59 地下室の住人
貯蔵庫の中は、ずっと密封されていたからか空気がよどんでいた。
夢で見た間取りそのままだが、荷物が運び去られた棚には分厚いほこりが積もり、使われなくなってからの長い月日を感じさせる。
ふと、闇の中にうっすらと輝くものが点々と浮かび上がった。
「わあ」
ヒパティカが小さな歓声を上げる。
普段は礼儀正しくしようと必死だが、こういう時に彼の無邪気な一面が顔を出す。
「これは……」
カンテラで照らすと、小さな光の光源は例の壁の石に刻まれた古代文字であることが分かった。
当たり前だが、現実であってもやはりその文字を読むことはできない。
ただ闇の中でほんのりと光る文字を見ていると、不思議と懐かしい気持ちになった。
「これは、魔力だ」
私と同じように、小さな明かりを覗き込んでいたヒパティカが言う。
「え?」
「ずっと昔に込められた術だけど、まだに生きてるんだ。すごいよ」
「生きてる……ってことは今も作動し続けているということ?」
「うん。あ、でも特に害はないみたいだよ。ただ光るだけみたい」
ヒパティカの言葉に、私はほっとした。
もしこの屋敷に住まう人間に影響を与えるようなものだったら、私たちは今すぐにでもここを飛び出さねばならないからだ。
「すごくきれい」
ヒパティカの弾んだ声がする。
確かに、暗い貯蔵庫の中で輝く無数の光はまるで星のように見えた。
私もしばらくその光景に見入っていたが、いつまでもそうしてはいられない。
夢の中でデボラが使ったはずの出入り口を探すべく、カンテラであちこちの壁をくまなく照らし出す。
「ヒパティカ。壁の向こうになにか感じない? どこかに隠された出入口があるはずなの」
私はまだ魔女として未熟で、魔力をうまく感じ取ることができない。そちらの方面に関してはヒパティカの方が優れているので、何かを感じ取れないかと期待してた。
「うーん」
ヒパティカは唸りながら、真っ暗な部屋の中をどんどん進んでいってしまう。カンテラを手にした私は、慌てて彼の足元を照らした。
ヒパティカが歩くたびに、カンテラの明かりの中を埃が舞い上がる。袖で口を覆わなければ、せき込んでしまって前に進めないほどだった。
エリーに話を聞いてみないと分からないが、どうやらデボラ、アンジェリカ親子はこの家を退去した後すぐに、誰も入れないように板を貼らせたようだ。そうでなければ、これほどの埃が降り積もったりはしないだろう。
髪の毛にクモの巣が絡みついた感覚がして、思わず叫びそうになった。
エリーには悪いが、この探索が終わったらバスタブですべてを洗い流したい。
そんなことを考えていたその時、目の前を歩いていたヒパティカが急に立ち止まった。
「なに?」
目の前の背中は、立ち止まったままびくともしない。
私は彼の横から覗き込むようにヒパティカの前にあるものを確認した。そこにあったのは、なんの変哲もない壁だった。不格好に積まれた石壁に、ぼんやりと光る解読不明の文字。
「この先に、誰かいる……」
ヒパティカの言葉に、私はどきりとした。
私たちは板の打ち付けられていたドアから入ってきたのだ。少なくともこの部屋にあるドアらしいドアは一つきりで、私たち以外に中に入った者はいない。
では、この壁の向こうにいるのは誰なのか。
一瞬、隣家の地下室と隣り合っているのかもしれないという考えが浮かぶが、私はすぐにそれを否定した。
この貯蔵庫は、この屋敷のほとんど中心と言っていい場所にある。この貯蔵庫はそれほど広いわけでもないし、壁の向こうはまだこの屋敷の敷地内でないとおかしい。
私は恐る恐る、壁に積まれた石に手を伸ばした。
それはひんやりとしていて、まだ何も起こっていないというのに背筋にぞくりと悪寒が走った。
カンテラがあっても、視界はそれほど良くない。そんな中で手さぐりに壁を調べていると、その中の石の一つが突然沈み込んだ感覚があった。
「え?」
私は思わず、前に転がりそうになった。なぜなら目の前にあったはずの壁が、一瞬にして消失したのである。
「危ない!」
後ろからヒパティカに抱えられて、どうにか転倒は免れた。
冷や汗をかきながらどうにか体勢を整えた私の前に、間髪入れずまばゆい光と人影が現れる。
逆光になって、すぐにはどんな相手なのか判別つかない。
私は自分の迂闊さを呪った。
もし探し当てた場所に敵がいたらなんて、そんなことは全く想定していなかったのだから。
「ほぉんと、どうしようもない人ね」
そして壁の向こうから進み出てきた人物が、心底馬鹿にしたように言い放つ。
一瞬にして、私の頭の中には様々な考えが浮かんでは消えていった。
こんな閉じられた場所にどうやって入ったのか。この人物は今日この時に私がやってくると予測していたのだろうか。こうして無防備な姿をさらしている私をどうするつもりなのか。
そして私だけでなく、この家にいるアルバートやエリーにまで危害を加えるつもりなのか、と。
そんな私をあざ笑うかのように、“彼”は言う。
「まさかこの部屋まで探し出しちゃうなんて、予定外だわ」
筋肉質な月熊商会長補佐。ジリアンがそこに立っていた。
私はできるだけ冷静を装い、ジリアンに問いかける。
「あなたはアンジェリカの仲間なの?」
彼はなぜかくねくねと体をしならせながら、心底嫌そうな顔で言った。
「いやぁね、あんな女と一緒にしないでちょうだい!」
その顔はとても嘘を言っているようには見えなかったので、私はひとまず警戒を解いた。
ヒパティカの力を借り、改めてその場に立つ。思いもしない出来事の連続に、なんだかひどく疲れていた。
「じゃあ、どうしてこんなところにいたの? 説明して」
確かにこの家を用意したのはジリアンだが、だからと言って閉じられた壁の中から現れるというのはあまりにも妙だ。
それにこの壁の入り口は、明らかに物理法則に逆らってこの場に出現した。仕掛けなどという生易しいものではない。文字通り壁が一瞬にして消え失せたのだ。
しかしジリアンに、驚いた様子はない。
つまり彼にとって、壁の消失は驚くに当たらない予定調和の出来事だということだ。
魔女が実在している――魔法がこの世に存在していると知っている者でない限り、この反応はあり得ない。
ジリアンは少し悩むように己の唇をとんとんと叩くと、私とヒパティカの二人を壁の向こうに招き入れた。
「長い話になるわ。聞くなら覚悟して聞いて頂戴ね」
その言葉に、思わず息をのんだのだった。




