61 かみ合わない会話
「このクッキー、おいしい!」
そんな忸怩たる思いでいる私などお構いなしで、焼き菓子を口にしたヒパティカが歓声をあげた。
その言葉に、目の前の食えない屈強な魔女は目に見えて表情を崩す。
「あらそう? いくらでも食べてちょうだいね」
私相手だと小馬鹿にした態度を崩さないのに、この差は一体どういうことなのか。
「ちょっと、私相手の時とあまりに態度が違いすぎるんじゃない?」
つい不満の声を上げると、ジリアンは今更何をとばかりに鼻を鳴らした。
「なによ今更。こんなかわいい男の子の守護精霊と、かわいくないひよっこ魔女なら守護精霊くんの方をかわいがるに決まってるでしょ。ましてやあんたは、あたしからアルバート様を奪ったにっくき女なんだから」
「は?」
ここにきてまたしても、身に覚えのないことを言われ戸惑う。
「ちょっと待って。私がアルバートを奪ったってどういうこと?」
「なによ。しらを切るつもり? 最後にお会いした時、アルバート殿下は本当にひどい状態だったの。あたしは泣く泣く殿下が帰国できるよう手配したわ。でも、正直もう元には戻らないだろうと思っていた。もっと早くに気付いていればと、どれほど悔やんだかしれない……」
グレイグが言っていた、アルバートが帰国できるようジリアンが進言してきたという話はどうやら本当らしい。
だが、彼の話に私は首をかしげた。
「あなたも魔女なんでしょ? 自分で治せばよかったじゃない」
ジリアンは、ずっとこのパーシヴァル王都にいたのである。ならばアンジェリカがあれほどまで暴走する前に、止めてほしかったと思うのは他力本願過ぎるだろうか。
しかし私の問いに、それまで優雅な様子を崩さなかったジリアンが山賊のごとき凶悪な顔になった。
「はあ? そんなことできるならとっくにしてたわよ! 愛しのアルバート殿下が毒される前にね。でも悲しいかな、精神に働きかけるあいつの魔法と、物体に働きかけるあたしの魔法は、相性最悪って訳」
そう言うと、興奮してきたのかジリアンは可愛らしい陶製の絵付けがされたテーブルを、両手で強くバンと叩いた。
テーブルの上に置かれていたカップの中で飲み残しの紅茶が揺れる。
ヒビの一つも入ったんじゃないかと、思わず叩かれた場所を凝視してしまった。
「あんたに分かる? 愛する人を自分じゃ救えない無力さが! あたしにできたのは、あの女から遠ざけるために国へ帰っていただくことだけ。その後陛下が殿下のお相手を大々的に募集なさったのも、錯乱した殿下が跡継ぎを残すために、都合のいい女を見繕うためだと思っていたわ」
先ほどの荒々しさはどこへやら。
ジリアンは懐からレースのハンカチを取り出すと、楚々とした態度で目尻を拭った。
別に涙は出ていなかったように思うのだが、それを指摘するような愚は犯せない。
「それがまさか……こんなひよっこが殿下の呪いを解くなんて……っ」
そう言うと、ジリアンはレースのハンカチを無残なほどくしゃくしゃにしておいおいと泣き始めた。
この時ようやく、私はジリアンの怒りの理由と彼の勘違いを悟ったのだ。
「つまりあなたは、好意を抱いていたアルバートの魅了を私が解いたと思ってあんなに敵意を向けてきていたということ? 私たちが宿泊するためにこの屋敷を用意したのも、嫌がらせではなくただの偶然で」
「嫌がらせ? どうしてよ。コックも使用人もいて隠れ家には最適じゃない。その上魔力を増幅する遺跡
付きよ。むしろ提供したあたしの懐の広さに感謝しなさいよ」
ジリアンを見ると、彼はどうやら本気でそう思っているようだった。
父と愛人の使っていた愛の巣に宿泊するなんてどんな嫌がらせだと思っていたが、ジリアンには最初からそんなつもりなどなかったのだ。
私は彼との間に横たわるいくつかの勘違いや行き違いを前に、どっと疲労感を覚えた。
けれど一方で、これからはジリアンとの協力関係を築けるかもしれないという可能性を感じていた。
なにせ私を魔女だと言ってこの地まで導いたレイリは、夢の中で出てきた以外はまったく音沙汰がない状態である。
私はジリアンの言うとおり未熟もいいところなので、誰でもいいから魔女や魔法についてもっと詳しい話が聞きたいと思っていたのだ。
「最初に言っておくけど、アルバートの魅了を解いたのは私じゃないわ」
「え?」
よほど意外だったのか、ジリアンは目を丸くした。
