26 歌の魔女
「あれは魔女の術だ」
ずっと黙り込んでいたレイリが口を開いたのは、日が傾いてきて野営しようという段になってからだった。
獣を遠ざけるため大きな炎を焚き、商隊の全員でその火を囲んで夕食をとる。
こんなこと初めての経験だ。
マーサがリュートを奏で、みんなが手拍子をしてそれに聞き入る。
お調子者が先頭を切って踊りだし、何人かがその踊りに加わる。
貴族の夜会とは違う、マナーも序列も気にすることのない集いだ。
緊張の旅の最中だというのに、なぜかひどく安らいだ気持ちになった。
そしてレイリのその言葉は、そんな時にもたらされたのだった。
「え?」
「先ほどの歌だ」
私は思わず周囲を見回した。
魔女の話など、余人に聞かれてはいけないと思ったからだ。
幸い、商隊の人間は皆お喋りなどに興じていて、こちらに注意を払っている者はいなかった。
ちなみにヒパティカはといえば、私の膝を枕にしてすっかり夢の中だ。
どんな夢を見ているのか、その唇はうっすらとほほ笑んでいる。
「どういうこと?」
「魔女は異端だ。人間に見つけ出されれば必ず排斥される。ゆえに魔女たちは人の中に紛れることに長けている。そして人々に影響を及ぼす術をいくつも持っている」
レイリの言葉に、私は息をのんだ。
「それが、あの歌だと?」
お姫様の歌。
まるでパーシヴァルで起きている出来事をなぞるような、あの。
マーサに歌の作曲者を尋ねてみたものの、彼女も人づてに教わっただけでその出所は分からないとのことだった。
馬車に乗り合わせていた何人かにも尋ねてみたが、結果は一緒だ。
みんな旅芸人が歌っているのを聞いたことがあるだけで、歌についての情報は他に何も持っていなかった。
流しの旅芸人が歌う歌などそんなものなのかもしれないが、あまりの情報のなさに私は言い知れぬ不気味さを感じたものだ。
「そうだ。あの馬車に乗っていたのは、商隊に属する者もいればマーサのように金を払って安全のために同行している者もいた。出自はそれぞれ違うのに、異なる共同体に属する者たちが同じ歌として認知している様子だった。つまりこの歌がはやりだしてもうかなりの時間が経過していると言うことだ。少なくともここ数ヶ月のことではない。少なくとも二、三年。あるいはそれ以上か……」
「そんな、ありえないわ。だって二年前にはまだ……」
二年前と言えば、ちょうどアンジェリカが公爵家にやってきた頃のことである。
あの歌の出来事など、まだ何も起きていなかった。
もし曲が流布した時期が二年以上前だとしたら、あの歌はパーシヴァルで起きた出来事を完全に予言していたということになる。
レイリの話が本当だとしたら、そんなことができるのは――アンジェリカ以外考えられない。
つまり彼女は、公爵家に娘として迎え入れられる前から、私を追い出し王太子であるライオネルの婚約者に成り代わるという野望を持っていたということか。
いつまでも絶えることのない怒りの炎が、腹の底で更に激しく燃え上がった。
ちょうど風が吹いて、みなで囲んでいるたき火の炎があおられ火の粉を散らす。
顔の当たる熱がその炎によるものなのか、それとも身のうちから溢れた怒りによるものなのか、一瞬判別がつかなくなるほどだった。
つまりはじめから、彼女はそうするつもりで我が家にやってきたのだ。
私から全てを奪い、己がものとするつもりで。
そして私はまんまと、彼女の思い通りに踊らされたというわけだ。
その事実は、ひどく私の矜持を傷つけた。辛酸をなめるように生きてきて、もう矜持なんてすっかりすり減ってしまったものと思っていたのに、どうやら私にはまだ怒りを覚える程度の矜持が残っていたようなのである。
「魔女にはそれぞれ、得意分野というものがある。パーシヴァルに巣くっているのはおそらく、歌を操る魔女なのだ」
「歌を?」
「そうとも。その歌が多くの人に歌われるほど、遠くまで広まっていくほど、歌の魔女が持つ術は強くなる。お前も、最初の頃はなんともなかったのにどんどんそのアンジェリカとやらにおもねる者が増えていったと言っただろう? 敵はおそらく事を起こす前にこの歌を旅の芸人に教え、各地に広めてほしいと願ったのだろう。歌う者、歌を知るものが増えるほどに魔女の力は増し、魅了の効果も強力になっていく。聞く者が聞けばパーシヴァルのことと分かるだろうが、市民のそれも女しか聞かぬのならばそうと気付く者はいない。実際、お前も今日までこの歌を聴いたことがなかった。誰にも気付かれることなく、そうして魔女は力を持ったのだ」
レイリがこれほどまでに饒舌なのは珍しい。
それほど歌を操る魔女に危機感を抱いていると言うことか。
なんて忌々しい歌の魔女アンジェリカ。
私はヒパティカの安らかな寝顔を見下ろしながら思った。
本当に、私なんかがパーシヴァルへ行って、彼女に打ち勝つことができるのだろうかと。




