29 夜陰に紛れて
事が起こったのは、野営地を決めこれから準備に入ろうかという時だった。
飲み水にちょうどよさそうな小川のほとりが、その日の寝床と決まった。
となれば急いで寝床と食事の用意をしなければいけない。
私はいつも調理の指揮をしている年長の女性に命じられ、なかなか薪拾いから戻らないマーサを探していた。
ここまでの旅があまりにも順調だったので、おそらく私にも気のゆるみがあったのだろう。
辺りは薄暗くなりかけていたというのに、いかにも小枝が落ちていそうな小さな林に、足を踏み入れてしまったのである。
そして目にしたのは、驚くべき光景だった。
「傭兵は七人。他に男が六人、ガキが一匹。女は若いのが七人、ばばあが三人だよ」
商隊の構成人数を話しているのは、聞き覚えのある声だった。
歌を歌えばよくのびる、メゾソプラノの心地い声。
だが今は低く声をひそめ、長い黒髪を邪魔にならないよう頭の後ろでくくっている。
それだけで、ついさっきまで私に笑いかけてくれていた相手とは別人に見えた。
「なるほど」
「やつら野営地を決めて、今から優雅に食事の用意だ。ここまで問題なく来たから、すっかり腑抜けているだろうよ」
会話の相手は、どう見てもまともな相手ではなかった。
不潔な髭づらに、手にはこん棒、斧に剣。薄暗くて判別がつきづらいが、少なく見積もっても二十人はいるだろう男たち。
だらしなく着崩した服の質はよくない。どう考えても、礼儀正しい相手ではなさそうだ。
私は咄嗟に己の口を手で覆った。
間違っても声など出して相手に気づかれてはいけないからだ。
頭は既に、彼女――マーサが盗賊たちの仲間だということを理解していた。
何度も裏切りに遭ったのだ。今更この程度の事、つらいとも思わない。
だが実際問題、彼らに襲われたら商隊は無事では済まないし、私自身無事でいられるかどうか。
こちらには魔女のレイリがいるが、彼女の能力は正直未知数である。
ヒパティカがグリフォンの姿になれば相手を驚かせて追い払うこともできるかもしれないが、あれ以来彼は一度もグリフォンの姿になっていない。
こういった緊急事態に際し、解決策に不確かな要素を加えるのはやめるべきだ。もっと現実的な解決方法を探るべきだろう。
というわけで、私は彼らに気づかれないよう森を出て、商隊の人々に危機を知らせることにした。
馬も休ませるために荷車から外してしまっている。こちらには護衛の傭兵がいるとはいえ、その数はたった七人。その上守るべき非戦闘員の数があまりに多すぎる。
穏やかな日常は一瞬にして去り、再び地獄に突き落とされたような気分になった。
だが悠長に絶望している場合ではない。
音を立てないよう注意を払い、私はその場を後にした。
神経をとがらせながら森を抜け、野営のかがり火が見えた時には心底ほっとした。
だが、まだ気を抜くことはできない。
私は焦りを周囲に悟らせないよう静かに、商隊長であるクレイグに歩み寄った。
森での出来事を伝えると、彼は一瞬だけ鋭い表情を作った後、すぐに温和な商隊長の仮面をかぶり直す。
「分かりました。それでは我々が囮になります。ピア様はどうか、護衛を連れて逃げのびてください」
「何を言っているの!」
思わず声を荒げてしまった。
焦って周囲を見回すが、人々のざわめきに紛れて誰にも聞きとがめられなかったようだ。
そんな私に、囁くようにクレイグは言った。
「私の最も重要な任務は、姫様を無事王都までお連れすることです。ですがおそらく盗賊は、隊長である私を探すはず。ですからご一緒はできませんが、できうる限りのご助力はさせていただきます」
「そんな……」
今までそんな様子などおくびにも出さなかったが、彼もまた主君に忠誠を誓っている人物なのだと改めて思い知らされる。
こうなってはもう、私が何を言っても彼が聞いてくれるとは思えなかった。
なぜなら彼の主君は、私ではないからだ。
「それに……」
「それに?」
言葉を途切れさせた彼に、その先を促す。
クレイグは私ではなく、燃え盛るかがり火を見つめながら言った。
「あなたが一緒なら、『あの方』もおそらくここから逃げてくださるだろう」
「あの方?」
私の質問には答えず、クレイグは歩き出した。
決して焦らず、ただ呑気に散歩するような速度で。
だまってその後についていくと、彼は小さな荷馬車の前にやってきた。
商隊の中でも、特に小さくて地味な馬車だ。おそらく、密かに逃げるのには最適だろう。
「この馬車でお逃げなさい。私は同行する騎士に話を付けておきます。同行者の方々を連れて戻ってきてください」
結局クレイグの意味深な発言の意味が分からないままに、私はレイリとヒパティカを呼びに向かった。
商隊の人々は呑気に料理を食べたり酒を飲み交わしたりしている。
すぐにこの場が惨劇の舞台に変わると知っているのに、何もできない歯がゆさを覚えた。
事情も言わず荷物をまとめるよう伝えると、魔女と精霊はまるで身一つできたとばかりにすぐについてきた。私の荷物もそう多くはない。少しの着替えと、セルジュから授けられた金子。それに金目の物をあまり持ち歩いていてはあやしいということで、各地に展開している大きな商会の売掛手形もある。これがあれば、離れた街でも商会の支店で額面の金額が受け取れるという仕組みだ。
しっかりと荷物をまとめると、私は二人を連れて先ほどの場所に戻った。
いつ盗賊たちが襲い掛かってくるか分からず、鼓動がまるで早鐘のようだ。
例の小さな荷馬車の前には、クレイグよりも背の高い男が一人立っていた。フードを目深にかぶっているので、顔まではよく分からない。
共に逃げるとなったら心もとないが、それでも七人の中の一人を私たちにつけてくれたのだと思うと、申し訳なさが湧き上がってくる。
「あの」
声をかけると、男は驚いたように振り返った。
その拍子に、古ぼけたフードが取れる。
そして私は、あまりのことに言葉を失った。
そこに立っていたのは、驚いたことに傭兵の格好をしたアルバートその人だったのだ。