「アルバートとセルジュの魅了を解いたのは、レイリという魔女だわ。私はアルバートの魅了がすっかり解けてから、彼と再会したのだもの」
そう言い終えると、ジリアンは何事か考え込むように黙り込んだ。
手持ち無沙汰になった私は、ヒパティカが絶賛していたクッキーを自分もいただくことにした。
クッキーはさっくりとした食感で、口の中に入れるとほろほろと溶けた。確かにこれは、思わず絶賛の声を上げてしまうようなおいしさだ。
「待って。やっぱりそれはおかしいわ」
ついクッキーに夢中になってしまい、ジリアンの言葉に反応するのが遅れた。
三枚目に取りかかっていた私を、筋肉質な魔女が呆れたように見ている。
「あんたねぇ、殿下の恋人ならいくらでもおいしいものが食べられるでしょうに」
この言葉に、思わずごほごほと咳き込んでしまう。
「違います!」
「なにがよ」
「恋人なんかじゃありませんわ。あの方はただ、アンジェリカに魅了されている間に私を虐げた償いがしたいだけのお人好しです」
そうだ。そして、王太子位を蹴ってまでこの国についてきた大馬鹿者だ。
「はあ? ちょっとそれ、本気で言ってるの?」
「本気です。ところで、このクッキーもう少しいただけます? お部屋でもいただきたいです」
私の申し出に、隣のヒパティカがこくこくと勢いよく頷いた。
魔法でもかかっているのか、ただのクッキーだというのに癖になる味だ。
それとも、粗食に慣れた舌がバターの暴力に喜んでいるのか。
「ったく、仕方ないわねぇ」
ジリアンは呆れた顔をしつつも、満更でもなさそうな様子だ。
「好きなだけ持ち帰っていいから、話を戻すわよ。あたしは魅了の術を解くことができず、泣く泣くアルバート殿下をテオフィルスに引き渡した。そして再び殿下がこちらにお戻りになられると、その傍らにはひよっこ魔女であるあんたがいた。あたしはてっきり、あんたがアルバート殿下の魅了を解いたのだと勘違いしていたけれど、本当はレイリという名の魔女が魅了を解いた。どう? 間違っていない?」
相違なかったので、私はこくこくと頷いた。
「そう……でもそれは変よ」
「変というと?」
「魅了という術はね、本当に本当にやっかいなの。何せ人の心に働きかける、目に見えない魔法だから。もし解除できるとしたら、それはあの女と同じように精神系の魔法を使う魔女か、或いは魅了をかけた本人。それに、その眷属だけだわ」
この場合、本人とはアンジェリカということか。
「眷属というのは?」
「それは、そこのヒパティカちゃんみたいな守護精霊や、後は何らかの術を用いて従わせた精霊の類いを言うわ。あたしの場合は――」
そう言うと、ジリアンは唐突にぴゅーいと口笛を吹いた。
何のつもりだと面食らっていると、その音に反応したように止まり木に止まっていたオウムが、大きな翼を広げてこちらに飛んでくる。
オウムは慣れた動作でジリアンの逞しい肩に止まると、褒めろとばかりにジリアンに体をすり寄せた。
「守護精霊のシャルロッテよ。仲良くしてね」
驚いたことに、純白のオウムはジリアンの守護精霊であったらしい。
確かに守護精霊は様々な姿をしていると聞いたが、まさかこのオウムがそれだとは思ってもみなかった。
「どうぞよろしくお願いいたします」
とりあえず挨拶してみると、シャルロッテは素知らぬふりですぐにそっぽを向いてしまった。
自分が動物に好かれるたちだとは思わないが、それでもこれは辛いものがある。
その時、隣にいたヒパティカがそっと私の耳に囁いた。
「セシリア。このオウム雄みたい」
驚き、反射的にヒパティカの方に振り向いてしまった。
「恥ずかしいから、シャルって呼んでほしいって」
どうやら守護精霊同士、言葉がなくとも通じるものがあるようだ。
それにしてもそう言われてみると、確かにオウムの目はどこか空疎な気がする。思い込みかもしれないけれど。
「ではレイリは、精神に働きかける魔女だったのですね」
同時に、自分もレオンの魅了を解いたことを思い出す。ということは、私も精神に働きかける力を持った魔女のようだ。
アンジェリカと同じだと思うと、なんとも嫌な気持ちになった。
「だからそれが、妙なのよ」
「妙というと?」
困惑したような色を浮かべて、ジリアンは言い放った。
「だってレイリなんて魔女、あたしは一度も聞いたことがないんだもの」




