10 主従
「よかったですね。ひとまず城に残ってくださって」
セルジュにかけられた言葉に、アルバートは顔を上げた。
「私もほっとしました。セシリア嬢が我が国にいらっしゃると分かってからこっち、殿下はちっとも落ち着かれませんでしたから」
わずかに揶揄するような色を感じ取ったのか、アルバートはセルジュを睨みつけた。
「だから黙っていたとでもいうつもりか? 本当はもっと早く、彼女がこの国にいると分かっていたんだろう? 例の商人に保護を命じたという話は何だ! 彼女の居場所が分かっていたのなら、どうしてもっと早く……っ」
「彼女が本当にセシリア嬢であると確認が取れたのは、最近の事なのです。あの方は用心深く自らの身元を偽っておいででしたから。それに、商人から例の訳本が届けられた頃、殿下はまだ解呪の副作用で人に会えるような状態ではなかったではありませんか。運よく魔女殿が例の符牒に早めに気付いてくださったからよかったようなものの、そうでなければ今もアンジェリカの名を叫んで暴れまわっていましたよ」
アルバートは言い返すことができなかった。
なぜならセルジュの言葉が、全て事実であったからだ。
市井ではおとぎ話の登場人物である魔女だが、実のところ彼女たちはこの世界に実在している。
そのことを知るのは、一部の人間だけ。
そしてこのテオフィリスの王もまた、その存在を知る一人であった。
彼は遊学から戻った王子の尋常ならざる状態を目にし、医学も教会による祈祷も効かないとなると、王にのみ伝えられる口伝を頼りに、かつて王家に縁があった魔女を招集したのだ。
そして彼女を呼び出すための符牒こそ、『愛を教えた者』であった。
王はこの符牒を潜ませたお触れを出し、無事やってきた魔女によってアルバートにかけられていた魅了の魔法が解かれたという訳だ。
これまで他の人間同様魔女をおとぎ話としか思っていなかったアルバート達もまた、これには彼女たちの存在を認めざるを得なかった。
なにせその魔法の恐ろしさを、身をもって体験してしまったのだから。
「解呪を受けたのはお前も同時だったのに、どうしてお前の方が回復が早かったんだ。不公平だろう?」
不貞腐れたようにアルバートが言うと、セルジュは何を今更という顔をしてため息をついた。
「私より、殿下の方が圧倒的にアンジェリカ嬢と一緒にいた時間が長かったですからね。どころか術の効きが悪かったからか、私は遠ざけられていた節すらある。魔女殿に伺ってその謎も解けました。魅了の魔法は僅かでも自分に好意のある者にしか使えないそうですよ。私は無性愛者ですから、それでかかりが悪かったのでしょう」
セルジュの言葉に何事か言い返そうとしたアルバートだが、結局何も言うことなく、疲れたように項垂れた。
行方不明になっていたセシリアの無事を確認して安堵したものの、明らかに公爵令嬢には見合わない格好と疲れた様子に、ひどくショックを受けているのが長い付き合いのセルジュには手に取るようにわかった。
「それでもあなたの行動に不信を抱かないように暗示をかけられていたそうです。魔女殿によると、我々に術をかけた術者はかなりの手練れであると。そんな相手に隣国が乗っ取られそうだなどと、まったく頭が痛い」
そしてその術者とは、おそらくアンジェリカ本人かあるいはアンジェリカの身近にいる人間だ。
先ほどセシリアにも言ったように、隣国としてはこのままパーシヴァルが混乱に陥っていくのを指をくわえて見ているわけにはいかない。
二国は先々代の御世に王族同士の結婚をし和平を結んだ。
故にアルバートはパーシヴァルの王位継承権を、ライオネルはテオフィルスの王位継承権をそれぞれ保持しているのである。
アンジェリカが魔の手から逃れたアルバートを弑し、ライオネルを使ってこの二国を手中にする可能性すらある。
先ほどセシリアに話したパーシヴァルの内乱を扇動する者の存在と言うのも本当で、今この時もパーシヴァル王は頭を悩ませているに違いなかった。
「それにしても、よかったじゃないですか、死ななくて」
セルジュの遠慮のない物言いに、アルバートはびくりと身じろぎをした。
魔女の解呪によって徐々に正気を取り戻した彼は、己が行った非道を深く後悔し衝動的に自殺未遂を起こしたのだ。
中でも彼を最も懊悩させたのは、古い知己であるセシリアへの迫害を、止めようともせず己も加担したことにあった。
そして希死念慮に歯止めをかけたのは、姿を消した彼女を誰が保護するのかというセルジュの言葉だった。
そしてアルバートは、文字通り死にたくなるような悔恨の中で解呪の副作用にも耐え、再び知性を取り戻したのだ。
勿論例の遺族を探していたという話は本当だが、アルバートは同時にセシリアの足取りも探させていた。
アンジェリカの追手を警戒して入念に足取りを消していたセシリアだが、彼女が翻訳した書物が城の出入り商人の目に留まったのは僥倖だった。
その訳本はアルバートによって、間違いなくセシリアの筆であると確認が取れている。
「まあ、あなたが泣きだした時には慌てましたがね。セシリア嬢に大事がなくて本当によかった」
セシリアが経験した辛酸は並大抵のものではないだろうが、それでも例の勘違いが真実であった場合、アルバートは平静を保てたかどうか。
「なにせあの方は、殿下の初恋の君ですからね」
ずっと、口にすることすらできなかった片恋。
出会った時には既に、セシリアはライオネルとの結婚が決まっていた。
そしてアルバートの想いを知る者は、幼い頃から従者として仕えてきたセルジュ一人だけ。
自分は色恋をしないくせに、この従者はいち早く主人の苦悩に気付いていた。
「……やめろ。彼女に失礼だ」
押し殺すように、アルバートが言う。
セルジュは返事をせず、その代わりのように小さく肩を竦めたのだった。




