05 無情
けれど、神は無慈悲だった。
「ピア、アルバート殿下がお召しだ。明日の午後どうしても城に来てほしいと」
アルバートを送り出した後、少し困った顔をして店主が言った。
彼が困った顔をしているのは、きっと私が絶望的な顔をしているからだろう。
城に呼びつけて、私を一体どうするつもりなのか。
かつての婚約者だったライオネルのように、衆人環視の中で断罪でもしようと言うのか。
身分の詐称は、確かに罪だ。
だがそうするしかなかった。行き倒れた憐れな親子の名を拝借しなければ、旅の途中に死んでいたのは私たち母子の方だっただろう。
そんなに私が憎いのかと、怒りと悲しみで胸が塞いだ。
いっそこの国から逃げ出してしまいたくなる。
けれどやはり、母を今この国から動かすことはできない。
「大丈夫かい? 顔色が悪いようだが……」
心配してくれる店主に礼を言い、私は了承の旨を伝えた。
翌日、手持ちの服の中で最も質のいいものを身に纏い、念入りに化粧をして断頭台に上る気持ちで城に向かった。
素性を偽るためにぼろぼろの服を着て行こうかと悩んだが、再会した時のアルバートは私がセシリアだと確信があるようだった。
ならばそのような小細工をしても無駄になるだけだろう。
それにもし、この身を囚われるようなことがあるのならば、その時はボロボロの服ではなく、せめて身ぎれいな格好をして己の行いに恥じることはないと、胸を張っていたい。
だからこそ、私は自分が持っている中で一番いい服を着た。
母については、もし自分が戻らなければ教会の救貧院に連れて行ってくれるよう新しい家の大家に頼みこんだ。
まだ暮らし始めて少しだというのに大家の女性は嫌な顔一つせず、それどころか自分を大切にするよう諭されてしまった。
普段化粧っけのない私がそんなことを頼んだものだから、もしかしたら身売りでもすると勘違いされたのかもしれない。
まあ、母がいなければ逃げ出していたことを考えれば、似たようなものかもしれないが。
城までの道は綺麗に舗装されていて、乗合馬車の揺れはそこまでひどいものではなかった。
旅の間にあらゆる悪路を経験したので、もうかつて乗っていた公爵家の馬車の乗り心地すら忘れつつある。
公爵令嬢として育った過去は全て夢で、本当はずっとピアとして生きてきたような錯覚にかられる。
もし本当にそうだったなら、アルバートからの呼び出しも素直に喜べたのだろうか。
愛を忘れたと噂される王子。
彼はその心を、パーシヴァルに残したままでいるに違いない。
大きな邸宅が続く貴族街を抜けると、ひと際巨大な白亜の建物が見えてくる。
あれこそがテオフィルス王の居城だ。
最後にあそこを訪れたのは、ライオネルのパートナーとしてだった。
乞われて、主賓であるライオネルの歓迎祝賀パーティーでファーストダンスを踊った。
私の人生で最も輝かしい時。
あの時は知らなかったたくさんのことを、私は知った。
信じていた人たちに裏切られた痛み。きれいごとだけでは立ち行かない市井の現実。自らの手で家事を行うことの過酷さ。
そして――人を憎むこと。
それらを知って、全く別の人間のようになってしまった私は、果たして本当にセシリアと呼べるのだろうか?
アルバートの呼ぶセシリアはもうどこにもいない。
いるのは、日常に疲れ笑顔を忘れた、年の割に老け込んだ女が一人きりだ。
自分がどんな風に笑っていたかすら、今はもう思い出せない。
***
一人でやってきた私を、門を守っていた兵士は当然のように怪しんだ。
だが彼が確認に行くと、あらかじめアルバートが言ってあったのか上役の兵士がやってきて私を城の中へ迎え入れた。
私が逃げないか見張るための兵士がつけられるかと思ったが、そんなことはなくすぐに案内のためのメイドが呼ばれる。そしてやってきたのは、驚いたことに高貴な女性の世話をする侍女だった。
彼女たちは城で働く多くの人間の中でも上級職であり、城で働く侍女ともなれば彼女自身が貴族の令嬢であるはずだ。
そんな人間を市井から呼び出した人間の案内に使うなんて、一体アルバートは何を考えているのか。
「レディ、こちらへどうぞ」
明らかに私の服よりも上質なお仕着せを着た相手に、傅かれるというのは妙な気分だ。
それは待機所で見ていた兵士たちも同じなのか、一体この娘は何者なんだと言いたげにこちらをじろじろと眺めていた。
「頭を上げて。私はあなたに礼を尽くしてもらえるような人間じゃないわ」
あまりの違和感に思わずそんな言葉が口をつく。
だが躾の行き届いた侍女は口答えなどするはずもなく、無表情のまま自分についてくるよう私に背を向けた。
しずしずと歩く彼女の後に続きながら、久しぶりの毛足の長い絨毯に足を取られそのまま沈み込んでしまいそうだとどうでもいいことを考えた。




