の悩み
「なんとも、荒唐無稽な話だな」
長い話を聞き終えた後、侯爵はやや寂しくなりかけている頭をかきながらこう言った。
確かに、そう思うのも無理はない。
私もレイリやヒパティカと出会っていなかったら、魔女という存在を信じることはできなかっただろう。
今だって、自分もその魔女だという実感は非常に頼りないものだ。
「だが、信じぬわけにはいかんな。医者も匙を投げたこの体を、いともたやすく治してしまうとあれば」
いまだに信じられないと言いたげに、侯爵は己の体のあちこちを撫でさすっている。
彼は長期の闘病期間の末やつれてこそいるが、先ほどまでと違い明らかに生気が漲っていた。
先ほどかかりつけの医者が飛んできて、目を白黒させながら侯爵の病が快癒しているとの診断を下していった。
最初に私たちを出迎えた家令は、主の壮健な様子にたいそう喜んでいた。
原因不明の病は、侯爵本人だけでなくその周囲の人々ですら随分と苦しめていたようだ。それは同時に、侯爵が人望厚い人物であるという証左だろう。
「癒したというよりは、悪いものを取り除いたという方が正しいかと。彼によれば、侯爵には体に悪影響を及ぼす魔法がかかっていたそうです。おそらく妹のアンジェリカが、魅了の魔法に掛かりにくいあなたを亡き者にしようと、かけた術に違いありません」
私がヒパティカに水を向けると、彼はどうしていいかわからないとでも言いたげに小さくなった。
王都に来るまでの間、貴族相手にはできるだけ喋らないようにと教えたので、その言いつけを忠実に守っているらしい。
確かにヒパティカの見た目はどこのフットマンをしていても差し支えないほど秀麗だが、口を開くと早々にぼろが出るので、仕方がないともいえる。
例えば侯爵のような人物に子供のような口調で話しかけようものなら、話の信憑性も一気に弱まってしまうだろう。
一応きちんとした喋り方もできるようになったのだが、苦手なのであまり使いたくはないということか。
「だがなぁ、お前さんの妹であるアンジェリカ・ブラットリーが実は魔女で、この国の高貴な若者たちを魔法で誑し込み国を滅亡に向かわせているとは。おとぎ話の筋書きでも、もうちょっとひねりを入れるだろうといいたくなるところだ」
「確かに、信じられない話かもしれませんが……」
「国を追い出されたお前さんの創作話だと言われた方が、まだ納得できるよ」
侯爵の言葉に、場の空気は俄かに緊張した。
やはり彼は、私たちの話を信用できないということだろうか。
だが、その疑念はまもなく解消された。
侯爵は皺の寄った眉間を揉むと、アンジェリカに対する己の考えをとつとつと語り始めたのだ。
「だが、その話に納得している己もいる。やんちゃではあるが英明であらせられたライオネル殿下を筆頭に、この国の貴族の息子たちは今やあの娘の寵愛を競うのに忙しい。わしは何とか、その乱れた風紀が騎士団にまで及ばぬよう尽力することだけで精いっぱいだった。それも寝付いている間に、一体どうなってしまったことか。現場復帰を考えると、今から頭が痛い」
どうやら侯爵も、以前からアンジェリカのやりようには不信感を覚えていたようだ。
確かにまるで女王のごとく男たちを侍らす彼女のやり方は、良識を持つ人々からすれば非難されてしかるべきである。
それが非難されるどころかまるで彼女こそが王であるかのように崇められているのだから、この国の異様さが知れようというものだ。
「儂が知っているだけでも、時代遅れの決闘でどれだけの若者の将来が閉ざされたか。中には高貴な身分の男性に決闘を挑んだ咎で、家ごと取り潰された者もいる。まったく正気とは思えない。殿下はおろか陛下まで、この乱痴気騒ぎに苦言の一つも仰らないのだから」
確かに公爵からすれば、頭の痛いことだろう。貴族の若者の多くが騎士団に所属しているし、なにより――。
「我が息子バーナードも、鍛錬を怠りあの女から四六時中離れぬ始末だ。儂の言葉にも聞く耳を持たん。廃嫡にすべきかと、思い悩んでいたところだ」
またも廃嫡だ。
アルバートは自ら王太子位を辞し、レオンにも廃嫡の危機が迫っていた。これでバーナードまで廃嫡となれば、アンジェリカの取り巻きの中で社交界に残れるのは、宰相の息子のクリストフと、パーシヴァルの王太子であるライオネルだけになってしまう。
もっとも、病んだレヴィンズ侯爵が新たな後継者を指名せずになくなっていれば、バーナードは何の問題もなく侯爵位を受け継ぎ若き侯爵閣下となっていたのだろうが。
ここまでくると、バーナードの廃嫡を退けるために侯爵を病にしたのではないかと、勘ぐってしまいたくなる。
なにせアンジェリカは、権力を失った男も見捨てず愛でるような、寛容さは持ち合わせていないのである。
そのことは、廃嫡間近であるレオンからのプレゼントは受け取ることすらしないという事実一つとっても、確からしい事のように思われた。




