03 思わぬ再会
さて、私が今いるのは母国の隣にあるテオフィルス王国だ。
母と共に公爵家を放逐された私は、母親共々身に着けていたドレスや宝石をお金に換え、一目散に隣国へと逃れた。
なぜならアンジェリカのシンパは本当に多岐に渡っていて、公爵家という後ろ盾を失えばいつどこで誰に危害を加えられるか分からない状況だったからだ。
また、母の不実を理由に離縁に至ったせいで、母の実家を頼ることもできなかった。母方の祖父母は公爵の怒りが自分たちに及ぶことを恐れ、私たちとは縁を切り今後一切関わらないと明言していた。
誰も頼る人がなく、逃げるしかなかったのだ。
私と母は元の身分を隠し、ただの平民としてこの国にやってきた。
女二人、国から国へと旅するのは容易いことではない。
途中護衛に雇った傭兵にお金をだまし取られたりもした。
唯一幸運だったのは、行き倒れになっていた親子から身分証を拝借できたことだろう。
私はセシリア・ブラットリーと言う名前を捨て、身分証にあるピアという名前を名乗ることになった。おかげでかろうじて、このテオフィルスでの居住権を得たのだ。
だがこの国に辿り着いた時には、ほとんど無一文のような状態だった。
公爵令嬢である頃はあまり意識したことがなかったが、生きていくためにはどうしてもお金が必要だ。
そこで私は嗜みとして覚えていた洋裁の腕を生かし、王都にあるテイラーでお針子として働くことにした。
本当は通訳をした方が実入りがいいのだが、外交や商取引に関わることになる通訳になるには後ろ盾と身だしなみを整えることのできる生活基盤が必要だった。
なので今は地道にお金を貯めて、いつか通訳かあるいは上流階級の子供たちを教える家庭教師になれればと思っている。
そのために、夜は書籍の翻訳をして小金を稼いでいる。
だが万が一にも母国の人々に居場所がばれるようなことがあってはならないので、それらの職につくのは慎重を期さねばならないだろう。
私はもう誰も信じないし、誰に何をされようが傷ついたりしない。
母は不義などしていない。それは父方の祖母の色を受け継ぐ私の目が証明している。
父はきっと、私たち母子がどこかで野垂れ死ぬと思っていたに違いない。
だから生きるために足搔くことこそが、父やそして私を見捨てた人たちへの復讐なのだ。
***
それからしばらくすると、最初にお触れが出た時の熱狂はだんだんと収まっていった。
なぜなら王太子であるアルバートが、押し寄せる女たちを全て拒んでいるからだそうだ。
先ごろまで私の母国であるパーシヴァルに滞在していたアルバートは、アンジェリカに魅了された男たちの内の一人だった。
つい先日パーシヴァルへの遊学から戻ったことになっているが、実のところアンジェリカを巡る恋のさや当てで連れ戻されたに違いないと私は見ていた。
なぜなら私の婚約破棄以前から既に、アンジェリカを巡る恋のさや当てはかなり深刻なところまできていたからだ。
見目麗しく才能豊かな男たちがアンジェリカの寵を競って争うさまは、あまりにも常識外れでなおかつ醜悪だった。
アルバートはまだ冷静で外交上の問題にならないよう行動を律していたように思うが、すぐにその我慢も限界がくるであろうことも目に見えていた。
そして私の予想通り、アルバートは私がこの国に来てから間もなく、遊学から帰国したという訳だ。
私は記憶の中にある彼の顔を引っ張り出す。
艶やかな黒髪と私よりも濃い青紫色の瞳を持つアルバートは、理知的で物静かな王子だった。
元婚約者であるライオネル同様彼も古い顔なじみで、幼い頃は一緒に遊んだこともあったように思う。
けれどアンジェリカに心奪われた彼は、ライオネルや私との友情を跳ね除けどんどんアンジェリカに傾倒していった。
その成り行きは弟のレオンや婚約者のライオネルが彼女に魅せられていった過程とあまりに似ており、その頃には私も「またか」という感想しか抱けなくなっていたのだが。
あの頃のことを思い出すと、今も胃の腑が煮えたぎるような怒りと、同時に徒労感を覚える。
特に不快だったのは、男たちの諍いをアンジェリカがそれを止めもせず楽し気に笑っていたことだろうか。
自分が原因でどんな問題が起ころうと、アンジェリカは自分には何の責任もないとばかりに笑っていた。それどころか、それを喜んですらいた。
次期国王である王太子と、将来の家臣として彼と親しく付き合っている青年たちの諍いは、社交界に混乱をもたらした。いいやそれだけではない。そんな争いは王家の求心力を低下させるという弊害まで齎したのだ。
だが何度彼らを諫めようとしても、耳を貸さないどころかアンジェリカに敵意を持つ者として敵視される。
婚約破棄の直前には、もうパーシヴァルの未来なんてどうでもいいと思えたほどだ。
むしろ婚約破棄されたおかげで、将来の王妃としての責務から解放されるとわずかな喜びさえ感じた。
それほどまでに、あの国はアンジェリカ一人の手でかき乱されていたのだ。
「聞いた? 王子様、会いに来た女たちを一様に跳ね除けてるそうじゃないか」
「どんな美しい娘だろうが目もくれないんだってね。まさかおかしな趣味でもおありになるんじゃ……」
まことしやかにそう噂されるようになったのは、お触れが出て半年が経った頃だった。
彼が帰国して、そろそろ一年になる。
まだアンジェリカが忘れられないのだろうが、平民にまでこんなことを噂されるようでは王子失格だ。
王族の最も重要な仕事は、将来に子孫を残すことである。直系の子孫が途絶えれば後継者争いがおこり国が荒れてしまう。
故に王太子の結婚は、国民の重要な関心事なのだ。
ましてアルバートは今年で二十一歳になる。この年で結婚していないどころか婚約者もいないというのは、とんでもない異常事態だ。
だが、今の私にはそんなこと関係ない。
お針子と翻訳の内職で順調にお金を貯めた私は、近頃ようやく身なりを整え通訳の仕事ができるまでになっていた。
本当はもっと時間がかかると思っていたのだが、私の翻訳した文章を見て本を商う商人が専属で雇い入れてくれたのだ。信じられないことに支度金までも工面してくれた。
私はお針子を辞め、支度金で治安のいい場所に移り住んだ。そのおかげか母の状態もかなり改善されたように思う。
今では昼夜問わずわめき散らすようなこともなくなり、少しずつ現実を受け入れることができているようだ。
このまますべてがうまくいくような気がした。
だが、穏やかな日常の中にもふとしたところに悪魔が潜んでいるものだ。
もう誰も信じまいと思っていたというのに、その時の私はすっかり油断していた。
「ピア、客人にお茶を持って行ってくれ」
店主に命じられ、私は応接間に向かった。
名目上通訳として雇われているものの、その実態は奉公人に似ており命じられれば雑用でもなんでもやった。
しかし書物というのは基本的に文字が読める知識層の物なので、それを扱う商人も品がよく裕福であり決して虐げられるようなことはなかった。
というわけで、命じられた通りお茶を運んでいった私だったが、そこで思わぬ再会が待っていた。
「セシリア……」
部屋の中で昔の私の名前を呼ぶ人物こそ、この国の王太子であるアルバート・ブレア・テオフィルスその人だった。




